高岡市鴨島町にあるお寺教恩寺(浄土真宗本願寺派)がわが家の
「昔の」(江戸時代からの)菩提寺だ。
(注)昭和55(1980)年に、「本家」は「墓じまい」を行い、比叡山延暦寺霊
園にお墓を移す。
5月の初め、教恩寺に「突然、初めてで失礼ながら、5/22~25に
高岡を訪問するので、教恩寺にもご挨拶したい」旨、手紙を出し
た。
どこの誰とも分からない者から突然の手紙にお返事はいただけな
いかもしれないと思っていたが、高岡訪問前日になって、奥様よ
りご連絡をいただき、22日(月)の午後1時半にお邪魔すること
になった。
奥様から「徒歩だとちょっと分かりにくいので、タクシーがよろ
しいのでは」とアドバイスいただく。
お昼に大仏、古城公園を回り、午後1時過ぎ、高岡駅よりタクシ
ーでお寺に向かう。
早めに着いたので、お寺の前で15分ほど時間をつぶし、約束した
時間の1分前に「ピンポ~ン。ごめんください~」。
ささやかなお布施とお土産を差し上げ、丁重にご挨拶。
お茶とお菓子をいただきながら、奥様にはご親切に「取材(?)
対応」いただき、本堂にもお参りさせていただく。
しかし、無作法にもご焼香の仕方を間違え、
「あらら、宗旨を替えられました?」
「あ、いえ、あのその、失礼いたしました」
(注)浄土真宗本願寺派のご焼香の仕方は→こちら。
その後も奥様にはご親切にお墓や境内などをご案内いただいた。
教恩寺は、国宝となった勝興寺(同じく浄土真宗本願寺派)の
「通寺」として、いわば「格式」のあるお寺だという。
過去帳は、時系列的に、亡くなった人の情報が書かれており、
一種の「個人情報」のため、直接閲覧することはできなかった。
笹原家が一族であることは、今年、高岡市中央図書館よりの情報
により知ったが、奥さまによれば、皆さん立派に活躍されている
とのことだった。
気付くと一時間以上が過ぎており、
「お忙しいところ、本当にありがとうございました(一礼)」
お土産に「よろしかったら」と氷見うどんを頂戴する。
源平町への行き方を教えていただき、教恩寺を失礼した。
源平町は、『高岡市史』などによれば先祖の商家「絹屋」があっ
たところだ。
わが先祖は代々「絹屋権九郎」を名乗っていたようだ。
私も、世が世なら、もしかすると権九郎?
その後、徒歩で、先祖の地、源平町、坂下町へ向かう。
教恩寺ご住職あてにお送りした Letter
13:04 高岡駅地下通路
13:05
13:05 高岡の写真(地下通路)
13:07 古城公園口 ちょうどタクシーが1台止まっていた。
13:14 タクシーで教恩寺に到着。
13:15 一眼レフを出したり、と準備
13:19 鴨島町教恩寺前の通り 左側が教恩寺
13:24 反対側の通り
13:27
13:27 教恩寺の「山門」(という言い方でいいのかしらん)
以前は鐘楼門だったという。
13:28 立派な鐘楼
以前は門(鐘楼門)の上に鐘があったという。
13:28 本堂
13:28 同上
13:45
14:09 ご本尊にお参りさせていただく。
14:09
14:09 焼香の仕方を間違え、「常識」がなく、ゴメンナサイ。
14:10 立派な本堂
14:21 墓地を見学させていただく。
一族の「笹原家」のお墓だ。
14:21
14:21
「大正七年 五代 笹原文次」の名前が読める。
笹原文次(安政4・1857-昭和2・1927)は近代高岡捺染(なっせん)の創始者。
代々「文助」を名乗る。
14:21
14:22
14:23 笹原家の家紋が入る。
14:25 こちらのお墓も古そう。
14:27 も、もしかしたら、ご親戚?
「×氏之墓 九代恒二建之」とある。(教恩寺)
墓じまいする前の先祖の墓
14:30
14:32
14:33
14:33
14:33 昔、このあたりは小川だったとか?
14:37 門前で奥様とお別れして
お土産に「重たいですが」と頂戴した氷見うどん
14:37
14:38
14:40 中川仏壇店を左折して、源平町へ向かう。
(続く)
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明日(のブログ)は、江戸、明治時代に住んでいた町を訪ねます。
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