人生ブンダバー

読書と音楽を中心に綴っていきます。
現在は、暇に飽かして、日々更新。

レオンカヴァッロ歌劇「道化師」 有馬学『帝国の昭和』(講談社学術文庫) etc.

2011-07-04 05:00:00 | 音楽

6月29日(水) 東京は13時過ぎに35℃を超え、今年初の猛暑日となった。今年は
去年より暑くないということではなかったかしらん。先が思いやられるとはこのことで
ある。

7月1日(金) 光陰矢のごとし。今年も早くも半年が過ぎた。会社では節電のために
エレベーターの稼働も半分になり、蛍光灯も間引かれた。冷房も28℃設定である。
月初の会社を定時に失礼し、横浜みなとみらいホールで「池辺晋一郎プロデュース・
オペラの音符たち」というおもしろい音楽会を聴いた。

夕食は、マイお気に入り、スープストックトーキョー(横浜ランドマークプラザ店)で
「8種の野菜と鶏肉のスープ+白胡麻ご飯」(760円)をいただく。本当においしい。
(下の写真をご参照)

「池辺晋一郎プロデュース・オペラの音符たち」
【第1部】
池辺晋一郎:「黄金の日々」
ミハイル・グリンカ:歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲
カール・マリア・フォン・ウェーバー:歌劇「魔弾の射手」序曲
ジョルジュ・ビゼー:歌劇「カルメン」第3幕への間奏曲
ジュゼッペ・ヴェルディ:歌劇「運命の力」序曲
--休憩20分--
【第2部】
ルッジェーロ・レオンカヴァッロ 歌劇「道化師」
(演奏会形式・イタリア語上演・字幕付)

指揮:沼尻竜典
管弦楽:トウキョウ・モーツァルト・プレーヤーズ

カニオ:水口 聡(テノール)
ネッダ:北原瑠美(ソプラノ)
トニオ:牧野正人(バリトン)
ペッペ:渡邉公威(テノール)
シルヴィオ:大山大輔(バリトン)

合唱
栗友会合唱団(合唱指揮:栗山文昭)
小田原少年少女合唱隊(合唱指揮:桑原妙子)

18:58 オーケストラが入場。第1ヴァイオリン10名~コントラバス3名の規模であ
る。紀尾井シンフォニェッタと同様の室内管弦楽団である。
19:00 ちょうどに沼尻さんが登場した。沼尻さんは、昨年オペラ「鹿鳴館」で初めて
聴いたが、ステージ上で見るのは初めてだ。身長は172cmくらいかしらん。
大河ドラマのテーマ「黄金の日々」(池辺晋一郎作曲)からスタートした。1曲終わった
ところで池辺さんが登場。沼尻さんとのトークが始まった。大河ドラマの話はタイガい
にして、とシャレが入る。うかうかしているとシャレに気づかない。2曲目は「ルスラン
とリュドミラ」序曲--沼尻さんの居合い抜きと前傾姿勢に弦も大きく揺れた。「魔弾
の射手」序曲を聴いたのは中学時代以来かしらん。

再び、池辺さんがパリアッチTシャツで登場。(--パリアッチTシャツは2000円。ロ
ビーで飛ぶように売れていた。)お二人のオペラ序曲の話がプロ的だった。すべてプ
ロの話は本物だ。続いて、ヴェリズモ・オペラに影響を与えたといえる「カルメン」の間
奏曲。岩佐さんかしらん、フルートが絶品だった。最後の「運命の力」序曲も大変よか
った。厚みはないが、若々しい溌剌とした音だった。

休憩から戻ると正面スクリーンには「第2部 道化師」の文字。

19:57 栗友会(約35人の混声)が譜面をかかえて入ってきた。続いて、いつもの民
族衣装風の小田原少年少女合唱隊(30人強)がその前列に入った。小田原のみな
さんは暗譜のようだ。
20:00 ちょうどに池辺さんがマイク片手に登場。「ヴェリズモ(verismo;真実=現
実主義)オペラ」について、下世話な世界。要は新聞の三面記事、某週刊誌の「黒い
報告書」ですという説明が大変勉強になる。

第1幕
<前奏曲~プロローグ>(トニオ)牧野さんが最初から立派な、大きな声を聴かせてく
れた。見事な最高音!-- g くらいかしらん?いやもっと高いのカナ?バリトンなの
に・・・・・・。
<こっちよ!>(村の男女)アインザッツがよくそろっていた。会場のせいかしらん、座
席(1C12-12)のせいかな、合唱がやや遠く感じた。奥へ伸びるのか、もう少し後で
聴いた方がよかったかもしれない。
<今夜23時をお忘れなく>(カニオ)水口さんは昔より太られたかしらん。文字どおり
お腹の底から、そして全身から声が出ていた。
<あの目つきは炎のようだったわ>(ネッダ)北原さんは初めて聴いたが、お上手。も
う少し図太い色気があってもよかったカナ?
<ネッダ!シルヴィオ!>(ネッダ、シルヴィオ)バリトンの大山さんも私は初めて。うま
い人は次々に出てくる。
<衣裳を着けろ>前半の見せ場。指揮・伴奏も見事に付けていた。カニオは後奏で静
かに退場したが、再登場するや大きなブラボーで迎えられた。イタリア歌劇には「歌」
がある。

会場暗転の間に小田原少年少女合唱隊が退場。(お疲れさま!でした。)

第2幕
<間奏曲>
<ほら!早く!>(村人たち、トニオ、ペッペ)このあたり盛り上がりもよかった。
<コロンビーナとアルレッキーノ>劇中劇。ネッダが紅いドレスで登場。アルレッキーノ
の歌もいい。
<もう俺はパリアッチョじゃないぞ>(カニオ、ネッダ、シルヴィオ、トニオ、村人)芝居
と現実が分からなくなる場面が緊迫。カニオはとうとう最後まで高音をはずさなかっ
た。「芝居は終わりました」。(21:20)

カーテンコールには、小田原少年少女合唱隊のみなさんが再登場。合唱指揮の栗
山先生、桑原先生も拍手で迎えられた。ソリストの最後には水口さんが大拍手に迎
えられ登場。水口さんは喉に手をやり、「もう歌えません」のジェスチャーだった。

字幕も見やすくてよかった!これだけ一流の人たちをそろえて、「下世話にいえば」
全席指定4,000円とは破格のお値段!だった。




横浜ランドマークプラザ店


8種の野菜と鶏肉のスープ


大道芸のコマーシャル


横浜みなとみらいホール正面


開演前のステージ


プログラム小冊子



北原謙二
6月28日(火) NHK歌謡(火曜?)コンサートで池田輝郎さんが「若いふたり」を歌っ
ていた。「若いふたり」は昭和37(1962)年、北原謙二(当時23歳)が歌って大ヒット
となった。この歌は父(44歳)が大好きでよく歌っていた。私は、小学6年生だった。
今でも暗譜で歌うことができる。
YouTubeで北原謙二の「若いふたり」を聴くうち、同じく北原のYouTube「ふるさとの
はなしをしよう」にハマッた。この曲はキダ・タローの代表作だ。当時の日本は高度成
長期だった。
浪商野球部OB北原謙二さんは平成17(2005)年、惜しくも65歳で亡くなった。


携帯電話とパソコン
6月28日(日) よく分からないことだが、使用している携帯電話が使えなくなります
というお知らせが来たので、やむなく買い替えた。機能も少しレベルアップ、キノウまで
なかった万歩計機能に便利している。

7月2日(土) 平成18年(2006)2月に購入したパソコンの調子が悪く、我慢して使
っていたが、完全に動かなくなってはデータ移行もかなわないと、とうとう買い替えた。
パソコンはどうも4、5年で劣化し、それが寿命のようだ。
平成11(1999)年、最初に買ったパソコンは20万円以上したが、今回は機能もアッ
プし、9万円ほどだ。テレビなど使用しない機能は、無駄なのでカットした。このブログ
記事は新しいパソコンで作成したものである。ソフトはWindows XPから7へ2段階
レベルアップ。反応がはやくてうれしいが、慣れるにはしばらくかかりそうだ。


東西四連
7月3日(日) 2年ぶりの東京開催となる東西四連を聴いた。今回は珍しく4大学と
も邦人作曲家の男声合唱曲である。感想は次回の「人生ブンダバー」に掲載予定。

(一言でいえば、みんなよかった!、といっては「家族そろって歌合戦」の講評のよ
うになってしまうが。さすがに各校の「強み」を生かした演奏ばかりであった。)
昭和女子大人見記念講堂17:30~20:40


有馬学『帝国の昭和』(講談社学術文庫) ★★★★★
昨年5月講談社学術文庫「日本の歴史」シリーズから本書が出版された。大正13
(1914)年から昭和20(1945)年までを記述している。
文庫版における「日本の歴史」は中公文庫が最初かしらん。戦前の昭和に関して中
公文庫版では大内力『ファシズムへの道』、林茂『太平洋戦争』が昭和49(1974)年
に出版されている。かたや小学館では文庫として「昭和の歴史」シリーズを昭和63
(1988)年に発刊した。
今回購入した『帝国の昭和』は、まだ読み始めたところだが、平成14(2002)年に
刊行されたものを文庫化したものであり、従来の上記文庫版の著者よりも一世代若
い、昭和20(1945)年生まれの有馬学によって書かれている。したがって、といえ
るのか、「異文化としての過去」として書かれているのが特色である。
少し長くなるが、本書のプロローグから引用しよう。

 多くの人にとって、昭和戦前期という時代のイメージは<戦争>を軸に形づくられて
 いるはずである。それがまったく間違いというわけではない。しかし昭和戦前期の
 日本は、別に毛められたレールの上を戦争と敗戦に向けてひた走っていたわけで
 はないし、当時の日本人が戦争だけしていたわけでもない。この本がとりあえず目
 指すのは、戦争だけしていたわけではない日本人の多様な営みをとらえたいとい
 う、歴史記述としてはごく当たり前の目標である。

 だが、この当たり前の目標を達成しようとすることは、それほど簡単ではない。その
 理由は、やはり<戦争>にある。昭和戦前期という時代のキーワードが<戦争>で
 あるということは、そこには一種類の設問しか存在しないということでもある。すな
 わち、日本人はなぜあるような愚かな戦争をしたのか、という問いである。誤解を恐
 れずに言えば、この問いに答えるのはある意味では簡単な事だ。だれも戦争それ
 自体が愚かだとも悪だとも思っていなかったからである。

 今日の日本において、戦争そのものが絶対悪であるという価値観は、多くの人々
 にとって当然の前提であり、認識枠組みの基本である。しかし、昭和戦前期という
 <過去>においては、それとは異なる価値観の枠組みがあったとしても不思議で
 はない。だが、われわれが<過去>に向き合うとき当然意識されるべきこの距離
 感は、昭和戦前期という比較的新しい<過去>に対しては、往々にして忘れられ
 てしまう。

著者のいいたいことは、平和な現在から<過去>をけしからんというようなことはや
めて、<過去>は<過去>として冷静に記述しようということかもしれない。
私もいつも思うが、織田信長の比叡山焼き討ちは人道上許されない「大虐殺」では
ないのかということである。(むろん今日多くの人はそれを人道問題にはしないだろ
う。信長にすれば敵対する者は徹底的に懲らしめるということだろうか。)
だれだったか現代史は歴史ではないといった人がいた。戦前昭和期も歴史の段階
に入ってきたということだろうか。

歴史は「何が事実なのか」、「何を事実として取り上げるか」と「それをどう見るか」と
いうことである。先日このブログで取り上げた井上寿一『戦前昭和の社会』(講談社
現代新書)とともに、本書は、戦前の、なにがしかの再評価を図るものかもしれない。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ハーディング 新日本フィル... | トップ | 東西四連 第60回東西四大学... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

音楽」カテゴリの最新記事