3月9日(水)、鎌倉の光則寺参拝を終え、昼食は、家内が見つけ
た、ドイツパンの店「カフェベルグフェルド」に入る。はたして
ドイツパンが旨い(オススメ!)。
機嫌よく、ランチを食べ終え、再び家内と別行動、私は鎌倉大仏
に向かう。ここも中学生をはじめ、多くの人々が訪れている。
その後、旧川端康成邸、甘縄神明宮、鎌倉文学館と立ち寄り、鎌
倉駅まで歩く。
家内と駅ビル「CIAL鎌倉」2階の喫茶で待ち合わせ、一服した。
この日の歩数:14,000歩。
12:43
12:44 カフェベルグフェルド
12:45
12:45
12:47
12:55
12:59 ドイツパン パンには目がない。耳はある?(笑)
13:02
13:22
13:31
13:33 しらす丼の店が散見される。
13:35 華正樓
13:35
13:36 高徳院 鎌倉大仏へ
13:37
13:37 仁王門
13:37
13:38
13:39 30年以上前に来たことがある?
13:40
13:41
13:44
13:45
13:45
13:46
13:47
13:47
13:48
13:48 大わらじ
13:49
13:49
13:50
13:51
13:52 与謝野晶子歌碑
13:52
13:53
13:53
13:55
1356
13:57
13:59
13:59 大仏殿前
14:05 長谷観音前を左折。鎌倉駅方向へ
14:05
14:05
14:08 甘縄神明宮方向へ(左折)
14:10
14:12 鳥居の左奥が旧川端康成邸(下の写真も)
右は長谷公会堂
14:12
14:14 下から遥拝
14:16
14:16 裏道を歩く。子どもとママさんが集まっていた。
14:18 鎌倉文学館へ 9年前、関学グリーOBのMさんと来た。
14:19
14:19 入場料300円
14:20
14:21
14:27 旧前田侯爵家別邸 館内撮影禁止→こちら。
14:28
14:28
14:29
14:30
14:31
14:33 バス通りへ戻る。
14:33
14:35 ひたすら直進
14:35
14:35
14:37 鎌倉駅行バスが走る。
14:42
14:43 六地蔵
14:43
14:46 江ノ電踏切 手前を左折した方が近かった?
14:47
14:50
14:52 JR鎌倉駅
14:53 家内よりタイミングよく「2階にいます」と連絡が入る。
15:08
15:09 JR鎌倉駅改札口
15:11 中学生グループ
15:15 鎌倉
車内で、男子中学生に
「今日はどちらから来たの?」
「墨田区です。どちらからですか?」
「ぼくらは横浜」
(パッと聞き返すところがすばらしい)。
15:28 戸塚下車
15:29 横浜地下鉄に乗換える(優待パスが使える)。
15:29
15:30
15:32
15:32 横浜地下鉄戸塚駅改札口
15:33 戸塚駅より約1時間地下鉄に乗る。
16:30 あざみ野に戻る。
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<日中戦争とロシアのウクライナ侵略>
以前にも似たようなことを書いたが・・・・・・
○満洲事変は、昭和6(1931)年9月18日、関東軍(満洲駐在の日
本軍)の謀略によって始められた。関東軍は満鉄の線路爆破が中
国軍の仕業だとして、奉天を制圧した(「偽旗作戦」?)
○日本は国際連盟を脱退、「世界の孤児」となる。
○昭和12(1937)年7月7日、「偶発的に」盧溝橋事件が勃発。い
ったんは停戦協定が成立する(「北支事変」)。
○しかるに、同年8月、(第二次)上海事件が勃発。これを機に、
日本政府は「支那事変」と呼称し、日本と中国は全面戦争となり、
その後「ずるずると」8年間の戦いとなる。
--太平洋戦争直前の「ハルノート」で、米国は「中国からの全
面撤兵」を要求しており、日本はそれを「最後通牒」と受け取っ
た。
○同年10~12月、「トラウトマン工作」。
○昭和13(1938)年12月、国民党No.2汪兆銘、重慶を脱出。
○蒋介石国民政府(中国)は、国際的「宣伝戦」を展開、世界の
世論は中国に同情する動きとなる(蒋介石の妻宋美齢はアメリカ
留学の経験があり、『タイム』や『ライフ』の発行者H.ルースと
同窓であった)。
○国際世論は、日本の「侵略」や日本軍の無差別攻撃などに対し
て非難。
○中国の首都南京の「総攻撃」にあたっては、「南京事件」も国
際的に非難の的となった。
○米英などは、直接的には「支那事変」に不介入であったが、
「援蒋ルート」を通じて軍事物資を援助した。
あれ(昭和12年)から85年、現在のロシアは当時の日本、ウクラ
イナは当時の中国国民政府とやや似たような立場にある。
「援ゼレンスキールート」は機能しているか?
近衛文麿の「蒋介石を対手にせず」は有名な「失言」(近衛本人
も何であんなことを言ってしまったのだろうと後悔?)だが、今
回はバイデン大統領の「小規模な侵攻なら対応は難しい」という
「失言」(1/19)が今さらながら問題となっている。
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