人生ブンダバー

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村井良太『佐藤栄作』

2020-06-07 05:00:00 | 読書

村井良太『佐藤栄作』(中公新書、R1[2019]/12刊)を読む。

村井氏は、昭和47(1972)5月生まれ(沖縄返還の年)、神戸大学
卒業、神戸大学大学院法学研究科博士課程修了。現在、駒澤大学法
学部政治学科教授。日本政治外交史専攻。



佐藤栄作は、明治34(1901)年の生まれ。西暦で考えると分かりや
すい。--西暦の下二桁マイナス1が佐藤の満年齢だ。

佐藤栄作が政界に登場したのは、私の生まれる前、昭和23(1948)
年、運輸次官を退官し、第二次吉田内閣(民主自由党)の官房長官
に就任した時である(衆議院議員初当選は翌24[1949]年)。

したがって、佐藤栄作を知ることは、また戦後史を知ることにつな
がる。


佐藤栄作は、総理大臣としての個人的人気はあまりよくなかった。
--強すぎたV9時代の巨人川上監督と似ているのかもしれない。

(川上監督は退陣してから人気が出たが、佐藤栄作も同様だった。
政権時代は、二人とも新聞記者を敵に回した?佐藤政権と巨人V9
はほぼ同時代だ。その関連で何か書けるかしらん)。


佐藤政権は、昭和39(1964)年11月から昭和47(1972)年6月まで
7年8カ月の長期政権だった。
「待ちの政治」などとも言われたが、「非核三原則」や「沖縄返還」
など物事の進め方には卓抜すべき点があったのではないかしらん。

なにがしか卓抜すべき点がなければ、したがって国民多数の支持が
なければ、常識的に考えて、長期政権にはならないだろう(安倍政
権も同様?)。

「反自民」とか「ストップ・ザ・サトウ(佐藤)」などと、新聞の
見出しやスローガンで判断していたとしたら「ナンセンス」だ。

沖縄返還を達成し、大学紛争も沈静化させた佐藤は、昭和44(1969)
年末の総選挙で圧勝している(自民党300議席。社会党は90議席の
惨敗)。社会党は沖縄返還も反対?


これも私は後になって知ったことだが、佐藤政権では、ケネディに
ならい私的ブレインを作っていた。--意外と進歩的な面があった。


兄の岸信介とは異なり、「日本が、戦後平和憲法を制定し、世界の
平和と繁栄を念願してやってきたことは、20年経った今、ようやく
各国に理解されて来ていると思う」と述べたり、憲法改正にはどち
らかというと慎重だった。

岸信介は、自分がどう考えても正しいと思ったことに一直線だった
が、佐藤栄作は優先順位をつけ、機が熟するのを待つ面があった?


一方、佐藤政権時代の社会党は、現実離れした「非武装中立」論を
主張し続け、「なんでも反対」と言われたように、ますます政権担
当能力を失っていったと言えるかもしれない。


昭和37(1962)年、ヨーロッパに長期外遊した時、英国で、当時
野党だったウィルソンには野党として大切な三つのこととして、
1.国民を代表して政府を攻撃すること
2.政府案に対して野党の案を持つべきこと
3.自分が政権を取った時に実行不可能なことを言ってはいけないこ
とを学んだという。
今日の日本の野党や如何?(--自民党の野党時代を含め)。


要所要所で『佐藤栄作日記』が引用されており、大変興味深い。

新書にして400ページの力作で、主要参考文献も学者だけあって豊
富だ。


<目次>
1.政界を志すまで
2.吉田茂の薫陶
3.政権獲得への道程
4.佐藤政権の発足
5.沖縄返還の模索
6.1970年を越えて
7.総理退任後





<参考>

千田恒『佐藤内閣回想』、原彬久『戦後史のなかの日本社会党』
(いずれも中公新書)


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