先週は、1週間ほど岩手の湯治宿二つを渡り歩く。
職を辞してからもう6年になろうとしているが、遠く母親の胎内で36℃前後のお湯に浸かっていた心地よい記憶がそうさせるのか、温泉への郷愁が日々増してきて、とくに秋から春の寒い時期はお湯が恋しくてならない。
そんな欲望を満たすには、日帰り温泉もいいが、できれば「湯治」という古来からの文化に従って温泉宿に連泊し、朝から晩まで温泉三昧をするのがいい。.
ただし、宿の連泊は年金暮らしの庶民にとって経済的に苦しい。だが、わが東北には、一泊3,000円台の自炊宿がまだまだ残っていて、年に数日だけではあるが、そんな欲望を満たしてくれている。
なかでも、先週いつものように三泊ほど滞在した、北上市の湯治宿「夏油温泉」は、湯の質はもちろん山歩きを思う存分楽しめるという環境にあるので、山菜の春、きのこの秋を中心に春と夏には.必ず訪れたいオイラにとって最愛の湯治場である。
そして後半二日ばかりお世話になった花巻市郊外の湯治宿「大沢温泉湯治部」は、ここも湯の質は言うまでもないが、湯宿の建物と部屋のたたずまいが、明治から昭和と引き続く温泉宿の文化の香りがふんぷんとしていて、部屋に設置された液晶テレビを見なければ、まるで昭和の〇〇年にタイムスリップした気分にさせられるまことゆかしいお宿である。
また宮沢賢治好きなら誰でも知っていることだが、この温泉は宮澤家ゆかりの歴史的湯宿で、浄土真宗の篤信家であった賢治さんの父、政次郎さんが毎年夏にこの宿で仏教講習会を開催していて、小学生から中学までの何度か、賢治さんも親に連れられやってきて、何度かこの宿に泊まって講習を聞いていたという資料がある。
下の写真は、この宿に飾られていた1906年(明治39年)の講習会の際の集合写真だが、10歳の賢治さん、8歳の妹トシさん、たぶん30代前半とまだ若い父親政次郎さんが写っている貴重な写真だ。撮影場所は温泉の敷地内を流れる豊沢川の左岸の淵際と推定される。
運が良いことに、先週オイラがあてられた大沢温泉の二階部屋の窓を開けたら、眼下をその豊沢川が静かに流れていた。
もう100年以上も前のこと、いやわずか100年余り前のこと、指間の川べりに10歳の賢治さんがスクッとたってこちらを見ているような・・・そんな幻影も頭をよぎるような・・・あのときからそんなに変わっていないかもしれない窓外の風景であった。
秋の色づきは今一歩というところだが、色づいた落ち葉がいくつもいくつも静かに静かに流れていった。