さとがえり 神楽 剣舞 鹿踊り(さとがえり かぐら けんばい ししおどり)
昨年秋から、岩手の北上、遠野、花巻と歩くようになって、神楽、剣舞、鹿踊りなど、当地の郷土芸能のことが気になってしょうがない。
宮城県北の岩手県境で生まれ育ったからだろうか、笛や太鼓とお囃子、剣舞鬼や権現様の獅子・鹿踊りのお面の異相と青や赤の原色、鹿踊りの白く長いささらのゆらめきなど、なにやら懐かしさを感じる。幼児体験で観た覚え、聞いた覚えがあるか、あやしいところもあるが、あるいは祖先が見聞きし、オイラの魂に伝聞されているのかもしれない。
これらは、いつ・どこで・だれが・どうやって伝え、この地域に広まったのか。いろいろ調べても定かではないが、ユネスコ世界文化遺産にもなっている早池峰神楽は早池峰山に山岳修行にやってきた山伏が中世にもたらしたとか。鬼剣舞は、念仏踊りに属するとかで、これも中世の山伏や浄土信仰の遊行僧などが各地を歩いて伝えたということらしいが、鹿踊りについては、獅子舞に属するということだが、だれがいつ頃なのか良く分からない。
いずれにしても、神社仏閣の神事や祖先供養の祭事に庶民が行っていることから、神仏習合の信仰厚い山伏たちによって中世までに伝えられたのだろう。素朴な東北の里人は、義経ご一行のような山伏姿の集団を、畏れ多くも神々の使いに思えて、まずしいながら宿や糧を彼らに与え、彼らの神秘的な祭祀パフォーマンスを霊験あらたかなものとして、ありがたくも素直に吸収したのではないだろうか。
現代にいたって、神楽も、剣舞も、鹿踊りも、かつての厳かな神事から祭りに花を添える郷土芸能として演じられて、オイラにとっては茣蓙や板敷に座り、酒でもいただきながら、様々な演目を楽しみたいところだが、この世とあの世、今と昔の時間軸を自由に行き来していた賢治にとっては、神楽・剣舞・鹿踊りに対座するとき、いつのまにか自らが演者の一員となって、四次元世界の野山で舞い踊っていたのではないのだろうか。舞いながら、踊りながら紡ぎだした言葉を、少しだけ、彼は詩や童話のかたちでのこしてくれたんだな。
「春と修羅」掲載の下記の詩でも、「草色の火を高原の風と光にさゝげ・・・・気園の戦士わが朋たちよ」と演者を同じなかまと位置付け高原で踊っているね。
ライセンスフリーより鬼剣舞の映像
はらたいけんばひれん
原体剣舞連
(mental sketch modified)
dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah
こんや異装のげん月のした
鶏の黒尾を頭巾にかざり
片刃の太刀をひらめかす
原体村の舞手たちよ
鴾いろのはるの樹液を
アルペン農の辛酸に投げ
生しののめの草いろの火を
高原の風とひかりにさゝげ
菩提樹皮と縄とをまとふ
気圏の戦士わが朋たちよ
青らみわたる気をふかみ
楢と椈とのうれひをあつめ
蛇紋山地に篝をかかげ
ひのきの髪をうちゆすり
まるめろの匂のそらに
あたらしい星雲を燃せ
1922.8.31
(以下略) 青空文庫から拝借
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