人生ブンダバー

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7/7畑中良輔先生お別れの会  畑中良輔『荻窪ラプソディー』(音楽之友社新刊) etc.

2012-07-09 05:00:00 | 音楽

7月7日(土) 雨降ったり止んだりの七夕。「青の会」主催畑中良輔先生のお別
れ会が午後2時から青山葬儀所で開催された。最初に当日の式次第を「記録」
しておこう。

<式次第>
[開式の辞]実行委員長挨拶;中村 健
[黙祷]
[弔辞]日本藝術院院長;三浦 朱門
[お別れの言葉](友人代表)演出家;栗山 昌良
[お別れの言葉](友人代表)日本演奏連盟理事長;伊藤 京子
[弔辞]長崎市副市長;古賀友一郎
[感謝の言葉](門下生代表)瀬山 詠子
[献奏]
 「八木重吉による五つの歌」ソプラノ;大島洋子 ピアノ;花岡千春
 「二つの歌」より「小さな家」
 「三つの抒情歌」より「花林」
   バリトン;小栗純一 ピアノ;小原 孝
 「花林」ピアノ独奏版 ピアノ;花岡千春
 「タンホイザー」より大行進曲
  慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声・OB・志木高・合同合唱団
  指揮;佐藤正浩 ピアノ連弾;谷池重紬子・前田勝則
[弔電拝読](司会)
[遺族挨拶]畑中貞博
[献花]遺族・親族・来賓・参列者
~「お別れの会」閉会~

当日、ワグネル・ネクタイなど忘れ物がないか十分確認し、9時36分の急行に乗
る。OB合唱団は10時50分集合のためである。最寄駅千代田線乃木坂に10時
4分に到着。10時10分に青山葬儀所に着いた。(「大切な日」には集合時間の
30分以上前に着かなければならない。)
会場準備・テスト中の中、立派な生花祭壇の、先生のお写真を拝む。喪主の貞
博さんと、「ステキなお花の祭壇ですね~。色もカラフルで、先生もさぞお喜びで
しょう」と少しくお話ができた。

11時、ワグネル控室にて吉川会長のご挨拶後、須田さんの指揮のもと、発声練
習を行う。11時半から式場祭壇前において、佐藤正浩先生の指揮で「タンホイ
ザー」大行進曲献奏の練習。通しの後、2、3細部の確認を行った。半年前--
具体的には今年1月8日に、畑中先生の指揮でこの曲を定期演奏会アンコール
として歌ったばかりなのにと思うと万感込み上げてくるものがある。

12時前から、いつも仙台から練習に参加されているW先輩、2年後輩のYさんと
会話しながら、近くの外食レストランで食事とコーヒーをとる。

午後1時過ぎから控室で待機。会場には早くも参列者が来場し始めている。「式
次第」が配られ、ゆっくり目を通す。最後に「歌は心 心は歌 畑中良輔」という先
生のサインと笑顔の写真があった。
「ワグネルの松岡修造」ことAくんは、先生の写真をワグネルブレザーのポケット
に先生の写真を入れ、「ぼくは今日はこれを胸に歌います。いや、歌えないかも
しれません・・・・・・」という。

控室のモニターには、会場の模様が中継されている。畑中良輔、更予先生ご
夫婦のスライドとともに、懐かしいお二人の米寿・卒寿NHKインタビューが
流されていた。
「米寿コンサートではお歌いになりましたが、おうちで練習されるのですか?」
(NHK)
「ぼくはうちでは練習しないんですよ。そのまま歌うだけ。昔、練習したことを身体
が覚えてるんですね。それに60、70(歳)の頃、教えていた時は恥ずかしことは
できませんでしたが、人間80歳を過ぎると(かりに)失敗してもゴメンナサイで終
わっちゃう」(畑中先生)
「ホントに、家では練習しませんし、忙しくて練習している暇もないんです」(更予
先生)
私はこのNHK録音を聴きながら、R.シュトラウス「夕映えの中で」の冒頭
 私たち 困苦と喜悦を切りぬけ
 手に手をとって(Hand in Hand) やってきた
 そのさすらいから 休もう
 今こそ 静かな国の上で。 (吉田秀和訳)
を思い出していた。

午後も小雨が降り続く。午後2時、中村健さんの開会の辞からお別れ会が始まっ
た。
「今日は雨模様の中、ご参列いただき有難うございます。先生は豊かな耳をお持
ちでした。レッスンは大変厳しく、怖かったです。しかし、お人柄は温かく、おちゃ
めなところもありました。今日は先生のお人柄と喪主貞博さんの想いに沿ったお
別れ会にしたいと思っております」(私の速記による部分要約であることをお許し
ください。以下同じ。)

初めに、全員起立のもと、先生に長い黙祷をささげた。

三浦朱門さんの弔辞--平成18年に藝術院会員になられた時はまだまだお元
気でいろいろなお話を聴かせていただきました。長年、指導、後進の育成に携わ
って来られましたが、とくに平成5年新国立劇場の初代芸術監督になられて、新
国立劇場オペラを軌道に乗せるとともに大きな足跡を残されました。今は悲しい
というより残念でなりません。

[お別れの言葉]栗山 昌良さん--畑中先輩、先輩は、自己への愛を通した他
者への愛を貫きました。あなたはぼくの「存在理由」でありました、(--このお言
葉を聴いて泣けてきた。男同士の友情!!)4歳の差は止まることなく続きました。
良輔の「輔」は人を補佐するの意。外柔内剛の人でした。天国では心でつながり
あっていた更予さんの音楽を讃えているでしょう。

[お別れの言葉]伊藤京子さん--畑中先生、どうしてこのような日が来てしまっ
たのでしょう。私の心は空っぽになってしまいました。歌劇「マルタ」をご一緒した
時、先生はトリスタン役、私はレディー・ハリエット役でした。その時、いくらトリス
タン、トリスタンと呼んでもすぐには出てきませんでした。「ゴメン、ゴメン、楽屋で
のんびりしていたのよ」ということがありました。諏訪中央病院のホスピタル・コ
ンサートを20年間続けましたね。後輩を同じ目線で教えてくださいました。ありが
とうございました。尊敬と感謝を込めて。

[弔辞]長崎副市長古賀さん--平成20(2008)年第3回から「マダムバタフ
ライ国際コンクール・イン長崎」の審査委員長をお願いしました。お忙しい中、
はたして引き受けてもらえるだろうかとおどおどしながら上京し、お願いしたと
ころ、大変お忙しい中、「地域の文化発展のためにはお引き受けしないわけに
はいかないね」とおっしゃっていただきました。私どもにとって、これほどうれし
かったことはございません。

[感謝の言葉]瀬山詠子さん--先生、良輔先生、トルコでございます。いまだ
心の準備ができておりません。(--私の目からどっと涙があふれてきた。)最
初に教えていただいてから63年がたちました。ここまでお育ていただいてあり
がとうございます。私も82歳になりました。グループ発表会なら何かできるで
しょということで、「青の会」でテーマに沿ってグループ発表会を行いました。
シューベルト600曲の全曲演奏会を毎年、シューベルトの誕生日1/31と2/1
に開催、15年間かけてやりとげました。「青(ブルー)の会」のもう一つの教え
は--いくつになっても常に自分は青二才という心を忘れるなということでご
ざいました。生徒はいつまでも先生を愛し続けています。おやすみなさい。

音楽家であり声楽家の伊藤さん、瀬山さんのお言葉は、豊かな感受性がいっ
ぱいで、「美しい日本語」であることに感動した。瀬山さんは、ノーペーパーで、
先生の遺影見つめながら、少しも詰まるところがなかった。

続いて、大島さん(ソプラノ)、小栗さん(バリトン)、花岡さん(ピアノ)の、これ
以上想いと心のこもったものはない献奏が行われた。作曲はいずれも畑中先
生である。
ワグネル120名はその後に入場、吉川会長の挨拶後、天国の畑中先生に届
けとばかり、佐藤正浩先生の指揮のもと「タンホイザー」大行進曲を高らかに
献奏した。じめじめしたことがお嫌いだった先生もきっと喜ばれたことだろう。
目の前の参列者席の女性はさかんに目にハンカチをあてていた。また別の女
性は「Heil!」が終わるや盛んに音が出ない拍手をしていた。

(司会者によるワグネルの紹介--畑中先生は38歳の時にワグネルを、初
めてアマチュアの合唱団を指導されました。最初はあまりの声の貧弱さに愕
然とされたようです。しかし、持ち前の負けじ魂を発揮され、52年間にわたっ
て、定期演奏会を休まずに指導されました。(*)
 *あれはいつだったかしらん。(今初めて言うが)定期演奏会すばらしかった
  ですと、先生にお便り(「ファンレター」)を差し上げたら、「インフルエンザ
  の39℃の高熱で指揮台から転げ落ちそうになりました」と書かれた「犬の
  絵葉書」を頂戴したことがあった。(私はインフルエンザで4年の定演を欠
  場している。)。

貞博さんのご遺族挨拶では「あわただしい時が流れましたが、夜、一人にな
った時に父は亡くなったんだということを実感します。(--突然、昨年の、私
の母の葬儀のあわただしさを思い出した。)
家では口げんかもしましたが、本当に温かな人柄でした。これから、こんな時
にブル先生ならどうするだろう?と思ってくだされば、こんなうれしいことはご
ざいません」というお言葉が印象的だった。

その後、畑中先生の霊前への献花に移った。栗山昌良さんは「じゃあな」とい
うように、遺影に向かって右手を挙げられた。思いがけず、先生の喜寿記念
CD「歌の翼に」より「海浜独唱」以下が流れ始めた(*)。ワグネルも参列者の
後に続いた。参列者はわが同期の顔も含め、年配の方からお若い方まで長い
列となった。
 (*)このブログを書いている間も、CD「歌の翼に」をリピートさせている。

いいお別れ会を企画・運営された「青の会」の皆様に心からお疲れ様でしたと
申し上げたい。先生も多くの方々とお会いになり、さぞお喜びのことでしょう。


帰路、私はワグネルの「群れ」を離れ、千代田線乃木坂駅ではなく、一人半
蔵門線青山一丁目駅まで歩いた。私の頭の中で「水のいのち」の第1曲「雨」
が鳴っていた。


当日は、グッタリ!午後8時過ぎには就寝した。




乃木坂駅5番出口へ


青山葬儀所の三叉路








記帳所








先生の幅広い交際を表すかのようにさまざまな分野の方から供花が寄せられた














控室集合


吉川会長のお話 「今日一日よろしく・・・・・・」


須田さんによる発声練習


「タンホイザー」大行進曲の通し練習後 祭壇のお写真をを見つめる


午後1時、黒塗りの車が到着し始める


当日の式次第


開始前に良輔・更予先生ご夫妻のインタビューが流れた
会場の大画面にご夫妻のお写真


大島洋子さんの献奏


大島洋子さんの献奏を控室で静聴 しわぶき一つ聴こえない


「タンホイザー」献奏のために会場外に整列









献花に並ぶ


ワグネルの献花 先生、本当にありがとうございました


ワグネルの献花が続く



『荻窪ラプソディー ~ブル先生の日々是好日~』(音楽之友社)
ステキな表紙。『音楽の友』7月号の予告では3,200円とあったが、実際は税込
2,100円であった。連載直近の6月号までが含まれており、ビックリ!
このエッセイには、高邁な「思想」が、優しい、普通の言葉で語られている。

貞博さんの「『あとがき』にかえて」が涙を誘う。
巻末に平野忠彦さんの「畑中良輔先生を悼む」という文章があった。
畑中先生にはもうサインがいただけないのが残念である。



畑中先生のCD「歌の翼に」--先生の喜寿記念 このブログでも既に取り上げた

amazonの批評コメントには、「超一級の作品です。日本の歌曲のすばらしさを
教えてくれます」とある。

このCDについては一人でも多くの方が聴かれんことを願ってやまない。
(音楽評論家畑中良輔(先生)のファンであっても、先生の歌唱を聴く(聴いた)人
は意外と少ないようだ。)

        *        *        *        *

7月5日(木) 毎週木曜のOB定例練習。退社後、いつものように野らぼーで讃
岐うどんを注文。
店長らしき人からとうとう
「(毎週木曜になると現れるけれど)木曜は何かあるんですか?」
と訊かれた。
「ハハハ、これからOBの練習があるんですヨ。その前にうどんをいつも」
「何の練習ですか?」
「男ばかり集まってやる大声を出すんですよ」
「応援団寮歌祭の練習・・・・・・?」

当日の練習は、須田さんによるファリャであったが、「尾崎喜八の~」を振った仲
光さんも練習に登場、大きな拍手で迎えられた。仲光さんからは
「本番では、みなさんとぜいたくな時間を共有できてよかったです。一つひとつ、
このような経験を積み重ねて行きましょう」と。(いいことをおっしゃいますね~。)

六連の打ち上げで気分が悪くなり、救急車騒ぎとなったBさんもお元気になられ、
この日の練習に参加された。ヨカッタ、ヨカッタ!東大アカデミカのお医者さんに
応急措置を施していただいたらしい。


今日のトッピングは かぼちゃ天 計550円也


こんにゃく座の方々(女性4人)が 9月公演「森は生きている」のPRに来られた
ブル先生と林光さんの関係は『荻窪ラプソディー』に詳しい


パトリの指示でTopだけ立って歌っているところ ファリャ「子守歌」


当社内のワグネルOB、Yさん、Hさんと意見(メール)交換、OB六連評が集まっ
てきた。
「尾崎喜八の詩」、とくに第1曲「冬野」の出だし(ツカミはバッチリ?)と終曲「かけ
す」の評判がなかなかいいようだ。やはり暗譜で演奏したことがよかっただろう。
一方では、「もっともっとさらに高みに」という想いもある。


歌う時には、1.暗譜と2.譜面持ちの二つがある。
前者には①完璧な暗譜と②不完全な暗譜があり、後者には①暗譜しているが
念のための譜面持ちと②完全な譜面かじりつきがある。1の①が最もいいのは
いうまでもない。最近読んだ話では、関学グリーは「ノーミス100回」の練習して
から本番に臨んでいたという。

1の②と2の①では後者の方がいいのかしらん。最悪はむろん2の②である。
堀俊輔さんが『ハーモニー』だったかに、暗譜の効用を書いておられた--ヴェ
ルディのレクイエムをスカラ座とベルリン・フィルハーモニーで聴いた。暗譜のス
カラ座がはるかによかったと。


ブログ作りの合間


近所の山内図書館
この日はこれを借りた
     ↓

(ダークダックスの)喜早 哲『日本の美しい歌』
軽い筆致だが、一種の戦後史となっている


近所の本屋さん KaBos(勝木書店)
ここで足りなければ、たまプラーザ有隣堂へ行く


近所のパン屋さん 四季彩館 休日の朝は混んでいる







神奈川近代文学館で 「中野重治の手紙 愛しき者へ」展を開催している
できれば行きたいが、時間がとれるだろうか・・・・・・


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6 コメント

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伊藤京子さん (sho)
2012-07-11 23:33:07
学生時代には二期会ニュージカル「学生王子」で中村健さんがカール・フランツ、ワグネル定演でのタンホイザーのエリザベートは瀬山先生、グランフォニックの「水のいのち」の朗読は伊藤先生でした。畑中門下生はすごいですね。
八木重吉の何回忌?に畑中ご夫妻が訪れ歌ったそうですね。「八木重吉の五つの歌」向川原さん編曲でグランフォニックが男声合唱曲として初演、録音を先生に捧げました。OB合唱団でも歌って欲しい曲です。
返信する
RE;伊藤京子さん (katsura1125)
2012-07-13 20:26:21
shoさん、初コメント(?)有難うございます。

畑中先生は、こういう表現がいいかどうか分かりませんが、目利きならぬ耳利きでらっしゃいました。

PS伊藤京子さんは畑中先生門下ではなく、「師匠」は立川清登さんなどと同様マルガレーテ・ネトケ=レーヴェさん(1884~1971)かと。

畑中先生にとって伊藤京子さんは年少ながら日本歌曲の同志だったのではないかしらん。
返信する
情報源はブログ (齊藤弘子)
2012-07-15 01:22:07
畑中先生の新盆ですね。東京では新暦で行いますから。
先生の魂は帰っておいででしょうか。

魂があるとすることには、悲しみを浄化する作用がある、と思います。
魂というのは、死してなお、つながりは切れないと感じさせ、喪失感に耐え得るよう、遺されたものの為にあるのではないか…。昨年3月13日に父を天に送ってから、そんなふうに思うようになりました。

畑中先生の訃報は【讃州へんこつ倶楽部】というブログを見て知りました。新聞記事は見落としていました。
このブログの筆者は、同志社OB、香川グリークラブの指揮者・Tさんです。私は3年来の読者でございます。

5月26日【追悼~畑中良輔先生】というタイトルのブログが更新されました。
ブログには先生の演奏スタイルを偲ぶよすがとして【東京景物詩】のYouTubeが貼り付けてありました。1996年12月14日の演奏です。私はこの数年、夢にまで見た《あらせいとう》の演奏をこのような形で聴くことができたのでした。

『♪人知れず袖に涙のかかるとき~』もうここから涙がこぼれました。植物園であらせいとうの種をとる子供と愛する人の姿を重ねているんですね。私の息子くらいの人たちの演奏だと思うと…涙が止まりませんでした。畑中先生がご指導なさったのですね。きっと先生の伝えるイメージをスポンジのように吸収したのですね。
赤い夕日が消えゆく情景が浮かびます。白秋の想いが消えゆく旋律に重なります。お見事です。男声合唱は内なる心まで表現できるのですね。
私は、この一曲しか聴きませんでした。
一度に聴いてしまうのが勿体ない。惜しみ惜しみ、聴きたいと思います。

Tさんのブログには時おりコメントを投稿させていただいております。
Tさんは、私のコメントを『ズッパマリの男声合唱オタクの思考経路のようなコメント』と書いておられます。
まったく、その通りなんです(笑)

もう一曲、今夜、偶然見つけました。1990年12月14日の定演のYouTube。畑中先生がアンコールに応えてご挨拶されています。「皆様、楽しんでいただけましたでしょうか? 年の暮れになってまいりました。ではお聴き下さい。《年の別れ》」

初めて聴く曲です。
『ゆく年は音にさえたてぬ』と聞こえます。
ゆく年って、“逝く年”?
これ、惜別の歌ではありませんか?
きれいなハーモニーを聴きながら、また涙、の私です。

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Re;情報源はブログ (katsura1125)
2012-07-15 08:12:01
齊藤様、コメントありがとうございます。

畑中先生/ワグネルの「東京景物詩」(北原白秋作詩、多田武彦作曲)は、私も生演奏を聴きましたが、まさしく「絶品」でした。

「年の別れ」は多田さんの作曲、原詩は堀口大學の作詩です。畑中先生/ワグネルの定演では、数回アンコールとして演奏しています。

返信する
鳩笛の唄 (sho)
2012-07-15 23:39:05
畑中先生による定演アンコール曲集で134回の定演のアンコール「鳩笛の唄」を聴き泣きました。これこそ畑中先生のレクイエムだと。中田喜直作曲、今まで一度も無二の親友の合唱曲を振られてないのに(オリジナルの男声合唱はない?)、急にどうしたのかな、と思いましたが、いよいよワグネルの指揮を降りる前触れだったのでしょうか。私は行けなかったのですが136回のタンホイザーの大行進曲は圧巻でした。ステージの現役と客席のOBの声がうねって聴こえました。その世紀の瞬間を共にできなかったことは残念ですが、今日一緒に歌えたような気がします。
返信する
Re;鳩笛の唄 (katsura1125)
2012-07-16 07:09:31
shoさま、コメントありがとうございます。

「鳩笛の唄」はいい曲ですね~。奏楽堂のコンクールなどでも歌われるようになってきたようです。
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