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日々雑感「点ノ記」

備忘録(心の軌跡)

過ぎたるは及ばざるが如し

2014年09月28日 | 日記
車での通勤途上に、中高一貫教育を始めた学校がある。

眼鏡橋の脇の道路の横断歩道の所の近くに、その学校の裏門がある。

その場所で、学校の先生と思しき人が、横断歩道の黄色の手旗を持ち、通行中の車を停止させて、生徒さんたちを横断させている。

ん、ここの学校は保育園でも幼稚園でも小学校でもないはずだがと思う。

確か高等学校だったはず。

教育ってなんなのだろう。

その学校の生徒で、自転車通学している女の子が、同じ場所で右側後方を振り向くこともせずに、その横断歩道の場所を右折横断する光景が、私の車の前で展開された。

こちらが注意していたから減速して何事も無かったが・・・。

一歩間違えばこちらが加害者になってしまう可能性もある。

高校生を、黄色の横断手旗で誘導して横断歩道を渡らせる必要はないのではないかと私は思う。

自分の身は自分で守るという行動を身につけさせるのも教育の一環ではなかろうかと思うのだが。

過ぎたるは及ばざるが如しだと毎朝思う。


豊田一喜


今シーズン最後のヤマメ釣り(諌早市境川)

2014年09月27日 | 日記
諌早市高来町の境川でのヤマメ釣りは、9月末日までで今シーズンは禁漁期間に入る。

なので、今シーズン最後のヤマメ釣りを堪能してきた。

最上流域のキャッチアンドリリース区域の下流側400メートルぐらいの区間で、今シーズンのヤマメ釣りの釣り納めをした。

5時間ほど釣ったが、体長10cm未満のヤマメの稚魚が、まるでハヤ釣りでもしているかのように食いついてくる。

そのたびにリリースしたが、それらに混じって時々持ち帰りサイズの15cmオーバーのヤマメも釣れてくれる。

境川には、ヤマメの稚魚が過密状態といえるほど、うじゃうじゃと生息しているというのが私の印象。

来年の春の3月1日の解禁日には、きっとそれらの個体が少しは大きくなって楽しませてくれることだろうと思う。

最後の綺麗な一尾を釣り上げて、今シーズンのヤマメ釣りのおしまいとした。

5ヶ月間の、楽しみの日を待ちわびる日々が始まった。

(日々雑感「点ノ記」は、gooブログへ引越しいたします。 ブログURL:http://blog.goo.ne.jp/keisoku19202925 です。)

今シーズン最後の一尾
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小魚五目(諌早市有喜漁港)

2014年09月23日 | インポート
「朝ご飯はおはぎでいい?」と妻。

何のことかと思っていたら、本日の朝は、おはぎを作るためにもち米交じりの米を炊いているということ。

仕事がある普通の日は、一日一食の食習慣を私は通しているが、休みの日になると、準備されている物を食べるという生活習慣になっている。

「おはぎと牡丹餅はどう違うと?」と私。

「おはぎも牡丹餅も一緒で、春のお彼岸の頃に作るのが牡丹餅で、秋のお彼岸の頃に作るのがおはぎて言うと。」と妻。

要するに、牡丹の花が咲く春の頃に作るのが牡丹餅、萩の花が咲く秋の彼岸の頃に作るのがおはぎということらしい。

正しいのかどうかは知らないが、それで納得の私。

どちらももち米交じりのおにぎりに、あんこを巻いた、甘い食べものだから、朝飯に出ても晩飯に出ても、私にとっては何の支障も無い。

そのような朝食の「おはぎ」をほおばりながら、今日はどこに釣りに行こうかと思案する。

午後からは雨模様だとの天気予報なので、雨が降る前の午前中に趣味を消化しておきたいと思った。

何となく、あまり遠くへは行きたくないような気分だったので、近場の有喜漁港に行った。

台風接近の影響で、外海の方はかなり波が高かったが、防波堤とは絶妙なネーミングで、防波堤に囲まれた有喜漁港の湾内では、波は無く穏やかで、たくさんの人たちが釣り竿を出しておられた。

私も空いている隅のほうで釣竿を出させてもらった。

隣りで釣っている人たちは、大物狙いの仕掛けで、護岸から10m以上先の方へ仕掛けを投げておられた。

私は渓流仕掛けで、護岸のきわの小魚が、なんでもいいから遊んでくれれば良いと思いながら竿を出している。

退屈しない程度に小魚たちが引いてくれる。

ひらアジの子、ベラの子、カワハギの子、アラカブの子、キジハタの子の五目が釣れてくれた。

飯盛町の結の浜までだと家から車で30分かかるが、有喜漁港だと家から車で15分で行ける。

有喜漁港に良い魚釣りのポイントが見つかった。

今日の小魚は、煮つけでいただくことにした。


本日の釣果(カワハギ、ベラ、アラカブ、ひらアジ、キジハタ)
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豊田一喜




墓参り

2014年09月21日 | インポート
天気のいい時に、お彼岸の墓参りに行っておこうということになって、妻とふたりで墓参りに出掛けた。

水道水を大きなペットボトル6本に詰めて、妻が買っておいた花を持っての墓参り。

最初に行くのは、愛野町の光西寺の室内にある伯母さんや伯父さんの墓。

片方は跡を見る者がいない伯父さんたちの墓、もう片方は、跡を見るものはいるがその人たちは遠方に住んでいる伯母さんたちの墓。

水を替え、花を飾り、線香を立ててお参りをする。

きっと、御浄土で、私たちの事を見守ってくれているのだろうと思いながら手を合わせる。

次は、光西寺から、自分のうちの墓まで車で2分の後、徒歩で3分。

急な坂を上って、よそ様の墓の敷地を通らせてもらってから、急な坂を下って我が家の墓へ。

15日に墓掃除をしていたので、水を替えてから花を飾り、線香を立てて、皆の無病息災を祈る。

一度家に戻ってから、隣町の妻の実家の墓参りと、同じく隣町の伯父さんの墓参りを済ませる。

一連の墓参りを終えると、心が落ち着く。



豊田一喜





墓掃除

2014年09月15日 | インポート
墓掃除をしに行くといって仕度をしていたら、妻が「私も行く」と言ったのでふたりで墓掃除に行った。

お盆の頃に掃除をしていたのだが、雨の日が多かったこともあり、草がかなり伸びていた。

いつもの墓掃除と同じで、通り道として使わせてもらっている、よそ様の墓の除草作業も含めてが我が家の墓掃除の定番となっている。

刈払い機で刈れる所は極力除草して、石垣の根元とか刈払い機で処理できない所を妻が鎌で綺麗にする。

除草作業が終わったら、鉄製の熊手で、刈り倒した草を集めて崖の所に落とし、それから花立の水やコップや湯のみ茶碗の水を替えて、花を飾る。

線香に火をつけて線香立てに立ててお参りをするまでに丁度2時間。

昼の音楽が流れる頃に、彼岸前の墓掃除をつつがなく終える事ができた。



豊田一喜


素揚げ

2014年09月14日 | インポート
諌早市飯盛町の結の浜で、小魚たちに遊んでもらった。

渓流仕掛けで、竿と同じぐらいの深さに沈めていると、明確な魚信があって、引き込んでくれる。

柔らかい竿なので、小魚がかかっても大きな円弧を描いて、いかにも大きな魚がかかったように見える。

そのようなやり取りを、何回も楽しませてもらった。

隣りで釣っていた親子にはコノシロが釣れていたが、私に釣れてくれたのは、クロの子、アラカブの子、カワハギの子、熱帯魚のような縦じまの平べったい魚などだった。

夕餉の食卓には、頭を落とした小魚の素揚げが並んだ。

たんぱく質やカルシュームが豊富で、発泡酒のツマミには丁度良い。

平和な一日を過ごす事ができた。

本日の素揚げ
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豊田一喜








境川のヤマメ

2014年09月06日 | インポート
ヤマメ釣りには、最適な日だった。

ここのところの降雨の影響で、境川の水量が程よく増えて、ヤマメの活性が高い一日だった。

成魚放流のヤマメはほとんど釣りつくされたと思われ、稚魚放流で成長したもの、あるいは天然孵化したのが成長したと思われる、丸々と太った綺麗な魚体のヤマメが遊んでくれる。

リリースサイズのヤマメはひっきりなしに釣れるが、そのたびに「大きくなってから釣れてね」と念じながらリリースする。

そんな中でも、時々持ち帰りサイズ(体長15cm以上)のヤマメが引き込んで、竿に伝わる手感を楽しませてくれる。

本日は300メートルくらいの区間で5匹の持ち帰りサイズのヤマメが釣れてくれた。

その中の一匹だけは、放流成魚の残党だったが、丁度そのヤマメが釣れた場面を、家族連れで境川に遊びに来ていた人が目撃していた。

「えっ、こんな川にそんな大きな魚がいるの。」という表情で見ていたし、作業着姿の、そこら辺にいるおっさん風の私がヤマメを釣り上げたのが信じられないというような表情とも受け取れた。

諌早市高来町の境川には、実はヤマメがうじゃうじゃ居るのですが、ヤマメの生態と釣り方を知らない人たちにとっては、なかなか釣れにくい渓流魚なのかもしれません。

ヤマメの釣り方の基本は、ヤマメの採餌活動が活発な時に、ヤマメに気付かれないように、ヤマメが流下してくる餌を待っていると思われる場所に近付き、自然な流れに見えるように、極力細い仕掛けを使って餌を流すことに尽きる。

境川の石の上に、スパイクつきの磯靴で歩いて滑ったと思われる跡が付いているのを見る事があるが、そのような人の釣果はあまり良くないのではなかろうかと思われる。

ヤマメの居るポイントに近付く際に、既に足音でヤマメに気付かれて、警戒心の強いヤマメを隠れさせてしまっているのではなかろうかと推察できる。

ゆえに釣果も上がらないのではと想像できる。

ヤマメ釣りは、静かな釣りであると極論してもよいのかもしれない。

忍者の様に静かにポイントに近付き、流れの上流側にそっと仕掛けを投入し、自然な餌の流れになるように竿先を移動させ、目印に神経を集中して、その微妙な変化を見落とさずに軽く合わせる。

もう少しで禁漁期間に突入する(境川では10月1日より翌年の2月末日までは禁漁期間になる)が、今頃が魚体も大きくなって、心地良い引きで楽しませてくれる。

本日の釣果(一番上のヤマメが放流成魚)
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特定秘密保護法案や集団的自衛権などという、国民を危険にさらすような準備をしている○○な政治屋さんや官僚たちの思考力が、平凡な私たち庶民の日常を奪おうとしている。

食糧の自給能力も無い、資源も無い、原発を50箇所以上も保有しているような脆弱な国家が、過去の反省も無く、勇ましい事を言って国民を洗脳しようとしている。

特殊な武器を使わずとも、某国の洗脳教育を受けた、国家のために身を挺する若者たちが乗り込んだ、数十機の爆弾を搭載した航空機が、複数の原発目がけて同時に突入すれば、我が国は壊滅的な状況に陥るだろう。

地対空ミサイルでの迎撃など、どの程度の実効があるのか疑わしい所である。

この平常時においても、原発の汚染水すらまともに処理できないで右往左往して言い訳ばかりしているような国家のどこをさして技術立国というのだろうか。

津波による福島の原発の事故はなかったかのように、原発の再稼働ありきで進んでいる国家権力の横暴さはいかがなものであろうか。

原発が停止していても、我が国の電力は賄えているのに。

国家のため、家族を守るためという大義名分を叩き込まれて戦死なされた方々は、結果として国家や家族を守る事ができたのだろうか。

結果を見ればその答えは明らかである。

国家という、一部の人間が支配している実体の無い組織は、国民を消耗品として扱い、結果として国家も国民も守る事はできなかったという史実を変える事はできない。

被害者の立場からの戦争史観が多いようだが、先に無謀な戦争を仕掛けたのは、一握りの思慮分別の無い我が国の支配階層の者たちであった。

そのような歴史の愚を、また繰り返すことになるような選択をしつつある。

私たちはそれに気付くべきであるが、巧妙な言葉を駆使してじわじわと時間軸を逆行させようと企んでいる勢力がある。

某国の大統領などは、敵対勢力を集団で叩こうと呼びかけている。

自作自演かもしれない映像によって、憎悪を増大させ、同調勢力を結集しようと企てている。

自国本土に危害を及ぼさない戦争は、自国の武器商人たちの懐を潤し、自国の経済を好転させる要素にもなりうるだろう。

我が国は、決してそのような呼びかけに同調してはならない。

私たち庶民の、平凡で幸せな日常は消し飛ばされてしまう。

若い世代の人たちよ、勇ましく戦争に出かけて合法的な殺人をしても、決して国家や家族を守る事はできはしない。

そして、国家は国民を守ってくれはしない。

空襲や原爆の投下がそれを証明している。

生きてつつましく、家族と共に生活する事が一番の幸福であることに気づくべきである。


豊田一喜