今日は、actualには7月20日(水)である。
昨日までは、7月3日(日)~5日(火)の「東北紀行」の記事をアップし
ていた。
その後の大きな出来事として、一昨日18日(月・祝)のOB六連本番
に向けて、多忙な10日間があったが、その間には他にも記録してお
かなければならないことがある。
7月8日(金)には中央大学クレセント・アカデミー佐藤元英教授『昭和
天皇実録』から読み解く太平洋戦争第6回「対米英戦争の『聖断』
--東条内閣における開戦の国家意思決定と天皇」を聴講した。
「春期」講習の最終回だ。
<レジュメ>
1.東条内閣と「帝国国策遂行要領」決定
2.開戦宣言と戦争理由を成文化
3.開戦の手続きと御前会議・閣議決定
4.(外務省)南洋局の宣戦布告のケーススタディ
5.条約局でつくられた開戦外交のシナリオ
6.開戦の意思決定-12月1日 御前会議
7.上奏裁可を経ない異例の「覚書」通告
8.理由を付した開戦宣言としての詔書
4月22日(木)より本講座を聴講すること3か月に及んで、私には「ア
メリカから見た日本とヨーロッパ--とくに1930年代~40年代初め」
は如何なるものだったのだろうか?という「問題意識」が生まれた。
OB六連も終わったので、これからゆっくり、そのテーマについても調
べたいと考えており、猿谷要『物語 アメリカの歴史』などを購入した
が、この日(7/8)ちょうどタイミングよく、佐藤教授から参考資料とし
て、「アメリカ外交史」と「米国の中国政策」をまとめたものが配布され
た。原典は、入江昭『米中関係史』、五百旗頭真『日米関係史』であ
る。
考えてみると、米国の「原則」は、1932(昭和7)年の(パリ不戦条約
の延長線としての)スチムソン・ドクトリン(cf.昭和6年の満州事変、
7年リットン調査団報告書、昭和8年国際連盟脱退)の頃から太平洋
戦争開戦にいたるまで大きくは変わっていないのだろうか??
11:24 大場町より新百合ヶ丘行に乗る。
11:51 新百合ヶ丘着
11:54 いつもの電車(11:56唐木田行)に乗る。
12:10 15分ほどで小田急多摩センターに到着。
12:13 モノレールの多摩センター駅
12:15 12時16分発上北台行
12:19 モノレールはワンマンです。
12:22 中央大学・明星大学駅着
12:23
12:25
12:26
12:26 リオ五輪出場内定者
12:27
12:27 クレセント・アカデミー
12:29
12:29
12:30 本日の資料
12:30 こちらは「はじめてのタップダンス」講習
12:38
13:14 資料「アメリカ外交史」
--講義中--
15:09
15:11
15:17
15:20
15:27 15時27分発多摩センター行
15:34
15:38
15:39 小田急多摩センター改札口
15:39
15:53 新百合ヶ丘着
15:54 ドーナッツを買う。
15:56 新百合ヶ丘店3周年
16:00 あざみ野駅行東急バス
16:37 あざみ野駅着 期日前投票へ
16:38 たまプラーザ駅前に志位委員長きたる
16:40
16:42 山内地区センター
16:42 期日前投票 結構混雑していた。
16:50 民放が「出口調査」を行っていた。
17:15 ユリの季節だ。
* * *
7/19(火)、BSフジ20:00~
「現代における国家とは 『国境学』で徹底議論」
はおもしろかった(岩下明裕北大教授が出演)。
岩下明裕『国境学』(中公新書)もなかなかおもしろそうだ→こちら。
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