宇野功芳の声を聴いたのは、ショルティの「ツァラトゥストラはかく語りき」を年
末のFM放送で絶賛していた時であるから、昭和52(1977)年暮れである。R.シュト
ラウスの「ツァラトゥストラ」は昭和49(1974)年にカラヤン盤が『レコード芸
術』の推薦盤となっていたが、宇野さんはシュヴァルベのソロが劣ると言ってい
た。
宇野功芳は、長らく知らなかったのだが、私の大好きだった漫談家牧野周一の長男
である。(それを知った時はビックリした。)昭和5(1930)年生まれ、国立(く
にたち)音大声楽科の出身である。歯に絹を着せない評論にファンが多い。どちら
かといえば、アンチ・カラヤン派である。ただし、カラヤンでもいいものはいい
と、「蝶々婦人」を推薦する。また、合唱の指揮(とくに女声合唱)もライフワー
クとしている。
宇野功芳『名曲とともに』は昭和49(1974)年帰徳書房より初版となった。本書
は、私が宇野さんの声を聴く以前の昭和52(1977)年3月22日に購入している。
私はこの本を繰り返し何度読んだことだろう。単なる分析的な音楽評論ではなく、
著者の「思い入れ」が書かれているところがいい。また、この時の著者の推薦盤
が、現在の、氏のそれと大きく違っていないことがおもしろい。
この後、宇野さんの『たてしな日記』、『モーツァルトとブルックナー』を立て続
けに読んで勉強になった。(いずれも帰徳書房刊)現在は、いずれも学習研究社の
「宇野功芳著作選集」で読むことができる。
末のFM放送で絶賛していた時であるから、昭和52(1977)年暮れである。R.シュト
ラウスの「ツァラトゥストラ」は昭和49(1974)年にカラヤン盤が『レコード芸
術』の推薦盤となっていたが、宇野さんはシュヴァルベのソロが劣ると言ってい
た。
宇野功芳は、長らく知らなかったのだが、私の大好きだった漫談家牧野周一の長男
である。(それを知った時はビックリした。)昭和5(1930)年生まれ、国立(く
にたち)音大声楽科の出身である。歯に絹を着せない評論にファンが多い。どちら
かといえば、アンチ・カラヤン派である。ただし、カラヤンでもいいものはいい
と、「蝶々婦人」を推薦する。また、合唱の指揮(とくに女声合唱)もライフワー
クとしている。
宇野功芳『名曲とともに』は昭和49(1974)年帰徳書房より初版となった。本書
は、私が宇野さんの声を聴く以前の昭和52(1977)年3月22日に購入している。
私はこの本を繰り返し何度読んだことだろう。単なる分析的な音楽評論ではなく、
著者の「思い入れ」が書かれているところがいい。また、この時の著者の推薦盤
が、現在の、氏のそれと大きく違っていないことがおもしろい。
この後、宇野さんの『たてしな日記』、『モーツァルトとブルックナー』を立て続
けに読んで勉強になった。(いずれも帰徳書房刊)現在は、いずれも学習研究社の
「宇野功芳著作選集」で読むことができる。
はじめまして。『たてしな日記』は本当に初期のもの
ですね。当時の著者の「思い」が盛りだくさん、いい
ですね~。
というメールが自宅に送られてきた。(メールが主語
の受身形か。)
私は未聴だが調べてみたら、なるほどオケのローマ歌
劇場管弦楽団が録音後「できるだけ近いうちに戻って
きてください。マエストロ(=バルビローリ)がお振
りになりたい、いかなるオペラでもやりましょう。リ
ハーサル無制限で」と言った、いわくつきの録音だそ
うである。スコットが初々しく、「まさしく大和撫
子」だそうである。
そういえば、バルビローリが本番を終えたベルリンフ
ィルからもマラ9をぜひレコード録音してほしいと言
われて、それが名演として残っている。