人生ブンダバー

読書と音楽を中心に綴っていきます。
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木下保先生の「心の四季」

2018-01-29 05:00:00 | 音楽

1月17日にちらっと触れたが(→こちら)、この1月にフォンテックから
『木下保の藝術~髙田三郎、信時潔合唱作品集』の中の一曲として
「心の四季」が発売になった。昭和50(1975)年10月25日日本女子
大学合唱団第20回定期演奏会Liveである。


木下先生は、「心の四季」が好きであり、得意だった(直接お訊きし
たことがないので、一歩譲って言えば「のではないかしらん」)。演奏
会では何回も取り上げておられる。

私は、今回の録音を含め、②昭和52(1977)年9月12日録音の聖
心女子大学グリークラブ盤(東芝盤)、③昭和54(1979)年10月27
日、日本女子大学第24回定期演奏会Liveと3種類のCDを聴いて
いる。--いずれも、甲乙付けがたい(「甲乙」は古い?)というか、
すばらしい。

オリジナルは混声合唱であり、その初演は、石丸寛指揮名古屋放
送合唱団だ。
そもそも、それを女声合唱へ編曲にするよう、髙田三郎氏に勧めた
のは木下先生だという。


定演Live(録音)のおもしろさは、「商業録音」とは違い、ミスを恐れ
ず、一人ひとりが積極的に歌っていることだ(ミスがあるというわけ
ではない。為念)。


木下先生の「心の四季」は、何回聴いても飽きないのが特色で、聴く
たびに新しい「発見」がある。

テンポは、「冗長」を嫌う木下先生らしく、全体的にやや速めだ。--
例えば、第1曲「風が」では、作曲者自作自演盤が4分50秒、福永陽
一郎氏の混声盤が5分5秒に対して、今回は4分5秒(CD表記では
4分9秒)である。②や③はもっと速い。
歳を取ると演奏は遅めになるのが一般的だが、木下先生の演奏は、
反骨精神(?)か、むしろ速くすらなっている。

今回、本CDを聴き、あらためて再認識した(「あらためて再認識」は
おかしな表現?)が、日本語の「語感」を大切にした演奏がすばらし
い。
詩の一節ごとに具体的にコメントしていくと字数がいくらあっても足り
ないが、単なるfとかpではなく、意味のある、fであり、pである。先生
の fはいくら fになっても、単にワ~ッと放射する音楽とは違い、何か
しら凛としたものであり、pも単なる弱声ではなく、「つつましさ」が感じ
られるものだ。無論、これらは合唱団の発声のよさに支えられている。

川口耕平さんのピアノ伴奏も懐かしい。
「できるかぎり」ヴォリュームを大きくして聴きたいものだ。


「心の四季」は、全7曲から成っている。詩人は、自然をよく見つめて
いる。

第1曲「風が」では、速めにす~っと始まった演奏が、(歌詩でいえば)
「春が」のpでガクンとテンポを落とす所は、楽譜に書かれておらず、
木下先生にしかできないだろう(初めて聴いた時は「驚き」だった)。

第2曲「みずすまし」は、異なる音色のパート間の「受け渡し」がすば
らしい。
第3曲「流れ」は、若々しい大学合唱が詩への共感を十分に持って
積極的に歌っている。
第4曲「山が」はいわば間奏曲だ。短いだけに難しいのではないかし
らん。ハミングもすばらしい。

第5曲「愛そして嵐」。今回、あらためて聴き直して「発見」したが、実
にいい曲だ。木下先生はこの曲があるから女声合唱に編曲を勧め
のではないかしらん(「キミ、全然違うヨ」と怒られる?)。

第6曲「雪の日に」に、思想的にも音楽的にもかなりのウエイトがある。
木下先生は、練習で言葉巧みに意思を表現される方ではないが、言
葉少なく、時としてハッとさせられる「ひと言」を言われる。今回の演奏
も木下先生が、そのような練習を通じて、その思想や音楽を一人ひと
りに「徹底」されたことが感じられる。

第7曲「真昼の星」は、(宇野[功芳]さんは難しい曲だと書いていたが)
す~っと入ってくる。「気持ちの整理」というか「救い」の音楽だ。長い
フレーズを導き出す、ノンブレスがすばらしい。実際の演奏会で、この
終曲を聴いたら、私はアンコールを聴かずに帰るかもしれない。


ちなみに・・・・・・本CDと③を比べると、大きなコンセプトというか解釈
は変わらないが、③の方がピアノ伴奏が「大胆」??


*その他の収録曲については、又の機会に・・・・・・。



CDのチラシ


本CD


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