この写真は瑞光寺阿弥陀堂の鰐口です、拡大して見られると字が刻まれています。
さいきん、鰐口を追っかけています。昨日の錦町のお堂にも鰐口がありました。人吉球磨にある中世の鰐口(~室町時代)は25口(鰐口の数え方は1口、2口のようです)はあるようです。はっきりとした現存している数はわからないと思います。鰐口の中に(いつ、どこで、だれのために)と書かれてあるのが25口くらいあるのです。
いま、合戦峰観音堂にあるのには「阿弥陀如来御宝前奉施入干時嘉吉三年癸亥八月二十四日 願主沙門礼忠」を刻まれているのです。推測でこのお堂は観音堂でないので他所から持ち運ばれたものではと云われています。「・・・南小河大明神御宝前・・・」とある鰐口が深田にあります。南小河大明神は小川町と思われます。水上村岩野のお堂には「・・・大隅州加治木町地蔵堂・・・」とあります。
とくに中世(戦国時代)の鰐口はもともとあった処から戦利品みたいに持ち去られて今のお堂にかけられているのが多いみたいです。25口のうち、もともとから今のお堂にあったものは3口ほどだと云われています。あとは、他所から持ち込まれたものとされています。戦国の頃、相良長続や為続が戦いの場としていた処と重なるのです。今の時代なら‘窃盗罪’です。
このように鰐口には面白いことが隠されています。この鰐口をそろえて資料館で企画展をしてみたいなという衝動にかられています。実現するといいな、です。
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