昭和6(1931)年9月、関東軍の謀略から柳条湖事件--満州事変
は始まった。
あらためて広い意味の関連図書の一つとして、『「文藝春秋」で
読む戦後70年』(文春ムック)から司馬遼太郎「昭和の中の魔物」
を読む。
これは昭和61年に書かれた文藝春秋巻頭随筆6回分をまとめたも
のだ。鋭い指摘なので、エッセンスをまとめておきたい。
日露戦争の勝利が、日本国と日本人を調子狂いにさせたとしか思えない。
ここに大群衆が登場する。
江戸期に、一揆はあったが、しかし政府批判という、いわば観念をかかげて
任意にあつまった大群衆としては、講和条約反対の国民大会が日本史上最初
の現象ではなかったろうか。
調子狂いは、ここからはじまった。ついに日比谷公園でひらかれた全国大会
は、参集する者三万といわれた(1905年日比谷焼打ち事件)。
私は、この大会と暴動こそ、むこう四十年の魔の季節への出発点ではなかっ
たかと考えている。
この大群衆の熱気が多量に--たとえば参謀本部に--蓄電されて、以後の
国家的妄動のエネルギーになったように思えてならない。
むろん、戦争の実相を明かさなかった政府の秘密主義にも原因はある。また
煽るのみで、真実を知ろうとしなかった新聞にも責任はあった。
(注)この分野を学術的に分析したものに、筒井清忠『戦前日本のポピュ
リズム--日米戦争への道』(中公新書)がある。
この(ノモンハン)事変は、日本から仕掛けた、しかも日本国家の国家的意
思によってやったものではなかったのである。
関東軍参謀の独走によっておこなわれたもの(注:満州事変同様)で、参謀
の元締である東京の参謀本部でさえ事後に知らされた。
ノモンハン事変は、そのごく一例にすぎない。
明治憲法はいまの憲法と同様、明快に三権(立法、行政、司法)分立の憲法
だったのに、昭和になってから変質した。
ついでながら憲法上、天皇に国政や統帥の執行責任はない。となれば、参謀
本部の機能は無限に近くなり、どういう”愛国的な”対外行動でもやれること
になる。
かつて、一冊の古本を見つけた。
『統帥綱領・統帥参考』という題の本である。復版されたもので、昭和三十
七年偕行社(註:旧陸軍の正規将校を中心とした親睦団体)刊となっている。
『統帥参考』のなかに、憲法に触れたくだりがある。おれたちは--という
言葉づかいではむろんないが--じつは憲法外(注:超法規的立場)なのだ、
と明快に自己規定しているのである。
統帥機関としては、法学界をおおっている美濃部学説を痛打することによっ
て自前の憲法観(というより非立憲化)への大行進を出発させなければなら
なかったにちがいない。
もう一つ余談を述べる。
美濃部達吉とならんで、日本憲法学の鼻祖とされる京都大学の佐々木惣一は、
前記『統帥参考』が印刷される二年後の昭和五年に『日本憲法要覧』(金刺
芳流堂)を出したが、そこで統帥権について、当然これは国務大臣輔弼の外
にあるものではない、と断定しているのである。
「註」は原文のまま。「注」は私が付けたもの。
司馬遼太郎もきっと書き残しておきたかったのではないかしら
ん。
日本にはヒトラーのような独裁者はいなかった?
『「文藝春秋」で読む戦後70年』
五輪LIVE視聴
○柔道:ウルフ、21年ぶり100kg級で金。韓国を下す。井上康生
以来、21年ぶり。
韓国のチョはウルフの手を掲げる。よくやった。「いいね」
が相次いだようだ。
女子の濱田も押え込みで金。まったく顔色を変えず。「いい
ね」。
〇水泳:萩野の涙にもらい泣き。
○海外から日本選手へのSNS攻撃がなされているという。
本当だとしたら「文明国」の国民のやることではない。
日本人はやってないでしょうね~。
〇選手インタビュー:「いろいろな意見があるのは承知していま
す。しかし、アスリートのために、オリンピックを開催いただ
き、本当に感謝しています」に感動。(複数の選手たち)
●Nスタで森永氏が「感染者増。オリンピック即刻中止を。パラ
リンピックだけ中止したら卑怯だ」とコメント。--テレビ局
の方針どおり?
自分の頭で考えているのかしらん?
とくに後段は問題発言??
そもそも感染者増と五輪の因果関係は?
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学校では現代の歴史をいつも中途半端で終わらせますよね、、近代の辺りで。時間がないのか?敢えて避けているような、、。
いつも為になります。
ありがとうございます。
司馬の一つ上の世代の小泉信三も終戦後、明治の教育に一部問題があったのでは?という趣旨のことを書いていたかと(--探してみます)。