9月16日(金)午後、Yさんのお家で一服後、一人東北大学散策へ。
魯迅記念館や、近くには阿部次郎記念館があるよと聞き、張り切っ
て出発。
結局、東北学院大学まで足を延ばし、終わってみれば1万歩以上の
ウォーキングとなった。
Walking aloneはまた楽しからずや。独語だとEinsamkeit(アイ
ンザームカイト)の楽しみ?二人で歩けばZweisamkeit?
「杜の都」仙台はいいところだ。ウィークリー・マンションを借りて、短
期滞在してみるのもいいかも。
13:33
Yさんから「ここをひたすらまっすぐ行くと東北大学」と教わり、出発!
13:35 YAMAHAがあった(そりゃ、あるかな)。
13:40 結構大きな、町の書店
13:42 ひたすら歩く。
13:44 文化都市だけあって、古書店もある。北向き?
13:45 一番町一丁目
13:45 まもなく東北大学
13:47 日本基督教団仙台東一番丁教会
13:47 東北大学北門
<東北大学>
東北大学は、少しややこしいのだが、創立は明治40(1907)年。
私が高校を卒業する年は、東大の入試が中止になり、同期のTop
I君は現役合格で東北大学理学部に進んだ。
13:48
13:49 片平北門会館
13:50 本多記念館 金属材料研究所
理科系にはすっかり弱いが、そんな私でも「本多」といえば、本多光
太郎(1870-1954)の名は知っている。
13:51
13:51 「本多光太郎先生像」
13:51
1870年2月23日愛知県岡崎市矢作に生まれる。・・・・・・
13:52
13:52 金属材料研究所
13:54 阿部次郎記念館の案内標識がある。
13:55 小川記念園 小さな庭園だ。
13:55 小川正孝先生(1865-1930)は第4代総長
13:56 東北大正門前バス停
13:58 東北大学正門
13:59
14:00 東北帝国大学理科大学創設の地記念碑
14:01 東北大学史料館
14:01
14:02 2階「魯迅と東北大学」
14:04 1階
14:05 2階「魯迅と東北大学」
魯迅(周樹人;1881-1936)が東北大学の前身である仙台医学専
門学校に留学していたとは知らなかった。
14:07 撮影禁止、ではなさそう。
14:07 写真は「広瀬川付近から片平方面をのぞむ(1913年頃)」
14:10 藤野教授の研究室
「私の講義は、筆記できますか」と彼は尋ねた。
「少しできます」
「持ってきて見せなさい」
私は筆記したノートを差し出した。彼は、受け取って、一、二日してか
ら返してくれた。そして、今後毎週持ってきてみせるように、と言った。
持ち帰って開いてみたとき、私はびっくりした。そして同時に、ある種
の不安と感激とに襲われた。私のノートは、はじめから終わりまで、
全部朱筆で添削してあった。(「藤野先生」より)
14:11 添削ノート
14:12 魯迅(1881-1936)の足跡
魯迅は、後記阿部次郎と同世代だ。
14:15 本多光太郎ほか
14:16 阿部次郎ほか
14:18 北杜夫展「ユーモアがあるのは人間だけです」
北杜夫(1927-2011)は東北大学医学部の出身だ。
14:19 魯迅先生像
14:20
14:21 東北大学包摂校 宮城県女子専門学校の碑
14:21 沿革
大正10年 宮城県第二高等女学校内に高等科設置 ~
14:22 仙台医学専門学校の跡地
14:22 「尚志」
「一高」;東京(1886)、「三高」;京都(1894)に対し、
「二高」;仙台(1887)である。
戦前に暗殺された蔵相井上準之助(1869-1932)は、二高の出身
であった。
14:23 眞島利行先生像 →こちら。
14:23
14:24
14:24
14:25
14:32
14:33 魯迅が学んだ講義室
14:34
14:37
14:39 東北大学正門を出て左へ。
14:40 案内標識に従って阿部次郎記念館に向かう。
14:46 NTT米ヶ袋第4社宅 使われていない?
14:48 ここを左折。
14:49 あった~!阿部次郎記念館 ひとり感激!だ。
<阿部次郎記念館>
14:49
14:50 阿部次郎記念館正面
休館日は日曜日、祝祭日(日曜に行っても休みなので要注意)。
休館日ではないが鍵がかかっている。玄関のブザーを押したら、女
性が出てきて、「どうぞ、どうぞ」。
阿部次郎『三太郎の日記』(角川選書)
『三太郎の日記』は、学生時代、勉強もせず、繰り返し読んだものだ。
現代の学生はもう読まないかしらん。
14:55
玄関を上がって、記帳する。
「横浜にも青葉区があるんですね~」
「そうなんです。仙台市が先でしょうけど」
「館内の写真撮影はよろしいでしょうか」
「どうぞ、どうぞ」。
14:55 阿部次郎の机といす
阿部次郎(1883-1959)は、東北帝大法文学部美学講座の初代教
授だった。小泉信三より5歳年長だ。
14:57 夏目漱石の書状(明治43年6月21日付)
朝日新聞文芸欄に掲載された次郎の「『それから』を読む」(6月18
日、20日、21日)への礼状(from夏目漱石)
「作家は評家により始めて理解せらるべきものかと思ひ候位に候。
多くの作家が一二行の悪口で葬らるる中に小生は君の如き批判を
受くるは面目にも光栄にも有之改めて御礼申上候 草々頓首」
で結ばれている。
次郎は、この書評執筆を契機として漱石との交際を深めていく。
14:57
14:59
14:59 昭和24年6月24日撮影(撮影;土門拳)阿部次郎65歳
土門拳は、阿部次郎と同郷(山形県出身)で交流があった。
先生は、非常な写真嫌いだった。新聞社などが撮りに来ても、
みな玄関払いを喰わせられるのだった。
・・・・・・
「ぼくの顔の写真権は、すべて土門君にお譲りしましたから」。
(土門拳)
15:00 「阿部次郎と山形・宮城」
15:00
15:01
15:01 撮影;土門拳
15:02 大正5年12月9日の日記 漱石逝去の感慨
右の写真は若かりし頃
どんな老人にも「青春時代」があった。
15:02
15:04 弟3人も学者だ。
15:08 「縛り地蔵」
「伊東七十郎」って知ってる?
「までぇに街いま(河北新報夕刊編集部さん」ご参照→こちら。
(「までぇに」とは「丁寧に」という意味)。
「伊達騒動」もご参照→こちら。
15:09 「米ヶ袋」縛り地蔵尊
このあたりは、その昔、刑場だったようだ。
15:10 お地蔵様が縄で縛られている。
15:11 広瀬川と米ヶ袋スポーツ公園
15:12 民家にサルスベリ
15:16 米ヶ袋 鹿子清水道
<東北学院大学>
15:18
15:19 この建物が東北学院大学ホーイ記念館
W.E.ホーイは、東北学院「三校祖」の一人。
あとの二人は、押川方義、D.B.シュネーダー。
15:20 「地の塩 世の光」マタイによる福音書 5章13、14節
15:21 ホーイ記念館内 石窯パン工房ば~すでい
ホーイ記念館は今年(平成28年)3月竣工した。
パン&カフェ「ば~すでい」は、9月12日(月)にオープンしたばかり
だ。
15:22 東北学院大学正門(土樋キャンパス)
東北の名門東北学院大学は1886年創立--今年は創立130周年
だ。
正門からキャンパスにのこのこ入っていくと、眼光鋭い守衛さんに呼
び止められる。
「どこへ行くんですか」
「はあ、古い建物があると伺って・・・・・・」
「デフォレスト館ですね」
「見学してもいいでしょうか」
「どうぞどうぞ。これから修理するところですが」
15:25 デフォレスト館(旧シップル館)
木造2階建ての洋館。明治20(1887)年建築。来年は築130年に
なる。来日した、米国の宣教師J.H.デフォルトの住宅だった。
平成25(2013)年3月 国の登録有形文化財に登録される。
平成28(2016)年5月 国の重要文化財に指定される旨の答申が
出される。
15:25
15:26 デフォレスト館反対側より
15:27 音楽館 現在、立ち入り禁止
15:28 音楽館裏手
15:30
15:30
15:33
15:35
15:36 遠くに「東北学院大学」の文字が見える。
15:39 →こちらもご参照。
15:41
15:42 ラーハウザー記念東北学院礼拝堂
15:44
15:44
15:45
15:45 東北学院礼拝堂 昭和6年 A.D.1931
15:49
15:49 本館
15:50 「東北学院校歌」
作詞・作曲 E.H.ゾーグ 和訳;青木義夫
大正10(1921)年6月
15:50
15:51 「LIFE, LIGHT and LOVE for the World」
15:52
15:54 西友は、かつてセゾングループだったが、今はウォルマート
グループだ。
16:01
16:01 二十三夜堂
これも「までぇに 街いま」ご参照→こちら。
16:02 華僑会館
16:05
16:06 「北目町通り」交差点
16:06 仙台国際ホテル
16:09 自転車道がセパレートされている。
16:12 東二番丁通り(=国道286号線--旧国道4号線)
現在の国道4号線は、仙台バイパスとなっている。
16:14
16:16 「おおまち」のアーケードに戻ってきた。
16:17 学校帰り?
16:19
いったんYさんのお家に戻り、荷物を持ってホテルにチェックインへ。
16:48
16:48
16:49
16:50 3階フロント
16:52
16:54
あらためて地図を見たら、お住いの近くを歩いていたのですね~。
調べたら、魯迅の下宿先も近くにあったんですね。この次には是非立ち寄り、そして、またご紹介したいと考えております。
暇と時間はいくらでもあるので。お金は・・・・・・?