人生ブンダバー

読書と音楽を中心に綴っていきます。
現在は、暇に飽かして、日々更新。

9/16 仙台にて(2) 東北大学~阿部次郎記念館~東北学院大学

2016-09-24 05:00:00 | Weblog

9月16日(金)午後、Yさんのお家で一服後、一人東北大学散策へ。

魯迅記念館や、近くには阿部次郎記念館があるよと聞き、張り切っ
て出発。

結局、東北学院大学まで足を延ばし、終わってみれば1万歩以上の
ウォーキングとなった。

Walking aloneはまた楽しからずや。独語だとEinsamkeit(アイ
ンザームカイト)の楽しみ?二人で歩けばZweisamkeit?

「杜の都」仙台はいいところだ。ウィークリー・マンションを借りて、短
期滞在してみるのもいいかも。



13:33
Yさんから「ここをひたすらまっすぐ行くと東北大学」と教わり、出発!


13:35 YAMAHAがあった(そりゃ、あるかな)。


13:40 結構大きな、町の書店


13:42 ひたすら歩く。


13:44 文化都市だけあって、古書店もある。北向き?


13:45 一番町一丁目


13:45 まもなく東北大学


13:47 日本基督教団仙台東一番丁教会


13:47 東北大学北門

<東北大学>

東北大学は、少しややこしいのだが、創立は明治40(1907)年。

私が高校を卒業する年は、東大の入試が中止になり、同期のTop
I君は現役合格で東北大学理学部に進んだ。


13:48


13:49 片平北門会館


13:50 本多記念館 金属材料研究所

理科系にはすっかり弱いが、そんな私でも「本多」といえば、本多光
太郎(1870-1954)の名は知っている。


13:51


13:51 「本多光太郎先生像」


13:51
1870年2月23日愛知県岡崎市矢作に生まれる。・・・・・・


13:52


13:52 金属材料研究所


13:54 阿部次郎記念館の案内標識がある。


13:55 小川記念園 小さな庭園だ。


13:55 小川正孝先生(1865-1930)は第4代総長


13:56 東北大正門前バス停


13:58 東北大学正門


13:59


14:00 東北帝国大学理科大学創設の地記念碑


14:01 東北大学史料館


14:01


14:02 2階「魯迅と東北大学」


14:04 1階


14:05 2階「魯迅と東北大学」

魯迅(周樹人;1881-1936)が東北大学の前身である仙台医学専
門学校に留学していたとは知らなかった。


14:07 撮影禁止、ではなさそう。


14:07 写真は「広瀬川付近から片平方面をのぞむ(1913年頃)」


14:10 藤野教授の研究室

「私の講義は、筆記できますか」と彼は尋ねた。
「少しできます」
「持ってきて見せなさい」
私は筆記したノートを差し出した。彼は、受け取って、一、二日してか
ら返してくれた。そして、今後毎週持ってきてみせるように、と言った。
持ち帰って開いてみたとき、私はびっくりした。そして同時に、ある種
の不安と感激とに襲われた。私のノートは、はじめから終わりまで、
全部朱筆で添削してあった。(「藤野先生」より)


14:11 添削ノート


14:12 魯迅(1881-1936)の足跡

魯迅は、後記阿部次郎と同世代だ。


14:15 本多光太郎ほか

 
14:16 阿部次郎ほか


14:18 北杜夫展「ユーモアがあるのは人間だけです」

北杜夫(1927-2011)は東北大学医学部の出身だ。


14:19 魯迅先生像


14:20


14:21 東北大学包摂校 宮城県女子専門学校の碑


14:21 沿革
大正10年 宮城県第二高等女学校内に高等科設置 ~


14:22 仙台医学専門学校の跡地


14:22 「尚志」
「一高」;東京(1886)、「三高」;京都(1894)に対し、
「二高」;仙台(1887)である。
戦前に暗殺された蔵相井上準之助(1869-1932)は、二高の出身
であった。


14:23 眞島利行先生像 →こちら


14:23


14:24


14:24


14:25


14:32


14:33 魯迅が学んだ講義室


14:34


14:37


14:39 東北大学正門を出て左へ。


14:40 案内標識に従って阿部次郎記念館に向かう。


14:46 NTT米ヶ袋第4社宅 使われていない?


14:48 ここを左折。


14:49 あった~!阿部次郎記念館 ひとり感激!だ。

<阿部次郎記念館>


14:49


14:50 阿部次郎記念館正面

休館日は日曜日、祝祭日(日曜に行っても休みなので要注意)。
休館日ではないが鍵がかかっている。玄関のブザーを押したら、女
性が出てきて、「どうぞ、どうぞ」。



阿部次郎『三太郎の日記』(角川選書)

『三太郎の日記』は、学生時代、勉強もせず、繰り返し読んだものだ。
現代の学生はもう読まないかしらん。


14:55 
玄関を上がって、記帳する。
「横浜にも青葉区があるんですね~」
「そうなんです。仙台市が先でしょうけど」

「館内の写真撮影はよろしいでしょうか」
「どうぞ、どうぞ」。


14:55 阿部次郎の机といす

阿部次郎(1883-1959)は、東北帝大法文学部美学講座の初代教
授だった。小泉信三より5歳年長だ。


14:57 夏目漱石の書状(明治43年6月21日付)

朝日新聞文芸欄に掲載された次郎の「『それから』を読む」(6月18
日、20日、21日)への礼状(from夏目漱石)
「作家は評家により始めて理解せらるべきものかと思ひ候位に候。
多くの作家が一二行の悪口で葬らるる中に小生は君の如き批判を
受くるは面目にも光栄にも有之改めて御礼申上候 草々頓首」
で結ばれている。
次郎は、この書評執筆を契機として漱石との交際を深めていく。


14:57


14:59


14:59 昭和24年6月24日撮影(撮影;土門拳)阿部次郎65歳

土門拳は、阿部次郎と同郷(山形県出身)で交流があった。

 先生は、非常な写真嫌いだった。新聞社などが撮りに来ても、
 みな玄関払いを喰わせられるのだった。
 ・・・・・・
 「ぼくの顔の写真権は、すべて土門君にお譲りしましたから」。
 (土門拳)



15:00 「阿部次郎と山形・宮城」


15:00


15:01


15:01 撮影;土門拳


15:02 大正5年12月9日の日記 漱石逝去の感慨
右の写真は若かりし頃

どんな老人にも「青春時代」があった。


15:02


15:04 弟3人も学者だ。


15:08 「縛り地蔵」
「伊東七十郎」って知ってる?
「までぇに街いま(河北新報夕刊編集部さん」ご参照→こちら
(「までぇに」とは「丁寧に」という意味)。

「伊達騒動」もご参照→こちら


15:09 「米ヶ袋」縛り地蔵尊
このあたりは、その昔、刑場だったようだ。


15:10 お地蔵様が縄で縛られている。


15:11 広瀬川と米ヶ袋スポーツ公園


15:12 民家にサルスベリ


15:16 米ヶ袋 鹿子清水道

<東北学院大学>


15:18


15:19 この建物が東北学院大学ホーイ記念館

W.E.ホーイは、東北学院「三校祖」の一人。
あとの二人は、押川方義、D.B.シュネーダー。


15:20 「地の塩 世の光」マタイによる福音書 5章13、14節


15:21 ホーイ記念館内 石窯パン工房ば~すでい

ホーイ記念館は今年(平成28年)3月竣工した。
パン&カフェ「ば~すでい」は、9月12日(月)にオープンしたばかり
だ。


15:22 東北学院大学正門(土樋キャンパス)

東北の名門東北学院大学は1886年創立--今年は創立130周年
だ。

正門からキャンパスにのこのこ入っていくと、眼光鋭い守衛さんに呼
び止められる。

「どこへ行くんですか」
「はあ、古い建物があると伺って・・・・・・」
「デフォレスト館ですね」
「見学してもいいでしょうか」
「どうぞどうぞ。これから修理するところですが」


15:25 デフォレスト館(旧シップル館)

木造2階建ての洋館。明治20(1887)年建築。来年は築130年に
なる。来日した、米国の宣教師J.H.デフォルトの住宅だった。

平成25(2013)年3月 国の登録有形文化財に登録される。
平成28(2016)年5月 国の重要文化財に指定される旨の答申が
出される。


15:25


15:26 デフォレスト館反対側より


15:27 音楽館 現在、立ち入り禁止


15:28 音楽館裏手


15:30


15:30


15:33


15:35


15:36 遠くに「東北学院大学」の文字が見える。


15:39 →こちらもご参照。


15:41


15:42 ラーハウザー記念東北学院礼拝堂


15:44


15:44


15:45


15:45 東北学院礼拝堂 昭和6年 A.D.1931


15:49


15:49 本館


15:50 「東北学院校歌」
作詞・作曲 E.H.ゾーグ 和訳;青木義夫 
大正10(1921)年6月


15:50


15:51 「LIFE, LIGHT and LOVE for the World」


15:52


15:54 西友は、かつてセゾングループだったが、今はウォルマート
グループだ。


16:01


16:01 二十三夜堂
これも「までぇに 街いま」ご参照→こちら


16:02 華僑会館


16:05


16:06 「北目町通り」交差点


16:06 仙台国際ホテル


16:09 自転車道がセパレートされている。


16:12 東二番丁通り(=国道286号線--旧国道4号線)

現在の国道4号線は、仙台バイパスとなっている。


16:14


16:16 「おおまち」のアーケードに戻ってきた。


16:17 学校帰り?


16:19
いったんYさんのお家に戻り、荷物を持ってホテルにチェックインへ。


16:48


16:48


16:49


16:50 3階フロント


16:52


16:54

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2 コメント

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学都なのです仙台は (tani)
2016-09-29 16:38:10
学都仙台の紹介ありがとうございます。感激しました。というのも、私は鹿子清水の自宅マンションから毎日、片平キャンパスを抜けて通勤しているからです。今でも「大学に通っている」のです。よく買い物にいく西友スーパーや、東北学院大学も宣伝してもらいました。ぜひ行ってほしかったのは、魯迅の下宿先です。広瀬川そばで古ぼけてますが、まだ現役。中国の国家主席も来日時に仙台に来たほどです。
返信する
Re;学都なのです仙台は (katsura1125)
2016-09-30 17:29:04
taniさま、コメント有難うございました。

あらためて地図を見たら、お住いの近くを歩いていたのですね~。

調べたら、魯迅の下宿先も近くにあったんですね。この次には是非立ち寄り、そして、またご紹介したいと考えております。

暇と時間はいくらでもあるので。お金は・・・・・・?
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