昨年5月のブログに書いたように、子供の頃から今日(こんにち)でいう「お笑
い」が好きだった。小学校2年から高校卒業まで関西寄り(--関西自体ではな
い)に住んでいたので、浅草よりも大阪のお笑いになじみがあった。
松竹と吉本の両新喜劇、落語でいえば松鶴などである。(松鶴は、高校時代だった
か祖母と梅田花月まで聴きに行ったことがある。)本ブログを開設するときには桂
米朝から名前をいただいた。
その落語、何か全集を買いたいとずっと考えていたところ、小学館から「落語 昭
和の名人」が隔週刊で発売となった。三代目志ん朝、五代目志ん生、五代目小さ
ん、六代目圓生・・・・・・と続く。八代目正蔵、八代目文楽そして六代目松鶴なども楽
しみである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/5f/df1bb780dfbe3cb7bc2e1e55b4cbc468.jpg)
橘曙覧風にいえば「楽しみは名人の話芸なり」である。
ところで、小泉信三著『海軍主計大尉小泉信吉』には
「彼れの艦上通信にも現れているが、信吉(注;大正7年生まれ)は笑いを好み、
又笑いを解する男だったと言えるかも知れない。一面彼れは厳格なところがあり、
一種の落語家の、自分の顔の棚卸しなどして、吾れから笑いかけて誘う類(たぐ
い)のクスグリを嫌い、黙って立って、ラジオのスイッチを切るようなこともし
た・・・・・・」
とあるが、戦前でもそのような、「話芸」からはずれた笑いはあったようだ。
い」が好きだった。小学校2年から高校卒業まで関西寄り(--関西自体ではな
い)に住んでいたので、浅草よりも大阪のお笑いになじみがあった。
松竹と吉本の両新喜劇、落語でいえば松鶴などである。(松鶴は、高校時代だった
か祖母と梅田花月まで聴きに行ったことがある。)本ブログを開設するときには桂
米朝から名前をいただいた。
その落語、何か全集を買いたいとずっと考えていたところ、小学館から「落語 昭
和の名人」が隔週刊で発売となった。三代目志ん朝、五代目志ん生、五代目小さ
ん、六代目圓生・・・・・・と続く。八代目正蔵、八代目文楽そして六代目松鶴なども楽
しみである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/5f/df1bb780dfbe3cb7bc2e1e55b4cbc468.jpg)
橘曙覧風にいえば「楽しみは名人の話芸なり」である。
ところで、小泉信三著『海軍主計大尉小泉信吉』には
「彼れの艦上通信にも現れているが、信吉(注;大正7年生まれ)は笑いを好み、
又笑いを解する男だったと言えるかも知れない。一面彼れは厳格なところがあり、
一種の落語家の、自分の顔の棚卸しなどして、吾れから笑いかけて誘う類(たぐ
い)のクスグリを嫌い、黙って立って、ラジオのスイッチを切るようなこともし
た・・・・・・」
とあるが、戦前でもそのような、「話芸」からはずれた笑いはあったようだ。
今で言えば柳亭痴楽かしらね
(全然「今」じゃない)
みたら・・・・・・。
「あの」柳亭痴楽は4代目だったんですね~。「痴楽綴
方狂室」も大好きでした。「破壞し尽くされた顔の持
ち主」は「つかみ」としてはバッチリ、「柳亭痴楽は
いい男」の節回しもすばらしかった。「恋の山手線」
では駅の数も今より少なかったのかしらん?
私の記憶になかったけれど、52歳で脳卒中で倒れてし
まい、闘病生活に入ったんですね~。まだ若かったの
に残念です。