大正時代の歴史で分かりにくいものに「西原借款」がある。
『新詳説日本史』[山川出版社1993]の記述によれば、
これ(注:袁世凱[えんせいがい]政府に対する21か条の要求)以後も日本
政府は中国における権益の拡大をはかり、つづく寺内正毅内閣のもとでは、
袁のあとをついだ北方軍閥の段祺瑞[だんきずい]の内閣に巨額の借款を与
えて、政治・経済・軍事にわたる日本の影響力の拡大につとめた。
ここには「西原借款」という言葉は出てこない。
『詳説日本史B』[山川出版社2019]では
寺内正毅内閣のもとでは、袁世凱のあとを継いだ北方軍閥の段祺瑞政権に巨
額の経済借款を与え(西原借款)、同政権を通じた日本の権益確保を意図し
た。
と簡単に記述されている。
岡崎久彦『幣原喜重郎とその時代』のいささか詳しい説明によれ
ば、
西原借款の歴史的評価は極端に低い。また、その評価が生じるのには、シベ
リア出兵よりもさらに年月を要さず、寺内内閣が終わると同時に批判され打
ち切られている。外務省をまったく無視して、外交調査会で決めた方針を外
交ルートによらず一民間人(注:西原亀三)に実施させたのであるから、外
交の当事者から評判が悪いのは当然である。
しかし、そういう縄張り争いからくる批判だけでなく、過去に中国に与えた
全借款1億2千万円を超える1億4千5百万円(金の値段でいまの物価は約5千倍
であるから7、8千億円相当)もの借款を、確実な担保もなしに貸しつけ、利
子のごく一部分を除いては元金も利子もまったく回収できず、結局はまわり
まわって政府ひいては国民の負担としてしまった。
実際の使い道についても、所期の経済建設に使われたものはほとんどなく、
段政権が南方の革命派と戦うための戦費や段政権の要人の私費に流用されて
いる。
しかも、その結果、当然ながら南方の政権からは内戦への介入として激しく
非難され、国際的には対中国借款の列国協調を乱すものとして猜疑の目でみ
られた。
(注)資金は、日本興業銀行、朝鮮銀行、台湾銀行が拠出した。
要は、寺内正毅内閣は、列国に「抜け駆け」して、段祺瑞政権に
巨額の無担保融資を行い、回収できなかった(貸し倒れ)という
ことになる。
その後は、簡単に言うと、段祺瑞は失脚し、北伐によって中国を
統一したのは蒋介石だった。
大正時代の失敗は、対華21か条要求、シベリア出兵、西原借款と
いうことになるのかしらん。
ところで、今までの、日本のアフガニスタン支援(約7,800億円)
はどうなる?
山川の日本史 1993年版と2019年版
岡崎久彦『幣原喜重郎とその時代』(PHP文庫)
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〇久しぶりに、読売テレビ(日テレ)の「ウェークアップ」を視
聴。田崎史郎さんの政治情勢を聴く。
田崎さんは私と同い年だが、私にも田崎さんくらいのことは言
える?(笑)。
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