人生ブンダバー

読書と音楽を中心に綴っていきます。
現在は、暇に飽かして、日々更新。

新日本フィル第500回定期演奏会 読響第519回定期演奏会 etc.

2012-11-05 05:00:00 | 音楽

10月27日(土) 以前書いたようにマチネ~ソワレと音楽会のレンチャンとなっ
た。昼食を済ませ、12時過ぎの「押上行き急行」に乗る。この日気づいたが、こ
の電車は渋谷から「押上行き各停」という案内になる(名前が変わる出世魚??)。
「急行」は渋谷で終わりである。開演前に錦糸町のドトールで一服(アメリカン+
スイートポテト)。

13:30 すみだトリフォニー・ホールに入る。ロビーには日フィルから贈られた大
きな花が飾られており、少しく驚いた(*)。

というのも・・・・・・新日本フィルは、今年創立40周年を迎えたが、これは旧日本フィ
ルが「分裂」してできたものである。そこには当時「日フィル争議」があった。もとも
と旧日フィルは、文化放送とフジテレビが運営していたものだが、昭和47(1972)
年に両社が旧日フィルを解散。その結果、分裂してできたのが、現在の日フィル
と新日本フィルである。そこに至るまでは、私の記憶では、赤い腕章を身につけて
やったりしていたのではなかったかしらん。今は正しく、詳しく調べる時間がないが、
その分裂は弦楽器と管楽器だったというかすかな記憶もある。新しい日フィルに
は渡邉暁雄さんが付き、新日本フィルには齋藤秀雄、小澤征爾が指揮者陣に加
わった。

私は、伯父と叔母が新日本フィルの会員だったこともあり、大学を卒業すると新
日本フィルの定期会員となった。その後、私は定期会員を中断していた時期が
あったが、叔母(80ウン歳)は当時からずっと定期会員を継続している。

(*)音楽ジャーナリストの渡辺和さんも同様な思いだったようだ。→こちら


日フィルから贈られた花

開演前にステージの写真を撮ろうとしたら、男性係員から小声で丁重に「ホール
内は撮影をご遠慮いただいております」と注意を受けた。こちらもヒソヒソ声で「演
奏中じゃなくてもダメなんですね」というと「はい、そうなんです」。

しばらくロビーで休んで、座席に着こうとしたら、くだんの係員とバッタリ。私の方
から「今日は結構入っていますね」と話しかけたら、小声で「はい~(ニコニコ)」。

ロビーには当時のプログラム写真などが展示されていた。この日のプログラムは、
新日本フィル結成記念公演(指揮者;小澤征爾)と同じ、ベートーヴェンの交響曲
第3番「英雄」。指揮者は、東ドイツ出身のベテラン、ハウシルトが予定されていた
が、急病のため、ベネズエラの新鋭ドミンゴ・インドヤンと交代になった。

開演前には、音楽評論家の東条碩夫さんがお知り合いと立ち話をしておられた。
(「東条碩夫のコンサート日記」ご参照)。

<プログラム>
1.ワーグナー 楽劇『トリスタンとイゾルデ』前奏曲と愛の死
--休憩--
2.ベートーヴェン 交響曲第3番 変ホ長調 「英雄」
指揮;ドミンゴ・インドヤン
コンサート・マスター;豊嶋泰嗣

1.ワーグナー 楽劇『トリスタンとイゾルデ』前奏曲と愛の死
14:00 オーケストラが中央部を先頭に次々に入場。
14:01 コンマス豊嶋さん入場と同時にオケが起立。(拍手)
14:02 インドヤン登場。長髪、長身--190cmはあるだろうか。

第1ステージのワーグナー。弦は16型だろうの大編成。見やすい、大きな指揮
で振っていく。ワーグナーの音である。(ワーグナーはチェロがお好き?)
インドヤンはコンクールの指揮のごとく一生懸命振った。--といっても彼は既
にイギリスのロンドン・フィル、フィルハーモニア管弦楽団を指揮している。後半
のウネリは(やはり、いつ聴いても)涙がにじむ。

2.ベートーヴェン 交響曲第3番 変ホ長調 「英雄」
14:40からメインステージの「英雄」は、1st14~12~8~10~コントラバス6
という弦楽5部。全楽章を通じて、やや速めのテンポ、粘らなく、歯切れがいい。
どちらかというとザッハリッヒな、トスカニーニ的な演奏といえるだろうか。オーボ
エの歌がすばらしかった。
15:31に演奏が終わると、無事に2日間の代演を終えたインドヤンに3階席か
らブラボーが飛び交った。インドヤンは、オーボエ(古部さん)、フルート(白尾さ
ん)、クラリネット(澤村さん)・・・・・・と立たせていった。すみだトリフォニーのお客
様の温かい拍手が続いた。インドヤンさん、また来てください。


すみだトリフォニーホール15周年


錦糸町駅前より


すみだトリフォニー正面


           こちらは休演となったハウシルトおじさん(大丈夫かしんかしらん)

15:40~16:05 お気に入りのスープストックで夕食--かぼちゃスープ、とう
もろこしとさつま芋スープ。食事後、あわただしくサントリーホールへ移動。




このところ、読響の評判がいいようだ。私は、結婚前に一二度読響を聴いた記
憶がある。指揮者、プログラムは忘れてしまったが、もしかしたら若杉弘さんだ
ったかもしれない。団員は、当時珍しく男性だけだった。まったく久しぶりの読響
--たまたま創立50周年の「招待券」を頂戴したので聴きに行ってきた。

<プログラム>
1.ツエンダー 般若心経--バス・バリトンとオーケストラのための--
 (読売日本交響楽団創立50周年記念委嘱作品、世界初演)
 バリトン;大久保光哉
--休憩--
2.細川俊夫 ヒロシマ・声なき声
 --独唱者、朗読、合唱、テープ、オーケストラのための
 Ⅰ楽章 前奏曲・夜--オーケストラのための--
 Ⅱ楽章 死と再生--3人の朗読、合唱、テープ、オーケストラのための--
 Ⅲ楽章 冬の声--合唱とオーケストラのための--
 Ⅳ楽章 春のきざし--アルト独唱、合唱、オーケストラのための--
 Ⅴ楽章 梵鐘の声--合唱とオーケストラのための--
 アルト;藤井美雪
 朗読;明野響香、トーマス・クラーク、谷口優人
 合唱;ひろしまオペラルネッサンス合唱団 (合唱指揮;もりてつや)

1.ツエンダー 般若心経--バス・バリトンとオーケストラのための--
 (読売日本交響楽団創立50周年記念委嘱作品、世界初演)
17:50 着席--当日引換の座席はLB-2-1だった。
18:00 チャイム。アナウンスが入った--「場内でのカメラ、ビデオ・・・・・・・云
々。拍手は指揮者のタクトが下されるまでお控えくださいますようお願い申し上
げます」(『拍手のルール』?(笑)。)

ステー上には正面にピアノが2台。イスのフォーメーションもなんだかいつもと違
う。弦はヴィオラ8-チェロ6-コントラバス6という構成であった。ヴァイオリンはな
い。(--ストラヴィンスキー 詩篇交響曲の影響があるのかもしれない。)中央
下手寄りにソリストの譜面台が用意されている。

18:04 オケが入場。
18:06 ソリストの大久保光哉さんと指揮者のシルヴァン・カンブルランが入って
きた。
カンブルランは、指揮棒なし、譜面を見ながら、手のひらを伸ばし、指の間を閉じ
ての指揮。最初の音は、会場が静まる中、管楽器--トランペットの「スー」とい
う無声音だったかしらん。「無」(無常観)ただよう、「音」と「静寂」による音楽、と
いったらいいだろうか。ヘンツェは、40年前の初来日で禅に感銘を受けたらしい。
この曲にもその影響が現れているといえるかもしれない。

2台のピアノは微妙に調律されていたようだ。あとから「解説」を読んだら、1/4音
ずらして調律してあるという。静寂の中に鹿(しし)おどしが鳴るかのような不思
議な世界だった。その中で、バリトンの大久保さんは、私の席と並列の位置だっ
たので、私には声が直接届かなかったが、「色即是空~」と般若心経を立派な
声で歌い上げた。

演奏終了後に。客席から赤ネクタイのヘンツェ氏が登場、ボラボーの中、カンブ
ルランとしっかと抱き合った。

--休憩--

休憩時間にステージのイスの並べ替えが行われる。第1ステージは正面にピア
ノ2台が入り、イスの配置も変則的だったし、第2ステージはフルオーケストラと
なるうえにハープ、ピアノ、チェレスタが下手後ろに入ったので大変な作業。数
人がかりで一つひとつ進んでいった。ステージ前列には独唱者、朗読3人の席
が用意された。

2.細川俊夫 ヒロシマ・声なき声
 --独唱者、朗読、合唱、テープ、オーケストラのための
 Ⅰ楽章 前奏曲・夜--オーケストラのための--
  18:37 合唱団がP席に入ってきた。女声26人(?)、男声21人の混声合
  唱団である。
  18:38 オーケストラが入場。
  最後に朗読者3人、独唱者とともにカンブルランが入場。静かに演奏が始ま
  った。
  カンブルランは前ステージと同様指揮棒を持たない指揮。カンブルランの視
  線は、ほとんど終始譜面台の譜面に釘付けである。

 Ⅱ楽章 死と再生--3人の朗読、合唱、テープ、オーケストラのための--
  18:51 カンブルランの左手により合唱団が起立する。朗読、合唱、録音テー
  プと一体となったステージ。少女の朗読--「その時、私はまだ1年生でした
  ・・・・・・突然、ピカリと光、ドンと・・・・・・。」英語の朗読も続く。戦時中の録音--
  「大本営陸海軍部、十二月八日午前六時発表。帝国陸海軍ハ今八日未明、
  西太平洋ニ於ヒテ、アメリカ、イギリス軍ト戦闘状態ニ入レリ・・・・・・」。

  (19:05 朗読者は上手客席へ退場)

 Ⅲ楽章 冬の声--合唱とオーケストラのための--
  文字どおり冬のイメージである。このあたりでは、私自身完全にこの曲の世界
  に入っている。

 Ⅳ楽章 春のきざし--アルト独唱、合唱、オーケストラのための--
  アルト独唱が「よく見れば なずな花さく 垣根かな」(芭蕉)と歌う。「春のきざ
  し」である。名唱だった。

 Ⅴ楽章 梵鐘の声--合唱とオーケストラのための--
  合唱が「月いづこ 鐘はしずみて 海の底」(芭蕉)と歌う。いい合唱だった。
  カンブルランは会場の管楽器にも指揮。譜面を見ながらとはいえよく振り間違
  えないものである。パート譜の奏者も一生懸命数えているのだろうか。
  19:38 演奏はpppで終了、10秒ほどあって、カンブルランが静かに腕を下ろ
  し、オケに向かって一礼をしたところで大きな拍手となった。
  プログラムの作曲者の言葉には、西田幾太郎『働くものから見るものへ』の序
  文として「東洋文化の根底には、形なきものの形を見、声なきものの声を聞く
  といったようなものがひそんでいるのではないだろうか。我々の心はかくのご
  ときものを求めてやまない」が紹介されていた。

私たちが聴いている音楽(クラシック音楽)というと、メロディー、リズム、和声の三
要素から成り立っており、中でもバッハ、モーツァルト、ベートーヴェン等々機能和
声によるものがほどんどである。

しかし、当夜のステージは、そういったクラシック音楽からもっと拡張した、必ずしも
「耳触りのいい音」ではない、なんといえばいいのかしらん、「壮絶な音のドラマ」
(?)で心の奥底に突き刺さる「音」だった。

この日一日(だけ)のプログラムに意欲的に取り組んだカンブルランと読響に大き
な拍手とブラボーが続いた。私自身、大きな拍手を送ったことはいうまでもない。
今年の「第九」はカンブルラン/読響を聴く予定である。


サントリーホール


広場でのイベント


大ホールのロビー


プログラムの表紙

10月28日(土) 午前中、TVでN響のチャイ5をやっていた。「耳直し」にフル
ヴェンのチャイ4を聴く。「間」が筆舌に尽くしがたい。

その後、たまプラーザで3か月ぶり(!)の散髪。くせっ毛を短くしてサッパリ!




午後は池袋の東京芸術劇場で「東北民謡」と「スペイン民謡」のOB練習。「東北
民謡」はだいぶ前進。「スペイン民謡」は、出がけに確認したにもかかわらず楽譜
を忘れ、やむをえず暗譜で歌った。K君が驚いて、「完全暗譜ですか?」、「いや
~、楽譜忘れただけ。適当に歌っている」(大笑)。


東京芸術劇場1階のパフォーマンス


「スペイン民謡」練習風景

11月1日(木) 昼休み--会社近くの明治紫紺館椿山荘レストランで部内女声
合唱団(17名)の結団式。社内パーティーで、「赤とんぼ」、「きよしこの夜」などを
ア・カペラで歌う予定。(--指導・指揮は僭越ながら私である)。


明治紫紺館




夜は東京芸劇練習室で信時潔「沙羅」の練習。この日はピアノの前田先生に加
え、声楽家の坂上昌子先生、ピアニストの増山歌子先生にご指導いただいた。
声楽家とピアニストとして、木下保先生来、長年「沙羅」をきわめてこられたお二
人のご指導は、こういっては失礼な言い方になるかもしれないが(ゴメンナサイ)、
大変内容のある「掛け合い(姉妹)漫才」だった。「沙羅」は、昭和46年、木下先
生の指揮のもとワグネル2年目(21歳)で歌ったが、今から考えると私自身は何
を歌っていたのだろうと反省しきりとなった。


左から前田先生、指揮の須田さん、坂上先生、増山先生


11月3日(土) 午後、東京芸劇練習室で「東北民謡」と「沙羅」の強化練習。「東
北民謡」も少し形になってきた。--当日は、ソリストの立派な声をお楽しみに!
「沙羅」は最後に全員暗譜で通した。その後、場所をかえてTopの決起大会。


練習前のラジオ体操


蒲地さん指揮「東北民謡」の練習


池袋西口 大馬鹿地蔵でのTop会 16人参加


10月4日(日) 木下記念スタジオ(代々木上原)における「信時潔とその系譜
をめぐって」という洋楽文化史研究会第72回例会に参加。この模様はまた次
の機会に。



(追記)
10月某日 虎の門病院で、2か月に一度の肝臓の定期検査。この日は採血が
大混雑。普段はせいぜい15分待ちだが、この日は「46分待ち」の表示!採血
室には「診療前検査がある方は診察の1時間前までに採決をおすませ下さい」
と表示されているが、診察予約時間にはとても間に合わない。(--成田の出
国審査を思い出した。)

検査結果は、じわりとGOT、GPTの数値が上がっていたが、先生は「まずまず
ですね。虎の門病院に来られて、もう15年になりますね~」というコメント。面談
時間は次回予約も含め2分ほどで終了。
ここ数年はとくにこれといった治療もせず、「経過観察」状態が続いており、体
調も「まずまず」である。

インターフェロンは、平成10(1998)年、11(1999)年、18(2006)年(ペグ
イントロン+レベトール)と過去3回治療を受け、ほぼ「著効」にいたっているが、
いずれももう一歩の所で「消失」になっていない。

インターフェロン投与中の副作用としては、ものの本にもあるように、発熱、頭
痛、筋肉痛、食欲不振、思考力減退、倦怠感などが考えられ、私の治療中も
このような副作用が現れた。副作用として、思考がまとまらない、記憶がなくな
る、少し難しい本が読めないなどフラフラのお年寄り状態も経験。
よくインターフェロン体験記--闘病記をブログで書かれる方がおられるが、
それ自体大変努力を要することである。


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2 コメント

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二人のハンス (minorer)
2012-11-05 21:50:12
ヘンツェが会場に現われたという文章にビックリ仰天
まさしくその日ヘンツェはドレスデンの病院で
86歳の人生を閉じました

プログラム紹介には作曲者名ツェンダーと書かれてますね
ヘンツェの方が作曲家としては有名なのでお間違えになったのかな
返信する
Re;二人のハンス (katsura1125)
2012-11-07 19:25:54
minorerさん、有難うございます。

明らかな混同ですね~。お恥ずかしい。その他にも補記したい箇所が見つかっておりまして、時間ができたら上書きします。

このところ多忙にして、ご返事をお入れするのが遅くなりました。けして「無視」していたわけではございません(笑)。(多忙の状況は後日ブログにて。)
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