日々雑感「点ノ記」

備忘録(心の軌跡)

唐揚げ(有喜漁港の小魚たち)

2014年11月29日 | 日記
諫早市の有喜漁港で釣り糸を垂れて、平和でのんびりとした時間を過ごすことができた。

釣果の小魚たちは、唐揚げになって夕餉の食卓に並んだ。

平和でのんびりとした時間を過ごす事ができる世の中を維持して行くことを遂行できるような人や組織に、私の1票は投じようと思っている。

選ぶ側の価値観が試されようとしている。

選んだあとで、そんなはずではなかったと言っても「あとの祭り」。

しわ寄せは、末端の私たち庶民にふりかかる。

そのような事は、歴史の事実が教えてくれる。

小魚の唐揚げ


豊田一喜

なかよし村

2014年11月23日 | 日記
諫早市の有喜漁港での魚釣りに行く途中の場所に、最近、「なかよし村」という店がオープンした。

魚釣りに行く時に、いつも横目で見て通り過ぎていたが、今日は妻とふたりで店内に入ってみた。

店内の品物の配置がすっきりとしていて、広々としたフロアー全体が見通せるような造りになっている。

よその店ではあまり見かけないようなレイアウトで、その空間が心地良かった。

店のネーミングがこじゃれていると思う。

雲仙市愛野町には、「コスモス」、「ドラモリ」、「マルキョー」、「ビッグキッチン」など、スーパーはたくさんあるが、たまには車で15分程度の「なかよし村」まで足を延ばしてみるのも悪くは無いかなと思った。


豊田一喜

うろこ取り

2014年11月22日 | 日記
昨日の夕方、妻が妻の兄から魚をたくさんいただいてきていた。

妻の兄は、その友人の船で橘湾内に、天気が良ければ週に2回ほど魚釣りに出かけているとのこと。

だから、度々、連れた魚をおすそ分けしてもらっている。

アジ、タイ、クロなど、私の趣味の防波堤釣りで釣れてくれる魚よりかなり大きい、立派なサイズの魚ばかり。

自分が釣る小魚と、頂き物の魚とで、週の内、夕餉の食卓から魚が切れる事はほとんど無い。

昨日はクロを大量にいただいてきていた。

釣れた魚を全て、潮水にペットボトルで作った氷を入れたクーラーボックスごといただいてきていた。

妻は昨晩の夕食の後片付けが終わってから、そのいただいてきたクロのエラと内臓出しを、夜中の12時ごろまでかかって終わらせていた。

今朝は、そのあとを引き継いで、それらの魚のうろこ取りの後に3枚おろしと小さめの魚には薄塩をして冷蔵庫にしまうこと、それからアラは煮付けにしておくようにとの妻からの命が下っていた。

8時頃から始めて、それらの作業が終わったのは10時半を過ぎていた。

三十数匹のクロを捌いたのは生まれて初めての経験で、うろこ取り器がとても役に立った。

24日に息子がその友人たちと、我が家でお疲れ様会を開くというので、そのために妻の兄から大量の魚を我が家に分けていただいた。

橘湾のどのあたりで釣るのかは聞きもしないが、船で釣りに出かければ大きな魚がたくさん釣れるのだなということは理解できる。

ただ、自分は船に乗って海に釣りに行こうとは思いもしない。

私の海釣りは、陸地に腰を据えて、のんびりとお金のかからない、何が釣れてくれるのか分からない楽しみ方をモットーとしている。

そのような空間に身を置いていること自体が趣味のようなものだと思っている。

平和で健康であれば、そのような趣味を楽しむ事ができる。


うろこ取りをした大量のクロ



豊田一喜

心優しき青年からいただいたマゴチ

2014年11月16日 | 日記
有喜漁港で、心優しき青年から大きなマゴチをもらいました。

ルアー釣りの達人的釣技を有するその青年とは初対面で、ちょっとだけ釣りの話をしただけの人だったのですが。

直前に、その青年は体長60cm近くもあるような大きなマゴチを釣り上げていました。

テレビの釣り番組の解説者のような、詳しい釣りの知識と技術を身につけている本物の釣り好きの人という感じ。

クーラーボックスに腰掛けて、のんびりと仕掛けを眺めていたら、「オジサン、コチいりませんか」と後から声がかかった。

振り向くと、作業服姿のその青年が大きなマゴチをぶら下げて立っている。

「いいんですか」と私。

「2匹目が釣れたので」と言って、私のクーラーボックスに大きなマゴチを入れてくれた。

「ありがとうございます」。

という訳で、本日の画像には大きなマゴチが含まれているのです。

その後もその釣り名人的青年は、次々と大きなマゴチを釣り上げ、合計で6匹は釣り上げていましたが、そのあとは何匹釣り上げたのかは分かりません。

とにかく、その釣り技はすばらしいものだなと感心してしまいました。

お蔭様で、今夜はマゴチの煮つけをおいしくいただく事ができました。

心優しき青年さん、ありがとうございました。


いただいた大きなマゴチと本日の釣果

キジハタ

2014年11月15日 | 日記
有喜漁港ではキジハタも釣れる。

テトラポットの隙間の穴に、青イソメをつけた渓流仕掛けを落とすとゴトゴトというあたりがあり、あわせると底に潜られてしまう。

仕掛けのハリスは0.4号なので、引っ張るとすぐに切れてしまう。

そのような事を数回繰り返したあとに、やっと釣り上げる事ができた一匹のキジハタ。

キジハタに遊んでもらっているという感覚で楽しい。

投げ釣りの置き竿にも一匹のキジハタが釣れてくれた。

もう一匹は渓流仕掛けの竿尻をヒモで結び、足元から9mぐらいの底に餌を垂らしておいたら食いついてくれていた。

2種類の竿で釣ると色々と楽しめる。

置き竿にはキスも釣れてくれる。

有喜漁港では色々な魚が釣れてくれる。

メバルは、夕方ごろから隣りで釣っておられた方からいただいたもの。

ご夫婦で来られて、ちょっとの時間だけ竿を出されて帰っていかれた。

同じ趣味の人たちとさせてもらう話も楽しいし、海での太陽を体いっぱいに浴びながらリラックスできる至福の時間を持つ事ができる。

餌代や釣り場までの移動に要するガソリン代等も含めて、一日で800円程度で楽しむ事ができる健康的な安上がりの趣味を満喫している。


本日の釣果

メバル

2014年11月09日 | 日記
有喜漁港で、少し大き目のメバルが釣れてくれた。

ハリスが0.4号だったので、釣り上げる時にスリルを味わいながら楽しませてもらった。

有喜漁港には色々な魚が生息しており、小魚釣りしかできないオジサンを楽しませてくれる。

何を釣るという釣りではなくて、何か釣れてくれる魚に遊んでもらうという私の趣味。

本日の釣果



車検・予防注射・かき焼き

2014年11月08日 | 日記
午前9時からのホリデー車検の予約を、諫早市内のマツハヤの工場にしていた。

息子とふたりで8時40分ごろには車検工場に到着。

受付を済ませて待合室でくつろいでいたら、見覚えのある方に会う事ができた。

緊急雇用対策で竹林整備の仕事の現場監督をさせてもらっていた頃の作業員の方だった。

今はその工場で働かれているとのことで、竹林整備の作業員をされていた頃は、他の地方から帰郷されて職探しをされていた頃だったそうで、元々整備の仕事をされていたとのことだった。

60分車検コースを予約していたので、あまり待つことも無く、タイヤをはずした車の所に呼ばれて車の状況の説明を受けた。

最近、自動車整備の学校で学んでいる息子が、実習も兼ねて車の整備をしてくれているので、整備士の方からは、ほとんどきちんと整備してあると言っていただいた。

車検総額5万円程度で、オイル交換3回分の無料サービス券や車の水洗い券など、いくつものサービスが付いているので、それらを全て使ったとすれば、実質車検代は4万数千円ぐらいになるようだ。

代金を払い、次はこれも予約をしておいたインフルエンザの予防注射を打ってもらいに、諫早市の西諫早病院に行き、息子とふたり注射を打ってもらった。

帰路の車中で、息子が今日は何か焼く物はないかなと言ったので、妻が、「冬には炭火でかき焼きをしたいね」と言っていた事を思い出し、「じゃー、今夜はかき焼きにしよう」ということになった。

昨年かきを買った瑞穂町のK水産まで行ったがのぼりも出ていない。

店内に入って聞くと、「まだかきはあがっていませんよ」とのこと。

瑞穂町のかきは大きいのだが、まだ水揚げがされていない。

途中の吾妻町のH水産に、「かき」ののぼりが立っていたので、そこで小ぶりのかきを購入して帰った。

夜は、例の「卓上コンロ」なる長方形の七輪で炭火を熾して、妻と息子の3人で「かき焼き」をして楽しんだ。

1袋100円の着火材を使うと、楽に炭に着火できる事を学習した。


豊田一喜

墓の補修

2014年11月03日 | 日記
息子とふたりで墓の補修に出掛けた。

1月ほど前に、墓の基礎部分の石に隙間ができていたので、石に穴を穿ってカスガイを打ち込んでおいた。

斜面にある墓の周辺の地盤が少しずつ動いているらしく、基礎部分の石の間に隙間ができている。

カスガイを打ち込んだあとで、石と石の隙間にコンクリートを充填しなければと思い、インスタントセメントというのを購入しておいた。

セメントと砂が混ぜてある物で、水を加えて混ぜるだけで簡単に打設できる便利な物。

天候状況そのほかの諸事情で、なかなか実行できないでいたが、本日は天候もよかったのでその作業を実施した。

道具と材料一式を息子と分担して墓まで運び、水を加えて練り混ぜる。

水加減を調節しながら、打設しやすい程度に練り混ぜて、コテを使って隙間に充填していく。

コンクリートに接着剤の様な効果を持たせるつもり。

最初の箇所だけ私がやって、あとは息子が処理してくれた。

その間に私は花立の水を替え、備えている水を取り替えるという作業を行なった。

1時間ぐらいの予定だったが、作業が全部終わるまで2時間弱かかった。

かねてからの懸案事項が一つ片付いたので、本日の青空のように、心の中がすっきりと晴れ渡った。

その他にも家の畑のイチジクの木の枝の伐採、庭先のカーブミラーの障害になっていた渋柿の木の枝の伐採など。

3日間の休日が終わって、11月も1割の日数が過ぎてしまった。

日々の経過を速く感じる。



豊田一喜

素揚げ

2014年11月02日 | 日記
諌早市の有喜漁港で、小魚たちに遊んでもらった。

隣りでは、高校生ぐらいの息子さんとそのお父さんが、和やかに釣りを楽しんでおられた。

お父さんはタバコをふかしながら、クーラーボックスに座ってウキを注視しつつ、息子さんに釣り技の講釈をされている。

私が見ていた時だけでも、20cmほどのキジハタを、親子で4匹ぐらいは釣り上げておられた。

素敵な親子だなと思った。

私の方には、本当に小さな魚たちが釣れてくれた。

天気も良く、海を眺めながら、お日様をからだいっぱいに浴びる事ができたよい一日だった。

釣れてくれた小魚たちは、素揚げにして、ビールのツマミになりました。


本日の素揚げ







炭火焼き

2014年11月02日 | 日記
椎茸を炭火焼にして食べてみようということを思い立ち、先週の日曜日に「卓上コンロ」という商品名の品物を購入した。

七輪の長方形版のようなもの。

2500円ぐらいだった。

通常の「七輪」にしようかどうしようかと悩んだが、結果としては焼く面積が広い「卓上コンロ」の方を選んだ。

その品物の箱には、「卓上コソ(そ)ロ」と表記がしてあり、その箱は近隣の外国で製造された物であろう事が推定できた。

炭火焼きだから「炭」も一箱600円で購入したが、レジで表示されたそれの産地は、「インドネシア」になっていた。

七輪で炭火焼をするのに、外国製品に依存しなければならない事を奇異に感じたが、食糧の自給さえもできていないような我が国においては納得するしかないのかも知れない。

しかし、そのような製品を製造している外国の人たちの生活の糧の元を、そのような外国に提供しているのだと考えれば、ある種の国際貢献の一環と捉えることもできるのかなとも思う。

炭火を熾すには、種火から炭に着火させる必要がある。

火吹き竹を作った。

子どもの頃、母がかまどに掛けた「ハガマ」で米を炊く時に、「火吹き竹」を使って息を吹き込み、種火から薪に燃え移らせる事をやっていた。

長さ50cm程度、直径3cm程度の竹の先端の節を一箇所残して、その節にキリで直径2mmほどの穴を開け、真ん中の節は鉄筋などで節を貫通させて作る。

その火吹き竹に息を吹き込むと、竹の先端の小さな穴から収束された息が勢いよく吹き出て、種火の炎を増幅させて炭や薪などに燃え移る。

「卓上コンロ」(長方形の七輪)の中で、インドネシア産の炭に種火の炎を燃え移らせたら火花がはじけた。

「村のかじや」という歌の歌詞に出てくるやつかな・・・。

♪♪しばしも休まず槌打つ響き。飛び散る火花に走る湯玉♪♪

炭の炎が安定するまでは、パチーン、パチ-ンと火花がはじける。

気をつけないと、化繊の服などにその火花がかかると穴が開いてしまう。

炭火の炎が安定してきたら「卓上コンロ」に付属の金網を被せて、その上に椎茸、ウインナー、ちくわ、玉ねぎを輪切りにしたもの、ニンジンの薄切り、根深ネギ、厚揚げ、鶏肉を電子レンジでチンしたもの、ピーマン等を載せて焼きにかかる。

妻と息子の三人で、熱々の焼けた食材をつまみにしながら、ビールを流し込む。

至福の時間をすごす事ができた。

終わった頃にも炭火が残っていたので「消し炭」にした。

薪などが燃えて炭化したものを、素焼きの壷などに入れてフタをして酸素の供給を遮断すると「消し炭」ができる。

その「消し炭」は、再度、燃料として使う事ができる。

昔の人の物を粗末にしない知恵。

古い陶製の小さな火鉢があったのでそれに燃え残っている炭火を入れて、フタの代わりにアルミ箔で火鉢の上面を被い、そのアルミ箔をヒモで結んで固定した。

七輪(卓上コンロ)や火吹き竹、消し炭など、懐かしい子どもの頃を思い出す事ができた。

平和で平穏であればこその庶民の幸せ。

戦争なんか絶対に起こしてはいけない。



七輪(ウィキぺディアより)

七輪(しちりん)は木炭や豆炭を燃料に使用する調理用の炉である。「七厘」とも書く。

語源は、諸説あるがはっきりしない。

わずか7厘(金銭単位)で買える木炭で十分な火力を得ることができたことから

わずか7厘(重量単位)の重さの木炭で十分な火力を得ることができたことから

下部の炭火を受ける皿に7つの穴があったことからなど。



豊田一喜







ある?ない?

2014年11月01日 | 日記

本島等氏が亡くなられた。

堂々と自分の考えを表明し、生涯その信念を押し通された、庶民を経験された事があるすばらしい方だったと思う。

当たり前の事を当たり前だと表現できない社会を、民主主義国家だというにはかなり無理がある。

日本人の心の根底に洗脳的にすり込まれている特殊な思想は、近隣の独裁国家におけるそれと大差はないように私には思える。

日本という国家の、一部の支配階層の者たちが始めた戦争であったのだという史実を正しく認識すべきで、加害者であったのだという事柄を棚上げして近代史を語るべきではないと私は思う。

物事のおこった順番を無視して論ずれば、正しくない結論を引き出すことにもなりかねない。

今また、反省することのできない勢力が、過去の徹を踏もうとしている。

平穏で平凡な、つつましい私たち庶民の生活が壊されようとしているように思える。



豊田一喜


有喜漁港の小魚たち

2014年10月26日 | 日記
10時半ごろから16時ごろまで、諫早市の有喜(うき)漁港にて魚釣り。

投げ竿を置き竿にして、もう1本は渓流仕掛けの竿で楽しみました。

大潮の引き潮の時間帯でしたが、ポツリポツリと小魚たちに遊んでもらいました。

棘に猛毒を持っていて、刺されると激痛が走る、小さなハオコゼも5匹ほど釣り上げましたが、触ると怖いので、靴の底で踏みつけてから、ラジオペンチで釣り針をはずしてリリース。

置き竿には、20cmぐらいのキジハタとキス子が2匹釣れてくれました。

渓流仕掛けの竿では、ベラ、カワハギ、小さなキジハタ、小さないわしが釣れてくれました。

天気も良く、波も無く穏やかで、お日様を体いっぱい浴びて、心からリフレッシュできた幸せな一日でした。


本日の釣果



豊田一喜

椎茸がたくさん出始めました

2014年10月25日 | 日記
先週の日曜日に、東彼杵町の蕪池(かぶらいけ)のほとりで約1年8ヶ月寝かせてもらっていた椎茸のホダ木の椎茸が、我家の庭の片隅で、たくさん出始めました。

椎茸の駒打ち体験をさせていただいてから、1年8ヶ月近くの間に原木と駒が一体化して、原木の養分を吸収しながら、膨らむ日をじっと待ち続けていたのだろうなと思うと、感動的ですらあります。

私たちの一生も、80歳まで生かしてもらうと仮定した場合で2万9千2百日。

およそ3万回の朝を迎える程度。

私の場合には、80歳まで生かしてもらうものと楽観的に仮定して、既に4分の3の人生を過ごさせてもらっていることになります。

日数にして2万1千9百日余り。

その日数の内に、どれだけの喜怒哀楽があったことだろうか。

最近では、我が家の仏壇の仏様に、毎朝目が覚めて健康でお参りできることに感謝できるようになりました。

明日の朝にでもたくさん出始めた椎茸を収穫して、家族でおいしくいただくという些細な幸せを満喫したいと思っています。

何気ない平凡で平穏な日常であることに感謝したい。


(満開の椎茸)



豊田一喜

そろそろ椎茸の収穫の頃

2014年10月19日 | 日記
過去のブログから

2013年2月10日 (日)  蕪池(かぶらいけ)で椎茸の駒打ち

東彼杵町蕪池の仙人様のお宅で、椎茸の駒打ちを体験させて頂きました。

5本のクヌギの木に電動ドリルを使って10cm間隔程度で穴を開け、そこへ椎茸菌が付着させてある駒を金槌で打ち込む。

5本のホダ木への穴あけと駒の打ち込みで、1時間程度で終了。

あとは広葉樹の森の中の木陰の、ホダ木所有者の名前プレートを付けた場所に寝かせる。

2年後ぐらいには、「椎茸がではじめましたよ。」という連絡が仙人様から届くかもしれない。


平成26年10月18日(昨日)、上記の「椎茸がではじめましたよ。」というお便りメールが届いていたので、蕪池の仙人様と私が呼ばせて頂いている方のお宅へお邪魔させて頂きました。

東彼杵町にある蕪池の水位はだいぶ低くなっていましたが、雄大な景色は相変わらず素敵で、その区域に入っただけで心がゆったりとおちつくような心地良い空間です。

1年8ヶ月前に駒打ちをさせていただいた原木には、大きな椎茸が2個出ていて、あと2個はこれから大きくなるような大きさで、他にも打ち込んだ駒の部分が白っぽく盛り上がっている椎茸予備軍をたくさん見る事ができました。

大きくなっている2個は早速収穫して、駒を打ち込んでいる5本の原木は車に積んで自宅の庭に運びました。

自宅に帰ってから、駒を打ち込んでいる椎茸の原木を立てかけるための場所を木で制作しました。

湿り気が少ない時には、米のとぎ汁をかけてやればよいとのこと。

我が家の庭に、楽しみの種が一つ増えました。

平成25年の2月頃に、大村市竹松遺跡の発掘作業員として働かれていた人の中で、蕪池の仙人様の所で椎茸の駒打ちをされた方の椎茸は、そろそろ収穫できるようになりつつあるようですよ。

蕪池の仙人様に連絡されてみたらいかがでしょうか。




庭の片隅に立てかけた、駒を打ち込んでいる椎茸の原木



これから大きくなろうとしている椎茸



収穫した2個の大きな椎茸(バター焼きでいただきます)



豊田一喜

取り除く?(原発汚染水)

2014年10月18日 | 日記
アルプスとかいう装置の設置によって、原発の汚染水中に含まれる放射性物質を取り除くことができるようになったとテレビで報じていた。

表現を鵜呑みにすれば、汚染水に関しては心配しなくてよくなったんだと思いがちだが、原発汚染水の本質的な解決策が講じられた訳ではない。

原発汚染水の中から、有害な放射性物質を分離できるようになったというだけのことで、その分離工程によって分けられた有害な放射性物質の無害化の技術が確立されたわけではないだろう。

原発が稼動する限り、そのような分離された有害物質は、永久に蓄積され続けていくことになるのではないのか。

本質的な解決策は、元を断つしかない。

国策として始めたことであるから、原発が決してクリーンエネルギーではないという誤りが分かったならば、国策とし終わらせるべきであるが・・・。

税金で支給されている政務調査費などをごまかして使っている国民の代表者たちが、涼しい顔をして、当たり前ででもあるかのごとき答弁をしているようなこの国では無理かな。

年功序列式の給与体系を見直して云々ということを言い出している。

どこまで日本のよき秩序を乱したいのか、この国をどのようにしたいのか、重みの無い言葉を並べ立てているだけの○○ちゃん。

それでもマスコミが発表する(真実かどうかは分からないが)支持率は半分を超えている。

今後の近い将来、自分たちの身にどのような災厄を振り撒かれることになるのかを想像できない人々が多すぎるように私は思う。

1票1票の票の積み重ねの結果が、今の政治を容認していることになる。


豊田一喜