河村顕治研究室

健康寿命を延伸するリハビリテーション先端科学研究に取り組む研究室

東大生の授業料は上げるべきか

2009-10-04 | 大学
昨日の朝日新聞にショッキングな意見が1面の半分を使って掲載されていた。
現役東大教授小林雅之氏の「金持ち東大生の授業料を上げよ」という記事である。

民主党政権になってあらゆる予算の枠組みが見直されている時期だけに、見過ごせない記事である。

記事から主要な内容を抜粋してみる。

大学教育は持ち家に次ぐ人生で2番目に高い買い物
 生活費平均年100万円 4年間で六百数十万円
 私立大学なら4年間で1000万円
 高卒後働いて稼げたはずの所得を加えると千数百万円

東大生の家庭では家計年収950万円以上が5割以上
私立中高一貫校出身者も5割を超えている
 一方で家計年収450万円未満も1割あまりいる

日本では子の教育は親が負担するという意識が強い
欧州では教育は社会全体で支えるという考え方が強い
 ドイツ、フランスでは国立大学の学費は原則無償

金持ちの東大生に多くの税金を投入するのは「逆配分」になる

60年代に米国の州立大学で逆配分をめぐる議論が起こり、授業料を高くして低所得層には高い給付奨学金を出すところが増えた

日本には奨学金の返還免除の制度がない

国の財政が逼迫しているから、大学独自の給付奨学金制度を創設すべきだ

東大では08年度から家計年収400万円以下の学部学生の授業料を全額免除することに決めた
 同年度の対象者は1329人

小林教授の結論は、授業料を私大並みの80万円に引き上げて、その代わりに家計の所得に応じて奨学金を給付するというのがあるべき姿だというものである。

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記事を読んで感じたこと

小林教授の主張はもっともである。
しかし、理想を言えばドイツ、フランスのように国立大学の授業料は無料にして欲しい。
その前提として、国立大学を卒業した学生は、卒業後、社会に貢献して恩返しをするという使命を持つべきである。

私が学生であった頃、国立大学の授業料はまだ安かった。
年144000円くらいだったと記憶している。
徐々に授業料が上がり始めた時代で、留年した先輩など、年数万円の授業料だったと思う。

ただ、その頃でも国立大学を卒業したら社会に貢献しなければいけないという議論は学生の間でもあった。
何しろ一人前の医師1人を卒業させるには1億円かかると言われていたから当たり前である。

私自身もそう言った意識は持っていた。
だからこそ、まだ誰もリハビリテーション等というものを知らなかった時代にリハ医を目指したのである。

本学にも医師教員は数人いるが、全員国立大学出身である。

私学の教育に国立で税金を投入された医師がかかわっているというのも少し変な感じを受けるかもしれないが、私立と言っても学校法人であり国の予算を受けている。
教育に貢献するというのはある程度使命感がないとやっていけるものではない。


大学教育は無料、卒業したら好きにするというのではあまりにも都合が良すぎる。
また、授業料は親がしっかり払ったのだから、卒業したら自分の好きなようにするというのも同じである。

東大生の授業料を私学並みに引き上げたら、ホリエモンのような「稼いだが勝ち」という卒業生ばかりになるのではないかと危惧する。


話が飛ぶが、昨夜NHKの特別番組を見ていたら、民主党の鳩山政権は大臣に自民党時代よりも東大出身者が多いのだそうだ。
東大出身の高級官僚の天下りがけしからんという気持ちが国民の中に蔓延しているのだが、私は東大を卒業して将来の天下りを期待して官僚になるのはごく少数派なのではないかと思う。
若い頃からそんなことを考えるのは、就職したばかりの若者が将来の年金を計算するのと同じで、ちょっと想像しにくい。
それよりは、純粋に日本の将来のために貢献したいと思って官僚になるのではないだろうか。
人間は弱い存在だから、そう言った志が、社会の荒波にもまれて年を経ると変容するのだろう。

いくら家庭が裕福であっても、大学の授業料が無料であれば、社会が自分たちに期待していると言うことを感じるのではないだろうか。
そうすれば立派な官僚や政治家もその中から生まれるはずである。

人はお金をかければ立派になるのではなく、周りから期待されて育てられることで自覚が生まれるのだと思う。



 

コメント
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