『少年サンデー』、『少年マガジン』が発売になったのは昭和34(1959)年だが、
たしかその8号から欠かさず読んでいた。『少年サンデー』では寺田ヒロオの「ス
ポーツマン金太郎」、横山光輝の「伊賀の影丸」、『少年マガジン』ではちばてつ
やの「ちかいの魔球」などが好きだった。
どちらかというとおもしろみを感じなかったのが赤塚不二夫の「おそ松くん」や
「天才バガボン」だ。8月に赤塚不二夫が亡くなったが、それでなんで大騒ぎする
のか私には分からない。赤塚不二夫の「笑い」はなぜか私の心の琴線には触れな
い。「それでいいのだ」ではない。
それは林家三平の「おもしろくなさ」と通じるものがある。林家三平にせよ赤塚不
二夫にせよ、彼らをおもしろいという人は本当にそう思っているのだろうか。
ちなみに「たかがマンガ」とはいえ、また私が子供に返ったとしても、「おぼっち
ゃまくん」もさっぱりおもしろくない。
たしかその8号から欠かさず読んでいた。『少年サンデー』では寺田ヒロオの「ス
ポーツマン金太郎」、横山光輝の「伊賀の影丸」、『少年マガジン』ではちばてつ
やの「ちかいの魔球」などが好きだった。
どちらかというとおもしろみを感じなかったのが赤塚不二夫の「おそ松くん」や
「天才バガボン」だ。8月に赤塚不二夫が亡くなったが、それでなんで大騒ぎする
のか私には分からない。赤塚不二夫の「笑い」はなぜか私の心の琴線には触れな
い。「それでいいのだ」ではない。
それは林家三平の「おもしろくなさ」と通じるものがある。林家三平にせよ赤塚不
二夫にせよ、彼らをおもしろいという人は本当にそう思っているのだろうか。
ちなみに「たかがマンガ」とはいえ、また私が子供に返ったとしても、「おぼっち
ゃまくん」もさっぱりおもしろくない。