高1(高校1年)の4月だったか高校の新入生歓迎音楽会が講堂で開かれた。講堂と
いっても音響の悪い体育館である。合唱部の演奏した曲が混声合唱組曲「山に祈
る」(清水脩作曲)だった。
とくに記憶にあるのは、ありあまるエネルギーの3年生男子(団塊の世代)の野次
である。お母さん役の女子が泣き出すところでは更なる野次が飛んでいた。(私
は、その女子が野次で泣き出したのかと思った。)生活指導の先生があとで「3年
生、ちょっとひどいぞ。えっ」と壇上から注意していた。
その秋に合唱部に勧誘され、混声合唱のバスを歌った。もっぱら大中恩だったかし
らん。
その年の12月には県の合唱連盟のステージで「メサイヤ」から「アーメン・コーラ
ス」を歌ったりしたものである。
これが合唱との出会いだった。私の合唱活動が寝食を忘れるほど本格化するのは大
学に入ってからである。
いっても音響の悪い体育館である。合唱部の演奏した曲が混声合唱組曲「山に祈
る」(清水脩作曲)だった。
とくに記憶にあるのは、ありあまるエネルギーの3年生男子(団塊の世代)の野次
である。お母さん役の女子が泣き出すところでは更なる野次が飛んでいた。(私
は、その女子が野次で泣き出したのかと思った。)生活指導の先生があとで「3年
生、ちょっとひどいぞ。えっ」と壇上から注意していた。
その秋に合唱部に勧誘され、混声合唱のバスを歌った。もっぱら大中恩だったかし
らん。
その年の12月には県の合唱連盟のステージで「メサイヤ」から「アーメン・コーラ
ス」を歌ったりしたものである。
これが合唱との出会いだった。私の合唱活動が寝食を忘れるほど本格化するのは大
学に入ってからである。
高校時代の親友だったTくんは、数学の先生が指揮す
るブラスバンドでトランペットを吹いていました。
彼は野球部の応援で甲子園に行きました。
大学に入ってからはジャズバンド(フルバンド)に進
みました。
さてクラリネットでは感動したCDがありますので、
いつかブログでご紹介します。
音楽は魂を揺さぶるもののひとつです。<したがって
>身体が疲れているときには聴けません。そんな音楽
に出会えたことはしあわせですね。音楽の師に感謝で
す。
合唱に野次が飛ぶのは初めて聞きました。
ちょっと驚きです。
「私の合唱活動が寝食を忘れるほど本格化するのは大学に入ってからである。」この一文にとても重みを感じました。
思えば、私も寝食を忘れるほど取り組んだ“吹奏楽”を思い出したからです。(今も。。。!?)
私のきっかけは本当に些細で、初恋の人(小学校からの)のお姉さまが"clarinet"を吹いていると知って、中学の時に入部しました。(彼はバレー部、私は運動音痴で運動部は無理だったため)。
そんなかなり不純な動機で始めたクラリネットでしたが、本当に楽器が好きなり、音楽が好きなり・・・今は楽器は変わりましたが、社会人になっても続けてます。
切っ掛けは何にせよ、一つのことを長く続けたり、好きでいられるということは、年老いたときに何らかの財産になるのではないかと・・・今はそんなことも思いながら楽しんでます。(個性が強いのでいろいろ大変なんですけどね・・・(笑))