かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

賢治さんの丘と下の畑に立って

2024-11-01 14:48:01 | 日記
湯治場を花巻の賢治さんゆかりの宿に移動する。
午後のチェックインまで時間があつたので、花卷駅のコインロッカーに湯治用所帯道具や山靴などを収納した大型ザックやバックを預けて、駅から歩いて四、五十分のところに位置する賢治「雨ニモマケズ」碑まで歩いてくる。この地、下根子桜の木立に囲まれた丘には、今は移築されたが100年ほど前に宮澤家の別宅があって、賢治さんの愛する妹トシが病気療養で過ごしたり、1926年教師を辞めた賢治さんが設立した「羅須地人協会」の本部として三年程起居した場所。この丘から東に少し下った北上川右岸に近い耕作地が、いわゆる「下の畑」で、賢治さんが農作物の栽培に汗を流したところ。いまも一部有志によって白菜や菊などが植えられいた。二度目となる賢治碑訪問だつたが前回はこの畑には立たなかったので、今回念願が叶った。
十月末の空は快晴の青空で、そよとの風も吹かず、北上川の満々とした流れはスローモーションででも再現したような穏やかで、瀬音もたてず静かに南に流れている。遠く東に早池峰山と薬師岳が霞み、西に眼を転じれば
今は高村光太郎筆の「雨ニモモマケズ」詩碑がひそかにたつ木立の丘が間近だ。
きっと羅須地人協会を訪ねたヒトビトは、あの丘から「下の畑」で働く賢治さんに大声を張り上げ手を振ったことだろう。
あまりにも静かな日で、オイラの耳にもその声が聞こえたような・・










コメント