20世紀の三大独裁者といえば、スターリン(1878-1953)、ヒトラ
ー(1889-1945)、毛沢東(1893-1976)かしらん。
今や歴史(近現代史)の世界になりつつあるが、スターリンが亡く
なって3年後の1956年2月、ソ連共産党第20回党大会でフルシチョフ
の秘密報告が行われた。「スターリン批判」である。
詳しい内容はウィキペディア参照(→こちら)。
スターリン批判については、多少の知識として知ってはいたが、最
近は自宅で時間もあるので、もう少し調べたくなった。
「スターリン批判」は、党大会秘密報告だったが、数か月後には西
側に知れ渡ることとなる。
スターリンは、約30年間にわたって、世界の共産党のトップである
ソ連共産党の最高指導者(書記長)だった。
スターリンは独裁者だったので、スターリンが誰それは「人民の敵
だ」と決めつければ、その誰それは処刑されてしまう。
当時、私はまだ子どもだったので、まったく実感はないが、何しろ
例えば、カトリックでいえば、キリストが批判されたような、信者
大騒ぎの出来事だったのではないかしらん。
スターリンの死~「スターリン批判」は、世界に(とくに共産圏に)
さまざまな影響を及ぼした。
(もっともフルシチョフの「スターリン批判」はあくまでスターリ
ンの批判であって、マルクス主義やマルクス・レーニン主義の批判
ではない)。
スターリンの死にさかのぼれば、小泉信三(当時65歳)は、その死
(3/5)を知った翌6日に「スタアリンの死」という3,000字ほどの文
を書いた(『毎日新聞』S28(1953)/3/11掲載。『小泉信三全集』
第10巻)。
興味深いので、以下に、一部を抜粋する。
少なくも明治政府で、大久保利通の死後、伊藤(博文)井上(馨)
と大隈(重信)との間に起った程度の葛藤は、起り得るであろう
といった。某氏はしばし沈吟し、そんなことになるかも知れない、
といった。・・・・・・
影響はもっと強く東欧バルカンの衛星諸国に現れるであろう。そ
れに対する無言の威圧は、スタアリンの存在そのものであった。
この威圧力を喪って、諸国共産政府は、従来よりは反抗勢力の鎮
制に困難を感ずるであろう。・・・・・・
取り敢えず、スタアリンの死を聞いたその日、人に語ったままを
記して置く。(3月6日)
<関連年表>
1953/3/5 スターリン死去→個人崇拝批判、恐怖政治(抑圧政治)
の見直し、資本主義国との平和共存路線へ
1953/6/17 東ベルリン暴動←ソ連軍による鎮圧
1953/6/28 ポーランド、ポズナン暴動(生活改善、民主化要求デモ)
1956/2/25 フルシチョフ秘密報告「スターリン批判」
1956/10/23 ハンガリー動乱(~56/11)←ソ連軍侵攻・鎮圧
(ナジの首相復帰→ナジはソ連軍により拘束、58/6処刑)
・・・・・・簡単にいうと、大規模な民主化デモが「反革命」とされ、
ソ連軍に弾圧されたということかしらん?
昨日(4/18)から香港デモ民主派幹部の一斉摘発(逮捕)が始まった
という。昔も今も、共産圏にデモは認められていない?
志水速雄『フルシチョフ秘密報告「スターリン批判」』
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4/18(土)、外出自粛の折からOB幹事会もWEB会議へ移行するこ
とになった。それにあたってテストを実施する。
私はPCではなく、スマホでの参加だったが、無事に参加者の画像
と音声を確認できた。
16:41 テスト本番前のテスト中
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