文春学藝ライブラリーシリーズはなかなかおもしろい。以前、取り上げた
『インタヴューズ』もこのシリーズの一つである。
本書には13の論考が掲載されている。とくに面白かったものは・・・・・・
小泉信三「平和論」(「文藝春秋」1952年1月号)
久しぶりに小泉信三の「平和論」を読んだ。久しぶりにというのは、学
生時代に小泉信三全集で読んで以来ということだから、かれこれ45
年ぶりということになるだろう。
サンフランシスコ平和条約(--昭和26(1951)年9月8日調印、昭和
27(1952)年4月28日発効)調印までに昭和24(1949)年ごろから全
面講和か単独講和(多数講和)か論争が繰り広げられた。
小泉の「平和論」はすでにその条約が調印がなされた後に、整理された
論考である。それは、簡単に言えば、日ソ中立条約を破って、日本に宣
戦布告をしたソ連は今は信用ならないから全面講和にこだわるべきで
はないということである。
それをいかにも小泉信三流に理を尽くして主張しており、全面講和論
の主張をことごとく、かつ冷静な筆致で論破している。
いま読み直しても、歴史に耐える、精緻な論考である。
小泉信三先生は、この年、63歳であった。現在の私と同世代である。
ちなみに、小泉信三は、この後、「私の平和論について」(「世界」昭和27
年5月号)、「平和論明暗」(「文藝春秋」昭和27年5月号)で、上記への
反論に反論している。興味ある方は、図書館で。
<参考>
1949年10月中華人民共和国建国
1950年2月中ソ友好同盟相互援助条約(日本を名指しで仮想敵国化)
1950年6月北朝鮮の南進(朝鮮戦争--当時は朝鮮動乱と言った)
1951年9月サンフランシスコ平和条約、日米安保条約
「非武装中立」を謳えば、中立は保障され、侵略される恐れはないという
考え方は、さまざまな事実によって「本当に大丈夫か」ということになった。
林健太郎「マルクス主義との格闘」(「文藝春秋」1959年6月号)
林健太郎は、昭和10(1935)年東大文学部西洋史学科卒業。
その頃、氏の周辺で起きたことを多少文学的な筆致で描かれている。
多くの個人名(固有名詞)が出てくる。
林さんは、東大紛争時、文学部長として、団交で全共闘側の要求をは
ねつけ、そのため、最終的には全共闘学生からも評価されたラシイが、
戦前、戦時中は左翼学生だった。
さらに詳しい話は、『昭和史と私』(文春文庫)にある。
大宅壮一「マイホーム国家の没落」(「文藝春秋」1969年9月号)
大宅壮一(1900~1970)さんはおもしろい大阪人だった。
当時のヨーロッパ、なかでもイギリスに旅行した見聞録である。
組合をバックにした、当時の労働党政権への疑問を投げかけている、
と言えるだろうか。
江藤淳「生者の視線と死者の視線」(「諸君!」1986年4月号)
靖国参拝問題というのは、単なる憲法問題ではなく、日本人の文化--
生き方の問題である、ということが結論だろうか。おもしろかった。
12/9(火)会社帰り、地区センターへ期日前投票に行く。
当選挙区(神奈川8区)は
A氏58歳(維新)
B氏50歳(自民)
C氏29歳(共産)
と3人しか立候補していないので、さほど迷わないで投票した。
選挙公報がなかなか配達されないが、いまはインターネットで見ることが
できるんですね~。
地区センター入口
当地区センターの期日前投票は、12/6(土)~12/13(土) 20時まで
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます