管理組合の「仕事」もなくなり、「読書」についてまとめるだけ
のいくらかの「余裕」ができた。
『おちょやん』に「登場」した渋谷天外(2代目。以下同じ)は
明治39(1906)年6月生まれ。
一方の『おちょやん』のモデルの浪花千栄子は明治40(1907)年
11月生まれで、天外とは1歳違いだった。
ワグネルを指導いただいた木下保先生は明治36(1903)年のお生
まれだから、二人は木下先生とほぼ同世代だ(ちなみに日露戦争
は明治37-38年)。
渋谷天外の一生を年表風にまとめると
大正2(1913)年 天外初舞台(7歳)。
昭和3(1928)年、曾我廼家十吾、天外、石川薫らが参加して、
松竹家庭劇が旗揚げされる。
昭和5年、松竹家庭劇に浪花千栄子が参加。
昭和6年、天外と浪花千栄子が結婚。
昭和23年、松竹新喜劇結成。
昭和25(1950)年1月 天外は浪花千栄子と別居。九重京子と同棲。
5月 九重京子、新喜劇を退団。
昭和26年4月 浪花千栄子、新喜劇を退団。
11月 『桂春団治』を初演。
昭和29年12月 『お父さんはお人好し』始まる。
(このあたりまでが『おちょやん』の世界)
昭和34年12月 読売テレビ『親バカ子バカ』始まる。
昭和40年 浪花千栄子『水のように』発刊(令和2年復刊)。
浪花は『水のように』で天外のことを書いている。
よくひっぱたいてくださいました。よく、だましてくださいました。よく、
阿呆にしてくださいました。ありがたく御礼申しあげます。だからこそ、今
日の浪花千栄子が、どうやらここまで歩いてこられたということに感謝いた
します。
昭和40年9月 天外、脳出血のため、南座で倒れ、右半身不随に。
昭和41年4月 藤山寛美、多額の借金で新喜劇を退団。
11月 寛美復帰。
昭和42年1月 劇団結成20周年記念公演の口上に出演(中座)。
8月 名古屋御園座公演(私は祖母と観劇。写真参照)
昭和48年12月 浪花千栄子死去(66歳)
昭和49年5月 南座『親バカ子バカ』:最後の舞台となる。
昭和52年9月 次男が渋谷天笑として初舞台。
11月 天外、ハワイで軽い脳出血。
昭和58(1983)年3月 心不全のため阪大病院で死去(76歳)
平成2(1990)年5月 藤山寛美死去(60歳)
渋谷天外は、役者以上に劇作家、演出家として評価されていたの
ではないかしらん。
『渋谷天外伝』には、2代目渋谷天外のハチャメチャな一生が綴
られている。
文庫版最後の藤本義一「非解説」にも浪花千栄子の天外に対する
オンネンが登場。一読の価値がある。
余談:クダラナイといっていい(といっても需要があるから供給がある?)ワイ
ドショーの芸能ニュース、芸能レポーターが出現したのは、昭和50年代初めのこ
とだという。
渋谷天外、浪花千栄子のゴタゴタは、私が生まれた前後の、つまりは70年前の、
芸能ニュースのない時代だった。
松竹新喜劇20周年記念口上の渋谷天外(当時61歳)
大槻茂『渋谷天外伝』(小学館文庫)
小林信彦『日本の喜劇人』(新潮文庫)・・・・・・最近、単行本で
「決定版」が出版された。
後者で取り上げられているトニー谷(1917-1987)もハチャメ
チャだ。
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〇昨日のサントリーレディースは、稲見の伸び悩みもあり、大接
戦に。結局、稲見は2位タイ。同じ組で回った青木がラスト2ホー
ルをパーで上がり、17アンダーで優勝!
稲見、古江の五輪出場争いは順位変わらず。
〇慶應は34年ぶり優勝!
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