昭和40年代後半、毎夏、松竹新喜劇が新橋演舞場にやってきた。
私は毎年観に行った。昭和49年などは、昼の部と夜の部の両方に
通ったものだ。
当時、この新橋演舞場に来ていた観客を40代から60代とすれば、
それは大正から昭和一桁生まれの人々だったのではないかしらん。
当時の松竹新喜劇は、「義理と人情」が今よりもいささか濃かっ
た時代に、それらの世代に支えられていたというか、それらの世
代とともにあった、と言えるのかもしれない。
男性陣では藤山寛美、小島慶四郎、小島秀哉等がそろっていた。
小島秀哉が退団するのは昭和52年である。
一度、天外と寛美の『桂春団治』を生で観たかった。
昭和48、49、50年のプログラム。
梅田花月のことを書いたら、Mさんが閉館した時の情報を知らせ
てくれた(→こちら)。
最新の画像[もっと見る]
- 11/28 京都紀行(17完) 祇園を散策して 12時間前
- 11/28 京都紀行(17完) 祇園を散策して 12時間前
- 11/28 京都紀行(17完) 祇園を散策して 12時間前
- 11/28 京都紀行(17完) 祇園を散策して 12時間前
- 11/28 京都紀行(17完) 祇園を散策して 12時間前
- 11/28 京都紀行(17完) 祇園を散策して 12時間前
- 11/28 京都紀行(17完) 祇園を散策して 12時間前
- 11/28 京都紀行(17完) 祇園を散策して 12時間前
- 11/28 京都紀行(17完) 祇園を散策して 12時間前
- 11/28 京都紀行(17完) 祇園を散策して 12時間前
大阪というとテレビに必ず映る「道頓堀」ですね~。今は取り壊された「中座」も懐かしいですネ~。
中座の客席数は1,000余りだったとここと。貸し切り料は数百万円だったでしょうか?+お土産代?