かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

山麓から富士山をめざす5つの古道を踏破した令和元年

2019-07-02 18:33:30 | 日記

山高故不貴、以樹為貴」山高きを故に貴からず、樹有るをもって貴しとなす。

富士山を五合目の森林限界から登る行為は、山の神に不貞を働いている。富士山は、必ず麓のゼロ合目から登るべし。深田日本百名山に魅せられ、日本の名峰といわれる山を若かりし頃から登ってきたが、富士山だけは敬遠してきた。軽蔑してきたといって過言ではない。あのような砂漠のようなコースを歩いたって面白くもなんともない。五合目までバスやマイカーでやってきて蟻んこの行列のように砂と岩の無機質地帯に歩みを進める行為は「人間性に悖る」、こっちからお断りという時代が、40代後半まで続いていた。

ただし、「富士に一度も登らぬバカ、二度登るバカ」という格言というか、俗諺もあり、一度は登らねばならないと内心思っていた頃、「富士登山競争」という競技を知って、「競技のついでだったら、恥ずかしくない。一度だけ登ろう」と40代後半に決意した。

「富士登山競争」は、7月第四金曜日の朝、標高750mの富士吉田市役所前をスタートし、富士山北口浅間神社脇から標高1500mの馬返しまでの舗装道路11kをひたすら走り、ゼロ合目から五合目までの原生林となっている古来の参詣道を早足で進み、標高2300mの五合目から砂礫と岩稜の道併せて10kをあえぎあえぎ、朦朧としながら歩き詰め、3700mの東北奥宮に制限時間4時間30分でゴールとする過酷極まりない競技。

最初のエントリーした年、オイラは八合目の制限時間に引っかかり悔しい思いをしたが、馬返しから五合目までの原生林と江戸から昭和初期まで隆盛を極めた小屋の残骸などを間のあたりにして、それまでの富士のイメージががらりと変わった。樹がある、それも古木が、と感銘を受けた。その翌日、頂上を踏めない悔しさから、富士吉田にもう一泊し、タクシーで早朝馬返しまでいき、山頂に到達し、お鉢巡りを楽しんで、再び、緑深き吉田口へ降りた。

それ以来「富士登山競争」7回連続チャレンジする中、そのトレーニングかねて、同競争のコースでもある吉田口、裾野市からの須山口からの麓からコースを歩いた。富士の緑に埋もれたいからである。

一昨年は、海抜ゼロからの最長コース村山口、そして昨年は晴天にめぐまれ緑豊かな精進湖口からの山開き。

そして、今年、頂上こそ目指せなかったがヤマケイアルペンガイドNEXTで紹介されている5コースの最後となる船津口を歩いて、五合目まで達し「一応」完登した。いずれのコースも緑深き、貴いコースであり、改めて富士の深さと慈愛を体得することができた。

富士の緑はただの緑ではない、太古からの何度も溶岩に焼かれて、崩壊に埋もれて、ど根性を見せて再生した復活の緑。五合目から下はそのような復活なった緑なのであり、今も森林限界には、さらに上をめざそうというカラマツやコメツガの幼木が強風にめげずしっかりとした緑を色なしている。

そのような、命の舞台にオイラはこれからも訪れるのだろう、命ある限り。できれば、その辺の古木の下に骨を埋めてほしい。


G3Xの練習で広瀬川。

まずまずである。慣れろ。次は星空だ。

スズメ

カルガモ

なぜか、ウミネコ

冠毛のかっこいい五位サギくん

肉食系のおめめは鋭いね。

コメント