富士スバルラインの開通は、前の東京オリンピックの年に当たる昭和39年とか。それ以来、今の吉田五合目までのバスが開通し、アンチョコ殺伐富士登山スタイルが始まったといえる。古来の参詣道に当たる北口浅間神社からの登山道は急速に廃れる。だが、それ以前の昭和の30年代まで、富士吉田、河口湖方面からバスが走っていて、ヤマケイNEXTの筆者によると、オイラがこの前辿った船津林道の二合目から三合目のコンクリート養生跡などから分かるように三合目の広場までバスが通じていて、どうやら今の精進湖ルートの林道らしき広い道が五合目まで通じているのだが、三合目から五合目まではジープみたいな四輪駆動車に乗り換えてお客を運んだらしい。
船津林道のダート
バス終点となった三合目広場 車掌さんの笛が聞こえてきそう
アスファルト舗装道路に慣れ親しんだ我々には、非舗装のダートやコンクリート補強道路をエッチらコッチらと登るボンネットバスによる三合目までの走行は想像できないし、ましてや、現在の様子からは、初代コロンビアローズ(?)のような容姿端麗女車掌が乗り合わせてオンボロバスがこの山道を行き交ったなんて、全くイメージできない。
たしかに、1400m地点には、昭和27年に富士山が特別名勝に指定された記念石碑がぽつんと立っており、そのころは確実にバスが往来していたのだろう。
昭和27年12月22日 特別名勝富士山の石碑が沿道に立っている
だがどうだろう、昭和27年、1953年から66年、往来は原生林の苔に埋もれ、倒木で隠され、この道を歩くものさえ、今や年に数十人程度だろう。
ヒトの世の隆盛の短さ、儚さに、いまさらながら愕然とせざるを得ないが、まてよ近未来、空飛ぶ自家用車なんてものが富士山上空を飛んで容易に富士山頂にたどり着けたとしても、ちっともおもろない。
荒んだバス道やオイラのあるいた5つの古道はしっかりとした痕跡があるし、ヒトは結局「緑に回帰してくる。」オイラみたいな阿呆が、緑に焦がれて、古木に会いに、また、どんどん歩き始めるのだろう。(と、近未来の富士登山を予測したい・・・・)これらの道が、復活することを、祈りたい。
こないだの日曜日、富士山御中道を歩いていて、きらクラの録音設定しようとNHK東京FMをオンエアしたらバッハの無伴奏ヴァイオリンが流れていた。「ああ、厳しさと慈愛にみちたバッハの音楽こそ、富士の樹々に聴かせるにはぴったりだ。」と理解した。帰って、Youtubeのお世話になり毎朝聴いている。マルツィという女流の方の演奏で。いいなあ。お宝発見。