タイトルに釣られ、竹内洋『清水幾太郎の覇権と忘却』(中公文庫)
を購入(2/19)。
清水幾太郎(1907-1988)について、私は、50年ほど前『論文の書
き方』(岩波新書)で知った(--その本は、今、私の本棚にはな
い。どこへ行ったかしらん。)
その後、70年代の学生時代、現代史として個人的に「60年安保」を
「研究」するうち、清水幾太郎を発見する。
清水は、『世界』の昭和35(1960)年5月号(4月発売)に「今こそ
国会へ」という一文を載せ、「全学連」にエールを送った。
この『世界』という雑誌は、岩波書店の岩波茂雄(1881-1946)が
昭和21(1946)年1月に大正自由主義的な雑誌として創刊したが、
岩波が4月に亡くなり、初代編集長吉野源三郎(1899-1981)の編
集方針により、思い切って簡単に言えば「進歩的文化人」の「親ソ
反米」雑誌となる。
*私は少年だったが、一般国民は、終始「反ソ親米」だったのかも
しれない。賢い国民は次のような事実を忘れない?
・1945年、ソ連は、日ソ中立条約に違反して、満洲・日本に侵攻。
(ヤルタ協定は、いわば個人的な密約である)。
・1950年、(非武装の)日本(およびその同盟国)を仮想敵国と
明記して、中ソ友好同盟相互援助条約を締結。
(当時は未だOccupied Japanだった)。
cf.日米安保条約の締結(署名)は1951年9月。
参照)当時の世論調査→こちら。
<参考>
1949/10/1 毛沢東、中華人民共和国の成立を宣言
1950/1/15 平和問題懇話会「講和問題についての声明」(『世界』3月号)
1950/1/19 社会党分裂
1950/2/14 中ソ友好同盟相互援助条約締結
1950/6/25 北朝鮮、韓国に侵攻(朝鮮戦争)
ちなみに、その後、岩波の友人たち--多くはオールド・リベラリ
ストと言われた人々は、『世界』を離れ、『心』という雑誌を作る。
(S23[1948]/7月創刊号)
「60年安保」において、『世界』などで上記のような活躍したのが
清水幾太郎らいわゆる「進歩的文化人」だ。--当時の『世界』を
読むと、日本国民のほとんどが安保条約の改定に反対(=安保反対)
していたかのように錯覚してしまう。
6月15日、全学連をはじめとするデモ隊の国会突入は、機動隊との衝
突になった。
6月17日、新聞7社は「暴力を排し議会主義を守れ」という真っ当な
というか当然な共同宣言を発表した。
その後、清水は、「アカシアの雨がやむとき」(西田佐知子)では
ないが、その道から遠ざかる。
さらにその後、「核の選択--日本よ国家たれ」(『諸君』1980年
7月号)などを発表。
--などは知っていたが、それを詳しく研究した本が本書である。
清水が亡くなった時、葬儀委員長は林健太郎(1913-2004)だった
--とはいささか意外?
清水幾太郎は、一言でいえば、戦前戦後を通じて、多作で、ジャー
ナリスティックだったと言えるのかもしれない。
(日本のJ.K.ガルブレイス?)
竹内洋『清水幾太郎の覇権と忘却』(中公文庫)
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