言わなければよかったのに日記

 私が見たこと、聞いたこと、感じたこと、頭にきたこと・・・を(ありのまま)に伝えます。

成人式に

2021年01月11日 | 日記

    

       木末神社の随身像と狛犬

 成人の日で祝日の日でした。むかしは1月15日だったのに3連休にするために月曜日に・・それでいいのかとは思いますが。といいながら田舎では1月の3日か4日に実施するところが多いようです。3連休の日曜日にするところも多いのでは・・いつでもいいからなのかもしれません。お盆にするところもあるやに聞いています。

 ところが今年はコロナで実施、延期、中止の3つにわかれたようです。可哀そうなのは新成人たちです。隣の町ではあっているのに自分の町では中止・・一生に一度しかないことなのに、です。ニュースでは熊本市は中止、そこでボランティアか?プロ写真家が熊本城をバックに写真撮影サービス、何かしら感動しました。いつもよりいいではないですか。そこで、中止になった市町村へ提案。中止にしたのであったら、いつもとは違ったお祝いをしてあげたら、まずは(お金)かもしれません。10万円くらい出したらどうでしょうか。これからを担ってくれる人たちです、お祝いの先行投資です。コロナが収まってから使えるトラベル券でもいいです、「GoTo成人トラベル」です。新成人者が喜ぶような手立てを、このままでは終わらずにご一考を。

 ちなみに私の50年ほど前の成人式は、人吉市と東京杉並区から、どちらからも‘湯呑’をもらったように記憶しています。

 今日は葬儀参列でした。親戚のおばさん、今年の入って2件めです。今年は親戚の不幸が多くなるのかもしれません。ご用心です。

 今日の天気(


むかし話

2021年01月10日 | 日記

 いわゆる“むかし話”には面白いものが残っているものです。先日、上村の雲羽神社に行ったとき、文化財案内板が立てられていました。そこに『上村の私雨わたくしあめ』というお話も紹介してありました。はじめて聞いた話だったし面白かったので、そのままの文で紹介してみます。

     

 そのむかし、上村の「くもんは(雲羽)というところで、雷さまが空でつっこけられて、地上に落ちてこられました。その雷さまは、なかなか空へは戻れずにいました。そうしたら、近所のどこかの婆さまがやってきて、「やんもこ(荷い棒)を立てて、これであがりたもれ」と教えたそうです。雷さまはようやく帰ることができるようになりました。そして婆さまに「お礼は何がよいか」と言われたので、婆さまは「わたくしにゃ雨たもれ」と言われたそうです。それから白髪岳に雲が掛かり雨が降ると湯前にも雨が降ってくるようになりました。それは、なぜかといいますと、その婆さまは、湯前の生まれで、湯前からこの地に嫁入って来られたということです。それで、湯前では、白髪岳に雨がかかれば、これを「上村の私雨」といって感謝したそうです。湯前ではこの話が残っているそうですが、上村ではきかれなくなったということです。」

 話は変わりますが、音ばかりして、とうとう雨にならないのは、「大畑夕立おこばゆうだち」というそうですが、大畑でいくら雷の音がしても、湯前では雨にならないことを言うのだそうです。そのことから、返事ばかりして、ものにならんという者を「大畑夕立」というのは、このことが由来するというそうです。

 何かついでに大畑に由来するの話も書かれてあって面白く思いました。このようなむかしの話を案内看板で知るとは思いませんでした、故郷のむかし話もどうにか残していきたいものです。

 孫ムスコたちはPK戦で負けて帰ってきました。今日も寒い一日になりました。

 今日の天気(一時


1月9日

2021年01月09日 | 日記

       

 写真はわが家前の9時ころの様子です。朝起きたら10㎝くらい積雪か!と思っていましたが、うっすらと積もっているくらいで一安心でした。クルマも用心しながら普通に走っていました。この3連休は孫ムスコのサッカーのクラブユース選手権大会の試合、今日は決勝リーグ1回戦・・益城だったので心配でしたが、高速は走れたのでよかったです。今日は勝ててベスト8・・明日は準々決勝、また朝早く出かけるようです。見に行きたいのですがコロナ等で自重してビデオを見せてもらうことにします。

 周りの山も雪景色かと思いきやそれほど近くの山は積もってはいませんでした。遠くの白髪岳、市房山は真っ白に雪化粧しています。明日までは用心した方がよさそうです。わが家の外の水道も3夜連続で水を少しだけ流しっぱなしにしています。

 しかし北国では積雪がひどくてたいへんしておられるようです。九州から比べると半端ないから大変です。“屋根の雪下ろし”は経験したこともないですがご苦労されていると思います。雪下ろしによる被害もあってまさしく命がけです。ど素人的に何か自然に溶かす方法がないのだろうかと思っています。高齢化が進むとお年寄りだけでは困難な仕事なようです。うまい方法を考え出してほしいものです。早く春が来ることを願っています。

 今日の天気( → 時々) 


明治時代の新聞

2021年01月08日 | 日記

 昨年の12月ころから明治の頃の新聞を読んでワープロで打ち直しています。じつは20数年前にその頃の村誌編纂事業で(明治から平成2年)までの“山江村”に関する新聞記事調べがあって10数冊になってコピーされています。それを読みながら活字化し直しているのです。

     

 それがとても大変なのです。遅々として進みません。原本新聞がかすれていたのをマイクロ化されて、それをコピーしてあるので字が鮮明でないのです。また、旧字体なので字がわからなかったり意味がよく分からないことも多いのです。写真は32年11月23日の九州日日新聞です。熊日新聞の前身です。この記事は鮮明な方です、ワープロ化はまだ明治30年なので、まだこの記事までは活字化は行きついていません。

 今日は「球磨の夜學會  熊本新聞 明治20年1月13日」を紹介してみます。▢の部分が字が読めないのですが大意は読み取ることができます。

 『 球磨郡山田、木上、其他二三の村々なる中年以上の▢▢文明の今日柄、文字を知らぬと恥辱なりといふ思い付き▢客年十月▢頃ろより協議一致のうゑ夜学会とうふものを村▢何とも其村の小学教員を雇て夜学の教師とし、修身、讀方、作文、習字、算術等を学習するに各村とも会場四十名ばかりいて会則も定まり会長事務係等も選び中々盛んなること▢▢ば教員たちも喜んで教え方▢従事するといふ誠に結構のことなり其▢中、木上村夜学会の趣意書▢▢村▢る久保田氏より報じ▢された▢▢之▢▢▢掲ぐ』

 明治の20年頃、文明開化の波が田舎にも来ていたのか、(文字を知らぬことは恥辱)と夜学で勉強しておられたようです。興味深い、面白い記事もあるのでまた紹介します。

 今日の天気(

  一日中寒い日でした。今夜は雪になるのかもしれません。したがって今日は早めにUPして早めに寝ます。


年賀状のこと

2021年01月07日 | 日記

      

 今日も年賀状が届いていました。元日に届いたはずの私の年賀状に対する返事がほとんどでしたが、まだ出していない方からのもあって、明日に返事を書きます。

 現役を退いたので年々年賀状を出すのを減らすようにしています。付き合いだけでやり取りしていたのは止めようとしています。と云いながらそのむかしいろいろとお世話になって年賀状をやり取りはじめた人です、そんな簡単にはStopしづらいことです。

 今年は相良南小の私の前の校長先生だった方から「ご厚情に感謝しつつ誠に勝手ながら後期高齢期を迎える本年をもって年賀状仕舞いをさせていただきます」という年賀状が届きました。そんな歳になられたのかと思いつつこれまでお世話になったことを思い起こしました。もう10年以上もお会いしたこともなく年賀状だけでの付き合いでした。寂しさもありますがこんな終わり方もあるのかと思ったことでした。私も少しずつご無礼しながらやり取りを縮小していこうと思っています。今年は200枚を切りましたので少しずつ少なくなってきています。

 コロナがたいへんになってきています。緊急事態宣言も出されました。残念ですが年末年始の人の動きが田舎にもあってその影響が今後出てくるような感じです。人吉球磨でも感染者は出てくると思われます。

 今日は一日中小雪が舞って近くの山には積雪が見られました。今夜から明日がちょっと心配です。

 今日の天気(一時小雪)


上村に

2021年01月06日 | 日記

 今日はカミさんの実家:上村にいきました。1月2日に‘寄り正月’をしていたのですが、今年はコロナで“中止”・・バラバラで正月のあいさつにいくことになりました。長居はよくないので、そのあと、上村の神社巡りと天子探索に。実家近くに(石坂天子)があるので行ってみましたが、その痕跡すら見当たりませんでした。上村には他に(麓)(中別府)(塚脇)(榎田)にあるとされているのですが、まだ見当もついていません。今後に尋ねながら調べてみます。

   

      白髪神社

              

               雲羽神社

 白髪神社と鷹羽(くもんは)神社にお詣りしてきました。白髪神社はずいぶんと久しぶりにお詣りしました。拝殿に入ったら‘三十六歌仙絵馬’があったので写真を撮りましたが室内が暗かったのでよくは撮れませんでした。また再チャレンジの必要ありです。

 鷹羽神社には初めて行きました。小さな神社ですが萱葺で雰囲気ある球磨風の社でした。石鳥居も小さくてとても良いと思いました。上村は相良氏のひとつの源流でもあって護られていたいたせいか歴史的にも存在感あるところです。もっと詳しく見て回る必要を感じました。

 今日の天気(


仕事始め

2021年01月05日 | 日記

    

 今日、仕事始めしました。いちおう今年も基本的に火曜/木曜日に出勤することにしています。被災した神仏像展は終了しましたが、神仏さんはまだ帰れずにそのままです。来週13日にいつでも帰ってもらえるように高寺院に‘供養’をしてもらうようにしました。小柿観音堂の観音さまは16日に取りに来られます。1番初めのお帰り仏さまになられます。復旧復興に向けての第一歩です。

 私は資料館任用は1年契約なので4月からはどうなるか分かりませんが、まだまだやらなければならないことが残っています。①資料館展示のリニューアル化・・展示が固定化されていることが多いので少しずつ変化を求めていきたいと思っています。頭を柔らかくして工夫していきたいものです。②村誌の編さん作業です。去年はコロナで全くと言っていいほど動きませんでした、1年遅れてしまいました。遅れた分を取り戻す必要もあります。(山江村と日清、日露、太平洋戦争)(明治の山江)などに興味をもって資料収集をしています。今までにはなかった村誌を創れたらと思っています。③個人的にも(歴史探偵家)としての更なる進歩を、山江のみならず郡市内あちこちと出かけてみたいと思っています。④まとめをすること・・・これまで集めた資料をまとめることを。⑤被災文化財(神仏像)の後処理を一日も早く、などです。

 資料館の仕事を始めてこんなことを思いました。ひとつひとつ熟していけたらと思っています。日々努力です。

 今日の天気(

 


歴史探偵ごっこ 事始め

2021年01月04日 | 歴史探偵

 午後からすっかり正月でなまくらになった体を揺り動かして‘歴史探偵ごっこ’に。

 気になっていた人吉の‘天子’に。人吉は3か所、葦原の天子はわが家の近くなのですが、残りは(中原)と(原田)とあって私は詳しく知りませんでした。昭和55年刊の報告書に中原周辺の地図があって、⛩(天子)と⛩(天下大明神)と記述してあったので、それを手掛かりに歩き回ってきました。⛩(天子)は中原の天子のようです。7月の豪雨で(大柿地区の川反対)浸水したところです。その痕跡は何もありませんでした。今度の水害ではなくて圃場整備でどうにかなっているのではと察しました。地元の人に聞かないと分からないようでしたので、後日に再度行く必要があります。

 ⛩(天下大明神)は原田のようです。西門という集落でお年寄りの方に聞きましたが分かりませんでした。地名としては(天下山 あもりやま)は知っておられました。“ゴソ山”だった、いまは病院施設が建てられているところだと教えられました。病院建築のときに整備されて無くなったような感じでした。ここももっと聞き取りが必要でした。

     

      右が石造地蔵菩薩立像、左は木造釈迦如来坐像です

 けっきょく2か所ともその存在すら消滅しているのではないと思われました。ちょっと残念なることでした。しかし、天子を捜し歩いていてお堂3か所があったのでお参り&写真撮影してきました。今年はじめての歴史探偵ごっこの収穫でした。上の写真は2mほどもある石造地蔵立像さんです。お堂の名前が分かりませんでしたがそのうちに調べます。りっぱなお地蔵さまでした。他のお堂の仏さまも立派でした。そのうちに紹介します。

 今日の天気(霧→

 


初詣 二社詣り

2021年01月03日 | 日記

 今日になってようやく初詣に行きました。しかし例年とは違って青井阿蘇神社にはまだ行かず、鬼木町の2社にお詣りに行きました。(木末神社)と(山王権現神社)です。お詣りする人がほとんど訪れることがない両神社です。私もこの数年前から、年に1,2度お詣りするくらいです。鬼木町内には2つの神社があって、東に木末神社、西に山王権現神社があります。

    

 木末神社は鬼木の東端:木末山(梢山)にあります。祭神は(相良頼俊公夫妻)とありますが詳しいことは私にもわかっていません。この神社は江戸時代に疱瘡流行の折りに社殿等を修造したとあって、流行り病に効験があるとされています。コロナ退散にはいいのかもしれません。山上にあって静かな場所に鎮座しておられます。

        

 山王権現神社は私の家から歩いて5分、山田川近くの鶴村という所にあります。ここは鬼木のいちばん西端にあります。比叡山日吉神社の祭神:山王権現のようです。この神社の由来等もよく分かりません。今日、お詣りに行ったら近くのおばさんがおられて、(火を守る神さま、子どもの夜尿症の神さま)と話してくださいました。近くにはお墓もあって興味深い神社です。

 二つの神社も私もよく分かっていない神社なのでいろいろと調べてみたいと思っています。今年のお詣りはまず地元から、と思ってお詣りしてきました。今日から本格的始動の日になりました。

 今日の天気(霧→

 


正月早々

2021年01月02日 | 日記

     

 叔父が31日の夜に亡くなりました。1日と2日の迎春ムードは吹き飛びました。叔父は2月で91歳でした。私の親父が長男でしたが家を出たので次男の叔父が実家を継いでいました。小さな山の中の集落でいまは限界集落になっています。住民も7,8人になったはずです。そんな集落のまとめ役的なこともしておられた人でした。

 林業が生業で自分で切り盛りをされていたのですが(林業が盛んな頃は羽振りもよかったのです)、年々と林業がじり貧になったのを残念がっておられました。山が相手な仕事だったので力も強かった人です。大きなけがも数度として十数年前には左足を腿から切断して不自由になられたのですが、何せ元気の良い人でした。しかし、高齢と病魔に侵されてこれには勝てなかったようです。

 昨日が通夜、今日は葬儀と・・この2日間はその対応でした、今日は葬儀も終えて初七日も高寺院で済ませたのでわが家に帰ったのは夕方でした。まさしく「朝には紅顔ありて夕には白骨となれる身なり」です。人の命ははかないとはいえ、身近な人が亡くなるのは悲しいことでした。

 正月早々の叔父の死によって、今年の正月気分は明日からになりそうです、叔父の元気に負けないように、明るく元気に過ごしたいものです。

 今日の天気(