5月11日(土)、快晴。午前11時30分より浄土真宗本願寺派により義父の葬儀・告別式・初七日法要。すべてが終わり、帰宅したのは . . . 本文を読む
5月9日(木)午前、亡くなった義父の関係で、義母からお役所関係の手続きを頼まれる。早速、上下水道局等々公共料金関係に電話。契約者(世帯主)の変更を申し出る。--「あなたはどなた?」の問いに「義理の息子です」。金曜、土曜と叔母さんの見舞いには行けないので、午後、自由が丘の . . . 本文を読む
5月8日(水)、ラウンジ懇話会。3か月に一度の「日本歌曲を観賞しよう」。はや10回目だ。今回は20世紀生まれの天才、橋本國彦を取り上げた。今回は、Sさんのご好意で拝借したBOSEシステムでの鑑賞だ。橋本國彦は、明治37(1904)年に生まれ、昭和24(1949)年に . . . 本文を読む
5月7日(火)、午後1時から30分ほど、Hさんとあざみ野クラブの引継(於集会所ラウンジ)。過去のファイリングとデータファイル(USB)。ペーパー(A4 1枚)では、引継ぎ項目と年間予定。コピー機の暗証番号も書いておいた。その後、自由が丘へ叔母さんのマンションチェック . . . 本文を読む
5月6日(月)、早朝、家内のスマホが鳴った。病院から義父危篤の連絡だ。家内はあわただしく病院へ。しばらくして、私も後を追った。途中で、病院から家内に連絡があり、6時ごろ「心肺停止」になったという。病院に到着。早速、病室に直行、横たわる義父へ . . . 本文を読む
5月5日(日・祝)、朝一番で義父の入院している病院から、容態がかなり悪化していると連絡がある。部屋もナースステーションの前にかわったようだ。8時過ぎ、とりいそぎ家内が病院へ向かう。義母や義妹も病院へ向かうという。私も自宅でスタンバイ。10日(金)の飲み会を早々にキャンセルする。10時頃、 . . . 本文を読む
5月4日(土)、この日、家内には叔母さんの病院から義父の病院へ回ってもらう。午後、男声合唱団「ぶんだば」第11回コンサートを聴く(於府中の森芸術劇場ウィーンホール)。指揮はワグネルの大先輩渡邊學而さん。私より15年ほど先輩に当たる。「ぶんだば」の団員は21人だ。府中の森芸術劇場は3回目かし . . . 本文を読む
「ドボコン」ではないが、「モツレク」とは言うまでもなく、モーツァルト(1756-1791)の「レクイエム」である。このブログでも何回か取り上げているかもしれない。--お互いすぐに忘れる?(笑)。モーツァルトは、18世紀後半に生まれ、18世紀後半に亡くなった。35年の短い、燃え尽きた一生 . . . 本文を読む
この4月、河合栄治郎関連の本が出版された。湯浅博『全体主義と闘った男 河合栄治郎』(産経NF文庫)である。学生(大学)時代に読んだ本は、阿部次郎(1883-1959)、小泉信三(1888-1966)等だったが、河合栄治郎(1891-1944)も、『学生に与う』など、 . . . 本文を読む
5月3日(金、祝)、快晴。日差しが強い。自宅からウォーキングを兼ねて、たまプラーザの「100段階段」(→こちら)の取材に行く。100段階段は、この4月7日、お披露目のセレモニーがあった。美しが丘小学校の近くと聞いていたが、少々遠回りしたことも . . . 本文を読む
4月30日(火)は平成最後の日であり、ご退位の日。5月1日(水)は令和最初の日であり、ご即位の日。この日は、今年だけの祝日だ。1日(水)が祝日になることによって、4月30日(火)と5月2日(木)は自動的に休日となった。また、5月5日(日)が祝日となることから . . . 本文を読む
ワグネルの後輩ウルトラ・バスのSさんが4月25日に亡くなった。肺腺がん、64歳だった。4月29日(月)、お通夜に参列する(於東大宮葬祭センター)。--無宗教、音楽葬。各地から同期をはじめ関係あるOBが参列した。Sさんは私が4年生の時の1年生だった。彼らが4年の夏合宿やフェアウェルにも行った思い出が . . . 本文を読む
4月28日(日)、叔母さんから預かったものを叔母さん宅へ。郵便物、留守電をチェック。ちょうど電話があり、親戚と会話。叔母さんから頼まれた日記メモを持ち、産経新聞を買い、病院へ。叔母さん宅から近いのが幸いだ。叔母さんと話しているうちにもう一つ頼まれ、叔母さん宅ともう一往復。 . . . 本文を読む
4月27日(土)、10連休スタート。人出が多かった。8時半、居宅介護支援事務所に電話。休日出勤の方にケアマネとデイサービスへの連絡を丁重にお願いする。その後、夫婦で世田谷区奥沢の病院へ。自由が丘駅から徒歩7分、奥沢駅からだと徒歩2分だという。叔母の見舞いと入院手続きなど . . . 本文を読む