かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

「冬の星座」と「星の界(よ)」を歌い分けれるか

2024-01-17 18:45:38 | 日記

日本人の中高年以上のヒトたちで、唱歌「冬の星座」と「星の界(よ)」を歌い分けられるヒトがどれぐらいいるんだろう。下にふたつの歌の歌詞の一番を添付したが、「さあ、どうぞ!」といわれて歌ってみると何やら混乱しまいか。

8・7・8・7・8・7・8・7という文字数による調子も、歌詞の長さも、メロディーもよく似ている。よって、歌い分けられるヒトでも、「冬の星座」の歌詞を「星の界」のメロディーで、反対に「星の界」の歌詞を「冬の星座」のメロディーで歌ってもなんら違和感もなく歌えるだろう。

ちなみに、ふたつの歌とも原曲はアメリカ人の歌の替え歌であるということも似ていて、「冬の星座」はウィリアム・へイスというヒトがが1871年にポピュラーソング「愛しのモーリー」として作曲したものに堀内敬三が替え歌を作詞し、昭和22年(1947年)に中学の教科書に載ったもの。そして「星の界」はコンヴァースというヒトが1850年ころに作曲したもので、よく知られた讃美歌312番「いつくしみ深し」のメロディーに杉谷代水が詩をつけ、明治43年(1910年).に小学唱歌になったのだという。「星の界」の方が古い歌だが、オイラはどちらも歌った記憶があるので、たぶん小・中の教科書に載っていたのだろう。

だが、この半世紀以上の時を経て,ふたつの歌は脳内に混とんとしてしまい、どちらがどちらの歌であるのか判別がむつかしくなっていた。しばらくぶりで、ふたつの歌をYoutubで確認し、歌ってみたが、やはり二つの歌は夜空の星の神秘と悠久を歌っており歌詞もどことなく似ている。だから、こうした混乱もやむを得ないのだろう。

今、冴え冴えとした冬の夜空に「冬の星座」に歌われたオリオンやスバルが輝きを放つ。これらの歌をハミングしながら晴れた夜には星たちの撮影をたしなもう。ただし寒いのでインターバル撮影やタイムプラスといったカメラまかせで、セットしたらぬくぬくとした部屋に引き込むのだが。

(下のスバルとオリオンの静止画は2019年1月に石垣島で撮ったもの。つくづく冷えない体で「冬の星座」を観察できた南西諸島の冬の体験はかけがえのない時間だったと回顧する。)

    

       おうし座のアルデバランとその上方のスバル

    

 左上にオリオン、その下におおいぬのシリウス、 右下にエリダヌス先端の一等星アケルナルが輝く。南西諸島ならでは画角だ。

 

 

 

 

 

冬の星座一番(作詞 堀内敬三)

木枯しとだえて さゆる空より
地上に降りしく 奇(くす)しき光よ
ものみないこえる しじまの中に
きらめき揺れつつ 星座はめぐる

 

星の界一番(作詞 杉谷代水)

月なきみ空に きらめく光
嗚呼その星影 希望のすがた
人智は果てなし 無窮(むきゅう)の遠(おち)に
いざその星影 きわめも行かん

 

 

 

 

 

 

 冬の星座  藤色くおん♬思い出さん提供(星の界も)<

 星の界

 

 

 

 

                     

   現在の夜9時ころの軌跡 オリオンやシリウスが観察できる。 左真ん中の一番明るいのがシリウスだが、見ただけではわからないかも。もっと輝かせよう。

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テント場からのほしぞら撮影

2024-01-13 15:05:49 | 日記

おとついの新月の夜、21時ころにベランダに出たら雲がなくオリオンが美しく輝いていたので、久々にインターバル撮影したものを比較明合成してオリオンの軌跡を記録したいと思い、100枚撮影の設定をして部屋に入った。

約20分後にカメラの回収をしたが、なぜか半分の50枚しか記録されていなかったようだ。50枚程度では下のように十分な軌跡とならないとならない。失敗の原因は、カメラの設定がJpg撮影とRAW撮影の同時撮影だったため、おのおの50枚づつ計100枚撮影された時点で、カメラの知能が100枚終了と判断したためのようだ。

倍の200枚撮影設定にするか、jpg・rawのどちらか1本にするかの設定を行う必要があった。このところ星空撮影もご無沙汰、なおざりにしていたので、このような失敗したようだ。カメラの設定なんてすぐ忘れる。

これではいけない。今年は、明るい都市の夜空を逃げ出して、星がさんざめく山のテント場や郊外の砂浜にもっと出かけて流星や星の軌跡をもっと撮ろうか。

山のテント場といえば、衰え行く現状の体力では三脚を担いで高い尾根に登る自信がない(笑)ので、降りたバス停や駅の「すぐそこ」のテント場を探したい。

ここ数年の経験から「すぐそこ」のテント場で星空撮影の適地を思い出す。

アルプスなら、立山の雷鳥沢は30分程度の歩きでサイトについた。立山の大観を一望にできた素敵な場所だった。料金は大幅に上がって、ヒトも増えたようだが、夏休み前などを狙って再訪したい。

富士山ならば、精進湖もバス停から「すぐそこ」で、湖の正面に富士がデーンと鎮座していた。

日光の湯元キャンプ場、北八の白駒池、岩手山の焼走りなんかは、ほとんど歩かずにテントを張れた。焼け走りは温泉もあり格別だった。

尾瀬沼のキャンプ地はバス停のある沼山峠からだと小1時間、三脚背負ってギリギリ何とかなるだろう。

まだ行ってはいないが、八甲田の酸ヶ湯キャンプ場もバス停から「すぐそこ」で、そのうえ酸ヶ湯温泉の割引もあるという。

近場では、泉ヶ岳のキャンプ場が新しくなっていて,、案内では平日1泊500円、コインシャワー1回100円とあり、もう住んでもいいくらいだ。いわばテントの別荘候補だ。

山のキャンプ場なんて、歩いて収穫した山菜やキノコで晩餐をし、暗くなってから星空撮影なんてできるから、もう老いらくの暮らしにとって、楽しすぎる場所ではないか。

問題は・・・・クマさんなんだが・・・夜間に鈴音もかなわんし、どないしょ。(どこも近くにヒトはいるから、いざとなったら助けを求めるか・・・・)

 

 

 

    

    

 

 

 

「すぐそこ」テント場からのほしぞら

 

    

      日光湯元  オリオン

    

      立山雷鳥沢  木星

 

    

                  岩手山焼走り  月と火星

    

   北八双子池・金星(ここは「すぐそこ」ではない。白駒池からのほしぞら写真がなかったので。)

 

   

 

 

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美ケ原からの山岳展望に息をのむ

2024-01-11 20:13:15 | 日記

2024年は、能登半島の震災からはじまった。

日を追うごとに被害の実態が明かされて、地下の浅い地点に伸びる活断層を震源とした直下型地震の恐ろしさを目の当たりにした。建物や道路の被害は東日本大震災をはるかに超えるようだ。日々たゆることのない映像に気がめいて、新春の歓びを日記に連ねる手も凍ったままだ。

だが、いつまでも滅入ってばかりはいられないだろう。被災地の被災者たちのたくましさに、逆に勇気づけられながら、この年を歩きだそうではないか。

昨年は決して「年齢」のせいではないが、山に登ることもテントや山小屋で過ごすこともてっきり少なくなった。運動量も著しくおちて、体重はそれに呼応するように増えた。要するに体力は低下する一方だ。

これではいけない。運動量を回復して体力の向上と減量、ようするに生活改善に取り組まないといけない。(といいながら、ウィスキーのお湯割りをいただきながら、このブログをかいているわけだが)

本日、NHKが放映している「にっぽん百名山ミニ 3min.」を眼にする機会があったが、美ケ原の山頂部から展望した北アルプス北部がモルゲンロートに染まっていて、思わず息をのんだ。

そうなんだ、昨年は安曇野から後立山の山岳展望を楽しんだが、麓からでも、美ケ原のようにバスや車で気軽に登れる高原からでも、少し苦労して登った北アの蝶ヶ岳山荘のテン場やや種池小屋テン場から昔登った槍穂や剣などの山岳展望の旅にもっと出かけて、このようなモルゲンロートやアーベントロートに現地で目の当たりにして息をのもうではないか。琉球のニライカナイ、浄土宗の西方浄土、熊野灘の補陀落の海のような行き先があそこにあると信じながら。

体力増強は必須だが、たとえ劣化していても、その体力に見合った展望所はそこかしこにあるのだろう。北アに限らず、近場で飯豊や朝日といった東北の連嶺の展望所も探してみよう。

 

 

 

美ケ原から北アのモルゲンロート(NHK にっぽん百名山10minから)

 

    

               

 

 

    

         穂高連峰

 

 

    

      槍から大キレット方面

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ゴジラに絶望せず、早春の復活祭を待とうではないか

2024-01-04 18:37:55 | 日記

正月二日の夜に放送されたNHKFMの「まろのSP日記 第27集」を「らじるらじる聞き逃し」できょう午前に聴く。

この番組は、N響コンサートマスターの愛称「まろ」こと篠崎史紀(しのざきふみのり)さんが、ご自身が蒐集しているなつかしSPレコードに刻まれたヴァイオリン曲などを聴かせてくれる番組で、盆正月などに不定期に流されている。

クライスラーやハイフェッツなどのオイラの生まれるずっと以前に刻まれたSPレコード盤の名盤が、NHKスタジオでいちいちゼンマイをまいて、いちいち針を交換して、あのラッパがついた蓄音機により再生されるのであって、ワレワレは残念ながらその音をラジオを通して聴くわけだが、なんともノスタルジックなノイズの微かな音ととも流れるその再生音は、聴く者をはるか古き良き夢の国へ誘う。

SPレコードは賢治さんの生きていた大正から昭和初期に隆盛を極めたのであって、もしかして賢治さんもこのレコードたちを聴いたのだろうか。

この愛すべき番組で、きょうはトーシャ・ザイデルというヴァイオリニストが奏でるグリークのソナタ3番の第2楽章(ソナタⅢー2)が流れた。

この楽章のヴァイオリンが奏でるメロディーは、もう早春の匂いそのものだ。森を覆った深い雪が、やがて春の淡い陽光に少しづつ融け、微かに水音が聞こえてくる、そんな風景が眼に浮かぶような音楽。まさに北欧育ちのグリークもそんな風景を頭に描きながら作ったとしか思えない。

この音楽を聴いて目を閉じると、青葉の森にやがて三月になると芽生えるであろうピンク色の「カタクリ」たちの姿が目に浮かび、その花の香りに誘われてやってくるスプリング・エフェメラルの仲間の「ヒメギフチョウ」さんたちの姿も眼に浮かぶ。

オイラは、12月の最終日、年の瀬に聴く音楽としてラフマニノフのヴォカリーズ(とくにアンナ・モッホで)をあげたが、その音楽は断崖の果てに立ちながら風に打たれるような「絶望的」とまでいいたくないが「虚無的」で力の抜ける音楽の極みだ。

だが、どうだろう。このグリークのソナタⅢ-2はヴォカリーズの対極にあって、そこはかとない再生の音楽に聴こえないだろうか。目を瞑れば花たちが再び現れ、チョウたちがまた花にやってくるという春の復活劇をしずかに祈るような音楽に聴こえないか。ヴォカリーズが「絶望」ならソナタⅢ-2は「希望」。ヴォカリーズが「死」らソナタⅢ-2は「再生」。

2024年、年明けに起きた二日連続のゴジラ襲来にもう心が折れていた矢先に、まろさんは、いい「復活再生への触媒」をオイラにプレゼントしてくれた。

そうだ、もう1、2か月もすれば、マンサクもオウレンもカタクリたちも目を覚ますのだ。待とうではないか。再び春がやって来て、再生した生きものたちが沈みがちな心を慰めてくれる日を。遠くはないぞ。

 

トーシャ・ザイデルのヴァイオリンでグリークのソナタ3番楽章(SPレコード録音)

Dniel Kurganov さん提供Youtube

 

 

 

   【2023年早春・青葉の森の妖精たち】

  

 

 

  

 

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2024年のゴジラ襲来

2024-01-03 20:04:57 | 日記

年が明けて、目の前に信じられない光景が続く。

まずは、元日の夕刻

能登半島を揺るがした巨大地震。朝市の拠点を中心とした輪島の市街地の消失についてインタビューを受けた住民の老婦は、「まるで空襲を受けた後のようだ」と茫然としていた。古い家並の多くが押しつぶされていて、それは正月の午後の親族を交えた団欒を一気に消し去ったのではないかと想像され、まだ多くの人々が取り残されているのではないかと危惧する。まだ、三日現在、被害の全容は明らかではない。

能登半島の惨事があって気づいたのだが、幾本の活断層がズレたといわれるこの地質帯のどまんなかに「志賀原子力発電所」がシレッと存在していたことである。能登半島や伊豆半島はその形を見れば、地球創成以来、どんな力が加わってあのような形になったのか、素人でも分かりそうなものである。まあ、日本列島のかたちそのものが、そこがプレート同士のせめぎあいで生じたような歪(いびつ)な形をしているのであって、この地形上に原子力発電所は不向きである(というよりあってはならない)ことを示しているのではないか。

次に、正月二日の夕刻

羽田空港の滑走路で起きたJAL機と海保輸送機の接触による両機の炎上事故。瞬く間に火の手が上がったJAL機の乗員・乗客が全員助かったことは奇跡であるといっていいが、北陸の被災地に救援物資を届けようとした海保の職員五名の命はあっと今に炎上したしたようだ。能登の震災と決して無関係ではない惨事だった。原因がヒューマンエラーとしてかたずけられようが、航空機が燃料のかたまりであり、AI時代であってもいまだ機械が事故を防いでくれないことを思い知らされた。

 

どうなっているのだ、2024年の年の始まり。

本日、正月三日、今度は北九州の飲食街が炎上している。これは大規模に発展しなければいいが。

 

能登震災の遭難者の捜索と救出はまだ終わっておらず、余震も引き続き起こっており、被災地のことを慮れば、マスコミとくに公共放送たるNHK総合TVは正月番組に浮かれている場合ではないと思うのだが、もう三日目に「新春生放送!東西笑いの殿堂」などという4時間のお笑い番組をシレッと放送している。

さらにこの番組の内容を見れば、年末に報道された「吉本興業メイン芸人の性加害疑惑」が今後どのように発展するのか不明であり、民放では当事者出演番組からスポンサーが次々撤退を始めているというのに、公共放送NHKは、上記番組の半分を吉本芸人にゆだねシレッとクソ面白くもない芸を垂れ流しさせているではないか。

どうなっているのだ、2024年、辰年のはじまり。

明日以降は、自民党の「裏金疑獄事件」もさらなる展開をみせよう。戦後の政界を牛耳ってきた政党がじつは犯罪者集団だったとは(内心見当はついていたが)。昨年のジャニーズ問題と同様吉本興業と芸人たちの闇にも光が当てられようとしているのか。反省したとしているマスコミは、これにいかに向き合うのか。

・・・と話は能登震災から思わぬ方向に拡がり始め、視点の定まらぬ年のはじまりの日記となってしまったのでやめよう、酔っている。

じつは内心押し隠していた見たくもない事実が、自然災害も含め「想定外の事実」として次々と現れてきそうな年である予感がしてならない。イヤな幕開け。

 

 

 

 

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