別のテーマのブログを準備しているが、ウクライナ問題がますま
すヒートアップしているので、こちらを優先したい。
慶應大学教授細谷雄一氏が昨2/23付産経新聞「世界を解く」で次
のとおり書いている(一部抜粋)。
ロシアは、冷戦終結時にNOTOが東方拡大をしないとした約束を反故にし
たと主張するが、そのような国際合意は存在しない。むしろウクライナのク
リミア半島を併合したロシアこそ1994年にウクライナの主権と国境を尊重す
ると明記し、自らも署名した「プダペスト覚書」などの合意を反故にしてい
る。
ロシア系住民保護を名目に軍事力で威嚇し、「戦争しない代わりに譲歩せよ」
と欧米に迫る手法は、ヒトラーが戦前、ミュンヘン会談で当時のチェコスロ
バキアの一部割譲を英国などにのませたやり方と酷似している。国連憲章を
中心とする戦後の国際秩序の根底を破壊する行為だ。
あらためて、山川の『詳説世界史B』などを参考に、ナチス・ド
イツが1930年代に行ったことを整理すると・・・・・・
1933 「軍事平等権が認められない」として、国際連盟を脱退
1935 住民投票によりザール地方を編入
1935 再軍備を宣言
1936 ロカルノ条約を破棄、ラインラント進駐
(この時、フランスはイギリスに飛んで、打つ手を相談している。が結局、既
成事実を認めてしまった)。
1938 民族統合を名目にオーストリア併合
1938 ミュンヘン会談~ズデーテン地方のドイツへの割譲
1939 チェコスロバキア解体(ボヘミア、モラヴィアを保護領に、
東半分のスロヴァキアを保護国に)。ポーランドにもダンツィ
ヒの返還を要求。
ドイツの行動に刺激され、イタリアもアルバニアを併合。
→英仏は、ポーランドとギリシアの安全保障を約束。
→ポーランドはドイツにダンツィヒ割譲を拒否。
→ドイツは独ソ不可侵条約を締結。→ドイツのポーランド侵攻。
細川先生が書かれたとおり、現在のロシアの「膨張」は、1930年
代のドイツの動きと酷似している。
ミュンヘン会談もさることながら、今から見れば、ラインラント
進駐が大きかった。
現在は、もしも1938年あたりに当たるとすれば、近い将来、ウク
ライナはロシアの保護国になることになる。
<参考書>
結局は、教科書が一番参考になる。
「ヒトラー」の研究も「進化」している。
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ロシアは「不戦条約」もあらばこそ、軍事力でウクライナを保護国化することでしょう(予想が外れることを願っていますが)。
「ウクライナの領土に野心はない」、と言っていますが、「日華事変」で日本(軍部)が中国(蒋介石政権)言っていたことを思い出します。