人生ブンダバー

読書と音楽を中心に綴っていきます。
現在は、暇に飽かして、日々更新。

新日本フィル定期第497回 『ワグネルの諸君へ』 畑中先生の思い出(3) etc.

2012-07-16 05:00:00 | 音楽

7月の新日本フィル、トリフォニー・シリーズはダニエル・ハーディング(37)の登
場である。ハーディングはアバドに認められ、若干21歳にしてベルリン芸術週
間においてベルリン・フィルでデビューしている。

新日本フィルの指揮者陣には、アルミンク(音楽監督)、ハーディング、メッツマ
ッハー、ハウシルト等々が名を連ねている。ハーディングはその中で一番「格
上」である。したがって、その入場料(*)もトリフォニー・シリーズで最も高額で
ある。
今年のザルツブルク音楽祭では歌劇「ナクソス島のアリアドネ」を指揮すること
になっている。

 (*)今更の話だが、演奏会の入場料には相場というものがあり、入場料と実
  力、人気は正の相関関係にある。例えば、私は半年ほど前、王子ホールで
  ゲルハーヘル(バリトン)を聴いたが、その入場料は7000円だった。一方、
  イアン・ポストリッジ(テノール)、クリスティーネ・シェーファー(ソプラノ)は
  10000円である。またウィーン・フィルはどこへ行ってもベルリン・フィルより
  チケットが高いようだ。

私が(新日本フィルに)いつも行くのは、土曜日だ(土曜は気分的にゆったりでき
るのがいい。)が、今回は7日土曜が畑中先生のお別れ会となったので、急ぎ
金曜(7/6)に「座席変更」手続きを取った。当日の座席は、いつもと違い、1F-
27-12--偶然、一番端の席でよかった!

<プログラム>
1.シューベルト 交響曲第7(8)番「未完成」
2.R.シュトラウス 交響詩「英雄の生涯」
指揮;ダニエル・ハーディング
コンサート・マスター;崔文洙

1.シューベルト 交響曲第7(8)番「未完成」
 「未完成」が作曲されたのは1823年。19世紀前半である。当日はヴァイオリ
ンが左右に分かれ、コントラバスが下手側に入る対向配置。テンポは楽譜どおり、
第1楽章がAllegro、第2楽章がAndante。大変きっちりした、いい意味でオー
ソドックスな「未完成」だった。

2.R.シュトラウス 交響詩「英雄の生涯」
(1)英雄
(2)英雄の敵
(3)英雄の伴侶
(4)英雄の戦場
(5)英雄の業績
(6)英雄の引退と成就
 「英雄の生涯」は、昔、N響の定期でサヴァリッシュ指揮を聴いた気がする。記
憶違いかもしれない。
1898年の作品。シューベルトからざっと100年、機能和声はここまで「進化」し
てきた。この「英雄」はR.シュトラウス--つまり作曲者自身である。「敵」は評論
家、「伴侶」は妻パウリーネ。「業績」では「死と変容」、「ドン・キホーテ」、「ドン・
ファン」等々自作が引用される。
大人数約100人がオンステ。ホルンは8人となる。チェロの首席には客演として
札響の石川祐支さんが入っていた。
以下、一言コメント
(1)英雄 
 いきなりの「英雄のテーマ」がすばらしかった(つかみはバッチリ!)。コンマス
 ののけぞり具合がすごかった。
(2)英雄の敵 
 木管による「評論家」のピーチク、パーチクがいかにもよかった。それぞれのリ
 ズムが難しそう。
(3)英雄の伴侶 
 会場静寂の中、崔さんのカデンツァがすばらしい。お隣のご婦人(他人)は寝
 ておられたが。
(4)英雄の戦場 
 小太鼓--スネア・ドラムが大活躍。まるでショスタコーヴィチである。(ショス
 タコの方が後だけれども。)ハーディングが激しく動いた。
(5)英雄の業績
(6)英雄の引退と成就 
 ハープ、ファゴット、オーボエ、ヴァイオリン・ソロの活躍に場内が引き締まった。

長い静寂で終わるやハーディングは(汗だくだろうに)コンマスの崔さんとしっか
り抱き合った。そしてホルンを真っ先に立たせた。大拍手、ブラボーが続く中、カ
ーテンコールでは、木管群から順に立たせ、とうとう全員を立たせてしまった。
来た甲斐のある演奏会だった。次回12月のハーディングはショスタコーヴィチ
である。



当日は、当社の3年先輩Eさんとバッタリ!お会いした。Eさんは趣味がクラシッ
ク鑑賞である。サラリーマン時代は白羽の矢が立って、名古屋のしらかわホー
ルに出向されていた。

演奏会の帰路、Eさんから某文化財団の偉いさん(いまAさんとしておこう。)を
ご紹介いただいた。Aさんは仕事柄月10回は音楽会に足を運ばれる。聴けば、
私同様、翌日が畑中先生のお別れ会なので、金曜に来られたという。

Aさんお勤めの文化財団では、畑中先生に音楽賞の選考委員長をお願いして
いた。Aさんは事務局として、畑中先生とお打合せする機会が多かったようだ。
畑中先生は、文化功労者も遅すぎたし、文化勲章でもおかしくない。音楽賞の
授賞式には皆さん畑中先生にお会いするために出席していた等々、Aさんは
先生の見識、お人柄を「絶賛」されていた。

Aさんは、畑中先生からワグネルの指揮も最後だから来ない?と誘われ、今年
1月8日のワグネル定期演奏会を聴きに来られたそうだ。帰路の約1時間、畑
中先生の思い出話に花が咲いた。




7月12日(木) いつもどおり退社後は讃岐うどん(さつまいも天付)を食べ、ドト
ールで一服後、OB練習へ。須田さんによるファリャ「七つのスペイン民謡」。
7/15(日)のワグネルOG定期演奏会への賛助出演の曲目である。本番を3日
後に控え、最後は真剣な通し練習となった。
私は、今年1月来、OGとの合同曲「水のいのち」以外、すべての練習に出席
しているが、7/15の本番は、数か月前に予定を入れてしまい、残念ながらオ
ンステしない。(須田さん、ゴメンナサイ。)



メッセージ集『ワグネルの諸君へ』とワグネル定演アンコール曲集(CD)
畑中先生が、主としてワグネルの演奏会プログラムに書かれたメッセージ集と先
生の定演アンコール集ができあがり、10日(火)、自宅に送られてきた。幹事さん
の、文字どおり大変な労作である。幹事さん、有難うございました。感謝!です。

本来は、畑中先生の謝恩プロジェクトの一環であり、完成したら先生へ贈呈する
ことになっていたが、先生は5月24日天国へ旅立たれてしまった。本書とCDを
手にして、あらためて残念な想いが込み上げてきた。
『ワグネルの諸君へ』を読むと先生の熱い想いが伝わってくる。先生の面目躍如
たるものがある。

初めて目にした、「ブル十戒」(昭和39年)より
・おういみんな、どんなに年をとっても、死ぬまで「歌」を忘れるなよ。
・おういみんな、年賀状くらいはブルに出そうぜ。ただし返事はアテにならぬ事忘
 れるなよ。
--おもしろかった。

昭和38年、畑中先生(当時41歳)と福永陽一郎先生(37歳)の対談では、熱き
時代がよみがえるとともに、今読んでもいろいろなことが勉強になる。今となって
は歴史的証言となっている。

昭和42(1967)年フェアウェルコンサートプログラムより
 さようなら--など、云いたくない。ぼくたちはいつまでも<音楽>を通じて結
 ばれている筈だから。



畑中先生のメッセージ集『ワグネルの諸君に』(平成24(2012)年7月)



畑中先生の定演アンコール集(CD3枚組)
(生に比べて)貧しい録音だが、これを聴いていると、「その時代」が眼前に広が
るから不思議である。

第134回定演アンコール「鳩笛の唄」には涙が止まらない。
(「男が酒を飲む夜は」・・・・・・。)




<畑中先生の思い出(3)>
目に留まったブログ等にリンクを張らせていただこう。皆さん、大変な力作である。

ブログ「劇場の天使2」さんから
NHKラジオ深夜便「輝いて生きる」
 劇場の天使さんが、7月12~13日、貴重なテープ起こしをされている。

楽友三田会のHP 記念文集から
座談会「畑中夫妻を囲んで」(抜粋)
 畑中良輔先生当時29歳。これを拝読すると、あらためて畑中良輔先生と更予
 先生は、尊敬しあう、音楽上の、真の同志だった、と<私は>思う。

ブログ「フロイデ」さんから
畑中良輔さんを悼む
 畑中先生の有名なお話、お人柄に触れておられる。

ブログ「ムジカクリハラのオフタイム」より
いよいよ明日
 びわ湖ホール声楽アンサンブルのソプラノ栗原さん。畑中先生指揮/びわ湖
 声楽アンサンブルの「水のいのち」が思い出される。「歌いすぎないようにね」
 --畑中先生の「ひと言」。


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5 コメント

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六連演奏会の朝 ステキな偶然が二つも! (齊藤弘子)
2012-07-17 16:56:19
畑中先生の思い出、尽きることなく…でございますね。これからの人生におかれましても、先生の御不在を身にしみて感じられることでございましょう。
人生はしばしば航空機の飛行に喩えられます。私たちは着陸前の下降期に入ったところですわね。年を重ねるにつれて、その思い出は懐かしく、苦しく、ときに胸詰まらせるほどにもなりましょう。全速力の離陸時や上昇期、安定期のさなかには気づかぬことが見えてくるからでしょう。それが人生の味わいか…とも思います。思い出すことの多い方はお幸せと存じます。

昨日、舅がこんなことを申しました。
六連演奏会当日朝のこと。私は【さわやか自然百景】というNHKの番組で、偶々“カケス”を見ました。
その日のちょうど同じ時間帯に舅はNHKのFMを聴いていたとのこと。内容は《ビバ!合唱~畑中良輔さんをしのんで~》と題して、ワグネル男声合唱団を紹介するものだったとか。驚きました。まさに演奏会当日の朝ですから。先生は天国から「おういみんな、しっかり演奏してくれよ」とでもおっしゃっていたのでしょうか。
カケスとFM、このステキな二つの偶然、生きていると稀にこのようなことに遭遇するのですね。

舅は、畑中先生に思いをはせながら、同時に信時潔に思いを致していたそうです。舅が初めて聴いた男声合唱曲は日蓄合唱団の《海ゆかば》。信時潔の父・吉岡弘毅は舅の父と信徒
の友(大阪北キリスト教会)でございました。父は《沙羅》が好きでございます。特に《北秋の》が。

舅は同世代の方が一人またひとりと旅立ってしまい、寂しさ一入のようです。
小樽高商時代、無伴奏で合唱したのは《シュテンチェン》なのだそうです。70年以上の歳月を経ても忘れないのですね。もう同級生はいないようですが。
小樽高商を卒業した舅は一人上京し青山学院で学びました。青山時代の同級生は現在、数名いらっしゃり心強いことです。
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Re;六連演奏会の朝 ステキな偶然が二つも! (katsura1125)
2012-07-17 20:46:54
齊藤さま、素敵なコメントいつも有難うございます。

ご存知かと存じますが、ワグネルOB(男声)は、今年11/11、男声合唱版「沙羅」を演奏いたします。
返信する
アンコール(お話あり) (sho)
2012-07-17 22:03:34
畑中先生「ワグネル百年に憶う」で、演奏とは「他者」と「自者」の交流の上に成立する。会場に足を運んで来て下さった聴衆の方達と、音楽でもって「交感」することによって更に止揚される世界へと、みんなが輪になって手をとり、心を合わせて”音楽する自在の心の世界”を目指していきたいと思うようになった。それで10年前から定演でもおしゃべりが入り、それですごく先生の知性、教養、お人柄が分かりお客様と一体になったような気がします。そのような声が残っていることが嬉しいです。
返信する
Re;アンコール(お話あり) (katsura1125)
2012-07-18 20:40:37
shoさま、有難うございます。
畑中先生は、ドイツ・リートを徹底的におやりになったせいか(?)、「他者」と「自者」という哲学的な考え方をお持ちだったのではないかしらん。フルトヴェングラーはトスカニーニとは違ったということでしょうか??
返信する
《沙羅》 聴きに行きたいです (齊藤弘子)
2012-07-19 00:26:36
恥ずかしゅうございますが、私は【沙羅】という組曲を知りませんでした。

月曜日のことー。
「僕はね、サラが好きなんですよ」と舅が言いました。私は「???」。それで聞いたのです。「あの~、サラってどういう字ですか?」
「沙羅双樹ですよ」と舅。
(あぁ、あの盛衰を語ってポトリと落ちる花ね)とようやくわかった私です。
舅は博学の人。英会話も達者(進駐軍の通訳をしていたので)、ピアノも弾きます。ちょっと近寄り難く、親しく話をしたことがありませんでした。
ところが、その日はイソイソと《北秋の》の詩を出してきて私に見せるのです。
短いけれど叙情的な詩。私好みの文語調。
〔私が見た花に名づけてよ 君。いいや むしろ君に例えて呼びたいな〕
こんな内容なのですね。なんですか91歳の舅が青年のように見えました(笑)。

是非とも聴きたいですわ《沙羅》。
それも男声版で聴けるなんて、まぁ、素敵!!

11月10日は男フェスと九大OB【TAG】の演奏会が重なり、私はハシゴ致します。幸運にも会場が朝日ホールと第一生命ホールなので近いのです。
ワグネル演奏会、次の日なので、おじゃまできます。
私には男声合唱の情報など無いのです。ネット検索して見つけているのです。
チケット購入方法などご案内いただけましたら嬉しく存じます。

目下の悩みの種は夫のことです。
コンサート当日「楽しんでおいで」などと言って快く送り出してくれるのですが……“♪帰りは怖い”なんです。
演奏の興奮冷めず余韻に浸りながら電車に乗っていると現実に引き戻すかのように突如ケータイの着信音が。見ると『腹へって死にそうだぁ~早くメシ!』というメールなんです。
(いいかげんにしてよ!小学生じゃないんだから、何か買いに行くとか、自分で作ればいいでしょ)と心の中で呟く私です。
もう一つ怒りがー。男フェスの日は朝10時の開会のご挨拶から夜8時の結果発表まで、一人ずぅ~っと聴いているんです。
夫は言うのです。「おまえ、本当に一人か?隠さないで正直に言えよ」
聞き捨てならない言葉に私の怒りが爆発。「ちょっと!それどういう意味?」と、夫婦喧嘩になったのでした。
そんなこんなで私も学習し、最近はとっておきの策を講じております。“還暦”とは子供に還ることなのでは……?大きな子供がいると思うことに致しましたわ(笑)。
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