かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

ごめんなさい一茶さん

2019-07-12 19:20:34 | 日記

小林一茶については、これまで全くと言っていいほど関心がなかったし、満足に句も読んでいなかった。

「やれ打つな蠅が手をすり足をする」

「痩せ蛙負けるな一茶是に有り」

「雀の子そこのけそこのけ御馬が通る」

などの句ばかりイメージにあり、駄句をいっぱい作っただけの俳人であり、取るに足らないヒトだと思いながら生きてきた。

日本のアニミストを数えるにあたって、宮沢賢治、村尾三省などのほかどのようなヒトたちがいたのか考えていたら、ふと、村尾三省さんが著書「アニミズムという希望」という著作で小林一茶のことに触れていることを思い出して、本棚から取り出して、その頁をめくってみた。

 

長野県北部の柏原村に生まれた一茶は、継母との確執から少年期に江戸に奉公に出たが、50(文化9年)まで俳諧で名を挙げていたが、思うところがあって50になって故郷にもどり65歳(文政10年)に没するまで故郷に暮らし、故郷での句をいっぱい作った。

村尾さんに言わせると、アニミズムの原点は「故郷的存在」であり、自分の生まれ故郷か否かを別として「終の栖」という自分の感覚にぴったりとする「故郷」という地を得て、その場の森羅万象に霊=カミを感じ、自らの生を子孫にバトンできる者こそ一番幸せであり、一茶は、故郷に帰り、そのような幸せの中で句を作り生涯を閉じたのであり、故郷に帰ってからの句に一茶のアニミストたる価値を認めるのだという。

あらためて、図書館から一茶の句集を借りてきて、目を通してみたら、なんと「オイラの感覚にぴったりする」句がいっぱいあるあることに驚いた。見くびっていた。ごめんなさい、一茶さん。

一例をあげると、

「雪とけて村一ぱいの子供哉」(文化11年)

「蟻の道雲の峰よりつづきけむ」(文政2年)

「子供らや烏も交る栗拾い」(文政8年)

雀をはじめとする小鳥、花、昆虫、哺乳類らへの愛着、同レベルでの子供らへの愛着にあふれた句がいっぱい。あらためて、一茶の世界を知ってみようと思った。(故郷に帰った一茶は3人の妻をめとるが、存命中に生まれた子供にことごとく死なれ、一番目の妻に死なれ、三番目の妻は一茶が死んでから子を産んだので、存命中に子孫を見どけなかったし、継母や弟との相続争いなど、はたから見たら決して幸せな環境だとったとは言えないが、それなのに、故郷に帰ってから、どうして暖かな句がいっぱいできたのか、それを一番知りたいのだ。)

山尾さんに言わせると、俳句の季語そのものがカミであるのだという。目鱗ある。であれば芭蕉も蕪村も、虚子も子規もみなアニミストということになり、アニミズムへの帰依のためには、名句をいっぱい詠んで、オイラも句を詠むべし。という気にもなってきた。

賢治や三省さんばかりではなかった、この国のアニミストは。・・・美術の森にも分け入ってみよう。

 

 


青葉山の樹々の名前の学習に奔走中。

 

青葉山で一番多い落葉樹は「コナラ」。「ミズナラ」との違いを学習せよ。

幹は

葉柄が(葉の付け根から枝まで)1センチ以上ならコナラ

 

オニグルミとサワグルミ

よくわからんが、鋸歯(葉の縁のギザギザ)が細かく低いからオニグルミ。リスの好物。

 

 

モミの幼木の先端は二つに割れているんだ

 

 

 

 

 

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