先日--厳密には8月12日(月)、「山の日」の振替休日に、たまプ
ラーザの有隣堂に立ち寄り、何かおもしろい本はないかしらんと、2
階の文庫・新書売場をウロウロしていて、ついつい藤原彰さん(1922
-2003)の『中国戦線従軍記 歴史家の体験した戦場』(岩波現代文
庫、本年7月17日第1刷)を買ってしまった。
藤原さんのベストセラー『昭和史 新版』(岩波新書)については、
先日もご紹介したばかりだ(→こちら)。
まず本書「序説 士官学校に入るまで」がおもしろい。
藤原さんは陸軍士官学校出身だ。陸士卒業は昭和16(1941)年7月。
その後、同年8月に中国に向かう。昭和20(1945)年まで中国を転戦、
同年3月に本土決戦師団の大隊長に。終戦は姫路聯隊で迎えた。
そんな藤原さんがなぜ左派の歴史家になったのか、長年疑問だった。
「終章 歴史家をめざす」によれば、氏は戦後昭和21年に今年限り陸
士卒業生に大学志願資格を与えるという特別措置によって、東大を受
験、文学部史学科に合格する。
史学科の学生として講演会を主催したり、本を出版したりする中で、
羽仁五郎や石母田正、遠山茂樹などから教えを受ける(これらの学者
は「その道」の権威?)。
石母田正(→こちら)からは「ぼくは戦時中歴史の中に逃げ込んだが、
いまのぼくがもっと若かったら歴史の中に逃げ込むのではなく、歴史
を作る側に立つだろう」とアドバイスを受けたという。
*私の学生時代、「石母田達」という政治家が神奈川1区(のち4区)
を選挙区としていたが、達は正の実弟だ(→こちら)。
*「学者が歴史を作る」とは!--オ~、ノ~?
「中国戦線から本土決戦師団へ」--「敗戦を迎える」という項では、
広島への原子爆弾投下も、「新型爆弾」で「相当の被害」とだけ報
じられ、原爆であることは秘せられていた。原爆投下以上に衝撃だ
ったのはソ連の参戦だった。8月9日未明、対日宣戦布告とともにソ
連軍は満ソ国境を突破して侵入してきた。
と、ここでも「日ソ中立条約を侵犯して」ということはひと言も書い
ていない(書くわけにいかない?編集者も言わない?)。
(原書は平成14[2002]年刊、大月書店)
これも唯物史観によるものなのかしらん・・・・・・(疑問は続く)。
当時、唯物論者には、ソ連は「絶対」で、批判できなかった?
(注)ソ連は、日ソ中立条約の侵犯したのみならず、終戦後、北海道
占領を要求。マッカーサーに拒絶されている。あやうく日本もドイ
ツや朝鮮の地域のように分断国家となるところだった。
藤原彰『中国戦線従軍記』(岩波現代文庫)
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