角館の斎場(大曲仙北広域北部斎場)から見た山並み。
きれいに晴れ上がって、心洗われた。
弟の訃報を聞いて、旦那様が素早く動いてくれた。
月曜の早朝には、友人の葬儀社の方が横浜に向けて車を飛ばし、
検案を終えた弟を引き取り、火曜朝には角館に到着。
検案で、弟は腹水・胸水があって、心不全の病名がついていた。
弟の友人が1週間前に「井島さん調子悪そうでした」と話していたという。
ずっと背中の痛みがあったのだろうな。
自分でも「また解離が出てきた」とわかっていたかも。
そして心不全も進行していて、おそらく18日頃(検案書の死亡日)、
大動脈解離が再発して亡くなったのだと思う。
角館市役所で埋葬許可証を出していただいたが、
弟は現住所・横浜、本籍・新潟、届出人の私の住所は秋田ということで、
あちこちに丁寧に連絡してくださった。
そのあと角館の斎場に行って、山並みを見ていた。
が、火葬がはじまると空はかき曇り、雪が降り続いた。
(奧の窓の雪の降り方半端じゃなかったのですがわかるでしょうか)
葬儀社の方に「雪が強いのでお車を玄関前に持って来ては?」と言われたが、
火葬が終わったとたんに、空は晴れていった。
斎場のすぐ隣にある、父が眠るお墓。
こちらに納骨して、弟も父と一緒に眠ることに。
帰り道に見えた太平山。
真っ白な山頂がきれいだった。
秋田の家に帰り、仏壇に小さな遺影を置いた。
横浜の食堂でコックとして働いていた時のもの。
弟は新潟では有名だった小さなステーキ店を店主から譲り受けていた。
弟の焼くステーキは美味しく、他の料理もテキパキと作っていた。
でも調理師免許は持っていなかった。
調理師試験に合格できなかったから。
今思えば、弟には「試験」が一番のストレスだったのだと思う。
おそらく、特異的学習障害-ディスクレシア(読字障害)ゆえに。
私自身はどちらかというとASD/ADHD系だと自負しているが、
弟はディスクレシア+軽いADHDではないかと。
話していれば、弟は理解力もあり話題も多くて、
酒を酌み交わしながら弟と話すのは、ほんとうに楽しかった。
でも、読み書きになるとどうしても上手く行かない。
書字読字困難があったのだと思う。
今は大学のセンター試験でも、ディスクレシアとしての申請があれば、
字を大きくしてもらったり、試験時間の延長も可能になっている。
うちの外来でもディスクレシアの子を心理士さんが指導しているが、
日本では認知度が低く、まだまだ学ぶことがいっぱいある。
障害ゆえに、弟は学校のテストも苦手で、運転免許も取れなかった。
そのストレスでパチンコなどのギャンブルにはまるようになり、
私がギャンブル依存症の施設を探し、横浜のワンデーポートに行くことになった。
これが弟にとっては、とてもラッキーなことだったのだと思う。
ワンデーポートはギャンブル依存症の方々をサポートするNPO。
そして「発達障害」のことをすごく理解している団体。
弟は発達診断を受け、根本的な問題は発達障害にあるということがわかった。
自分のことを理解してくれる仲間がいっぱいいた横浜での生活。
弟は幸せだったのだと思う。
横浜ではギャンブルはおろか、お酒もまったく吞まなかった。
そして写真のような笑顔で毎日を過ごせていた。
今、ギャンブル依存症が「疾患」として扱われつつある。
でも弟のように、その根本の問題が解決されてはじめて生活が変わる人も多いのではないか。
弟は私に、ほんとうにいろいろを教えてくれた。
ずっとありがとね。
そっちには、お父さんも、チョコもリンもいるから。
もう背中も痛くならないし、ゆっくり休んでね。
旦那様とご友人のおかげで、スムーズにいろいろできた。
義弟の時は大学から3日応援をいただいたのに、今回は1日だけ。
みなさまに感謝。
今日もびよよよ〜〜ん (*^ __ ^*)