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戦後史と反ソ感情?

2020-05-07 05:00:00 | 近現代史

戦後史をあらためて勉強している。--専門家ではないから、せい
ぜい高校生レベルだ(笑)。高校生に失礼か?

最近は、感情論に「嫌韓」とか「嫌中」という言葉がある。比較的
多数の日本人には、それなりに理由があることなのかもしれない。

戦後、「嫌ソ」という言葉はなかったが、<共産主義者等親ソ派知
識人は別として>、日本の一般国民多数には明らかに「ソ連は信じ
られない」という「反ソ」感情があったと考えられる。

その原因・根拠は、簡単にいうと、次の5つになる。

1.日ソ中立条約違反(1945[昭和20]年)
日ソ中立条約は、1941年4月に5年間の期限(すなわち終期は1946年
4月まで)で締結された。
しかるにソ連は、1945年8月8日、日ソ中立条約を有効期間の中途で
破棄し、満洲、朝鮮へ侵攻した(--日本は、大戦末期、そのソ連
に仲介を依頼、和平工作を行おうとしていた)。

2.ソ連軍の暴行、略奪、強姦(1945)
満洲に進駐したソ連軍は、民間の日本人に対して、暴行、略奪、強
姦の限りを尽くした。
俳優宝田明(1934年生。当時国民学校5年生)の証言も one of them
だ(→こちら)。

3.国家的略奪(1945)
終戦直後、ソ連は、満洲の機械設備、プラント等々をソ連に移送す
るという「火事場泥棒」を行った。一説には、当時の金額で400億
円と算定されるという。
当時、中華民国政府はソ連に厳重抗議している。

4.シベリア抑留(1945)
ポツダム宣言を受諾、武装解除し、降伏の意図を明確に表明してい
る、日本の将兵、民間人約60万人(注:民間人も含まれている。)
がシベリアなどソ連(注:シベリア地区だけではない。)へ移送さ
れ、強制労働に従事させられた。
明らかにポツダム宣言、国際法に違反する行いだ。

(注)2~4と同様なことは、ドイツでも行われたという。--そ
 れについては、あらためて「研究」したい。

 *同年9月2日、スターリンは、ソ連国民への呼びかけとして、「1904年の日露
 戦争でのロシア軍隊の敗北は国民の意識に重苦しい思い出をのこした。この敗北
 はわが国に汚点を印した。わが国民は、日本が粉砕され、汚点が一掃される日が
 くることを信じ、そして待っていた。40年間、われわれ古い世代のものはこの日
 を待っていた」と述べた(→こちら)。
 この声明は、既に『共産党宣言』における「プロレタリア(労働者)に祖国なし」
 に矛盾するばかりでなく、社会主義の勝利の暁には国家は死亡するというマルク
 ス・レーニン主義にも反するものである(「ご都合主義」?、「言行不一致(言
 っていることとやっていることが違う)」?、「勝てば官軍」?)。


5.中ソ友好同盟相互援助条約(1950[昭和25])(→こちら
1950年2月、ソ連と中国は、日本を仮想敵国として中ソ友好同盟援
助条約を締結する。有効期限は30年間。
この時の日本は、武装解除され、いまだに連合軍に占領されている
にもかかわらず、仮想敵国として明記している。

なお、その後、同年6月25日、ソ連の戦車、火器等の支援を受けた
北朝鮮が突如韓国に侵攻。朝鮮戦争が勃発している。

ちなみにスターリンは、戦後、北海道への進駐(占領)を要求し、
トルーマン米大統領に拒絶されている。ご参考→こちら

いずれもスターリン・ソ連の時代だ。


これらのことは、サンフランシスコ講和会議に臨んで、「全面講和
対単独講和(多数講和)」論争と「日本の選択」に大きく影響して
いると言えるだろう(--それはまたあらためて)。

<参考>
昭和20(1945)年
8月8日、ソ連、日本に宣戦布告(日ソ中立条約違反。満洲、朝鮮等
    へ侵入)
8月14日、御前会議はポツダム宣言の受諾を決定
8月15日正午、天皇が戦争終結の詔書を放送
9月2日、降伏文書に調印


<参考資料>
半藤一利『ソ連が満洲に侵攻した夏』(文春文庫)
宮田武『シベリア抑留』(中公新書)
『詳説 世界史』、『詳説 日本史』(山川出版社)
『もう一度読む 山川 戦後日本史』(山川出版社)


半藤一利『ソ連が満洲に侵攻した夏』(文春文庫)



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