平成31(2019)年3月6日(水)、聖徳太子ゆかりの法隆寺初巡礼。
朝8時20分にホテルフジタ奈良を出発。9時には斑鳩町にいた。
JR法隆寺駅からバスには乗らず、歩くこと20分、法隆寺の参道に入
る。
法隆寺の松並木を歩いて行くと南大門の前で、制服を着たボランティア
ガイドのおじさん(65歳?)から声を掛けられる。
「よろしかったら法隆寺のご説明をしますよ。無料です。お時間はあり
ますか。2時間はかかります」
我々は、
「ではお願いします」
となったが、二人連れの男子大学生は、2時間と聞いて、ノーサンキュー
となった。
法隆寺の説明をじっくり聞き、いかに自分が無知であるかを認識する
(笑)。
聖徳太子(厩戸皇子)についてはWikipediaをご参照→こちら。
聖徳太子の命日は、推古天皇30年2月22日である。
聖徳太子には4人の妃がいた。その一人、蘇我馬子の娘の子が山背大兄
王。山背大兄王以下聖徳太子の子孫は、山背大兄王の従兄弟である蘇我
入鹿に「滅ぼさ」れることになる。
ちなみに蘇我入鹿は、乙巳の変(645年)で中大兄皇子と中臣鎌足によ
って暗殺されることになる。ここから大化の改新(646年)が始まる。
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9:17 南大門
9:18
9:18 南大門(国宝) 室町時代、永享10(1438)年再建
9:20 南大門越しに 中門、五重塔
9:23 団体客がやってきた。
9:24 「西院伽藍」の中門、五重塔
9:25 緑色の制服がボランティアガイドさん
9:26 東大門(国宝)
9:27 西門
9:29 ボランティアガイドのおじさんから説明を聞く。
西院伽藍と東院伽藍。この時間は人も少なく、ガランとしている。
9:34 中門(国宝)
金剛力士像は奈良時代の作。「塑像」(粘土製)である。
9:36
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平成5(1993)年「日本最初の世界文化遺産」 平山郁夫氏の書。
9:39 埋蔵金の隠し場所とか
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9:41 右側が入口--拝観料を支払う場所
9:43 三経院→こちら。
9:44 拝観料大人1,500円
9:45
9:46 五重塔、大講堂、金堂 (ハイキー撮影)
9:46 金堂 法隆寺のご本尊が安置されている(→こちら)。
9:46 五重塔 →こちら。
仏舎利(釈尊の遺骨)を奉安するための塔。言うまでもなく、わが国
最古の五重塔だ。
9:49
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9:53 金堂の礼拝所 ここから拝んでいた。
9:53
10:08 大講堂(国宝) →こちら。
平安時代925年に落雷により焼失、990年再建された。
10:08
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10:10 随時、補修されている。
10:13
大講堂で薬師三尊像を拝む(大講堂内撮影禁止)。
10:18 大講堂側から見た金堂、中門、五重塔
10:19
10:20 廻廊(国宝) エンタシス(→こちら)の柱がすばらしい。
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10:24
10:25 「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」(正岡子規)
10:25 このあたりにあった茶店で子規が句を詠んだという。
10:25 聖霊院(国宝)
10:29 東室(国宝)、妻室(重要文化財)
10:31 馬屋
10:32
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10:34 食堂(じきどう、国宝)、細殿(ほそどの、重要文化財)
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10:36 大宝蔵院(だいほうぞういん)で宝物をじっくり鑑賞
本物の「玉虫厨子」(→こちら)に感動!(こちらも撮影禁止!)
10:37
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11:22 東院伽藍へ
11:22 「法皇教会」 ちょっと謎?
11:24
11:25
11:26 夢殿
11:35
11:36 夢殿
11:36 聖徳太子関連のお札
11:36
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11:40
お世話になったボランティアガイドの方とは中宮寺の前で、サインを
して別れた。
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