日々雑感「点ノ記」

備忘録(心の軌跡)

分母と分子

2006年05月25日 | インポート
簡単な算数の知識を用いて、自分たちの仕事の実績数値を、上方に修正する事を命じた組織のトップが居たようだ。

民間出身の、その国家機関地方組織のトップは、本来ならば分子の方の数値を上げて実績を上げるべきところを、分母の方の数値を少なくする事で、見かけ上の実績数値を多くして国の方へ報告していたという。

その地方組織の管内の一部の下部組織では、そのような事に対する指示に難色を示して、そのような数値操作をすることを断っていたそうだ。

当然の事ではあるが、そのような良識のある下部組織があったという事を喜ばしい事だと思わなければならない事が情けない。

民間から来たそのトップは、自分がそのポストに就いたときに掲げた数値目標を、自分の指導力により達成したのだという事にしたかったのだろうが、個人が提出すべき書類を勝手にでっち上げて、分母の数を減らすようにしたという事らしい。

関西地方の社会保険事務所を束ねる組織で、そのようなことが行われていたそうだ。

国民から、将来の老後の安定した生活のための年金用の積立金として、半強制的に集めたお金を、必要でもない箱物の建設費用に流用するなど、ずさんな国家組織だという事は以前から報道されていた。

実力主義だとか実績重視だとかという考え方は悪い事だとは思わないが、そのような評価体系の危険性として、上記のような不心得者が出てくるかもしれないという事を認識しておく必要がある。

勤勉な日本人の労働姿勢が、戦後の国土の復興に寄与した大きな要素であった事を再認識すべきだと思う。


豊田かずき


電動補助自転車

2006年05月22日 | インポート
ペダルをこぐ動きを電動モーターで手助けし、上り坂や向かい風でも運転しやすくした「電動補助自転車」の販売が、順調に拡大していると毎日新聞で報じていた。

その「電動補助自転車」の価格も、7万円台の物が出ているという事なので、二酸化炭素の削減のためには、日常の通勤におおいに活用したら良いと思う。

ガソリン代もいらないし、止めておくスペースも小さくて済む。

時速20数kmの速度ぐらいならば出せるそうだから、片道10kmぐらいまでの通勤・通学距離ならば30分以内で通う事が出来る。

雨降りの日には自家用車等を利用するとしても、隣町までぐらいの晴れた日の通勤には、外の空気を体いっぱいに浴びながらの電動補助自転車による通勤も良いかもしれない。

二酸化炭素の排出量の削減と健康と経費削減のためには、普及させてみる価値はあると思う。

少し早起きをして出かけなければならないが、通勤時間帯の車の渋滞を横目で見ながら、スイスイと走り抜けていける快感を味わえるかもしれない。


豊田かずき


供養する心

2006年05月18日 | インポート
比叡山延暦寺の執行(しぎょう)という役職の僧侶が、ある事の引責のために、昨年の12月に就いたばかりのその執行という役職を辞任する意向を固めたそうだ。

そのある事とは、暴力団の歴代の組長の法要を、そのお寺で執り行ったからだという事のようだ。
その法要には、90名ほどの参加があったそうだ。

私は、その執行という役職の僧侶は、その職務を辞する必要は無いと思う。

亡くなった人の法要を行い、供養するというのは、その身内であれば当然の事だというのが私の考えだ。
その亡くなった人の現世における行状がどのようであったとしても、身内にとっては現世における繋がりが強かった人であろう。

亡くなった人を供養する心を持つという事は、人として当然の事だと思う。
仏教の教えは、一般的にそうではなかろうか。

90名もの人たちが入れる空間を、どこかが提供しなければ、その暴力団の歴代の組長の法要は出来なかったはずだ。

血の繋がりは無いけれども、親子以上の契りを交わす世界のようだが、だからこそ、その縁戚関係ともいうべき人達の数が多くなったものだと思う。

仮に、大きな暴力団の組長が亡くなった場合には、どこかの会場を借りて葬儀を執り行うことになるだろう。
そのようなことは、誰にも批判は出来ないはずだ。

比叡山延暦寺で、歴代の暴力団組長の法要を行った事は、それと同じ様な事ではなかろうか

比叡山延暦寺の執行が、その職務を辞する事になった理由が、もしも比叡山延暦寺の僧侶の中の権力闘争の結果であるとすれば、笑止である。
仏道を語る資格は無いと思う。

どのような人であっても、亡くなった人を供養する心を持つという事は肯定したい。


豊田かずき


人の道

2006年05月16日 | インポート
日本将棋連盟(米永邦雄会長)の理事会が、名人戦の主催権を、毎日新聞社から朝日新聞社に鞍替えしようとしたことから、おかしな事になっている。

過去の65期は毎日新聞社と主催契約していたのに、今後の第66期以降は朝日新聞社と契約するとして、毎日新聞社とは一切の協議無しに、名人戦の第66期以降の契約解消を3月28日付けで毎日新聞社に通告しているという。

そして今度はその理事会が、名人戦の主催を毎日新聞社と朝日新聞社の共催とする案を提示したそうだ。

そこで毎日新聞社は、その共催案に対する回答書として、「弊社は当初より、貴連盟が一切の協議なしに名人戦の第66期以降の契約解消を通告してきた3月28日付の通知書の取り消しを求めております。通知書が撤回されたならば、第66期以降の契約内容について誠実に話し合う用意があることも、以前から繰り返し述べてきた通りです」との内容のものを日本将棋連盟に送付しているとの事だ。

この事は、明らかに日本将棋連盟の理事会のやり方が間違っていると私は思う。

主催者として出してくれる金額を、朝日新聞社の方が多く提示したので、毎日新聞社との協議もしないで、毎日新聞社に契約解除通知を出したようだ。

将棋の世界には「将棋道」というものがあろう。
そのようなものの奥義を極めた人たちだけが、プロの棋士として、色々な方面からの援助を受けながら「将棋を打つ」という行為を職業として生活できているのではないか。

それだけでも幸せな事だと、一庶民の身としては思う。

それなのに、一部の将棋連盟の幹部たちは、「もっとお金が欲しい」という事のようだ。

彼らには「分相応」という思いが欠如しているのではないかと思う。

はっきり言って、職業としてのプロの将棋士が居なくなっても、私たちの生活には何の支障も無い。
生産活動を支えているわけでもなんでもない。

我が国の伝統文化の継承の必要性から、色々な方面から援助をしているのであろう。
プロ棋士が、仮に居なくても、一般人の趣味としての将棋が途絶える事は無い。

その辺の事を、日本将棋連盟の幹部の方たちは、もう一度熟慮して頂きたい。

過去の名人戦を主催するために毎日新聞社が出し続けていたお金の一部は、毎日新聞の読者が払ってきた購読料から出ているものだろうから、日本将棋連盟の理事会が毎日新聞社に対してそのような理不尽な通告書を出したという事は、毎日新聞の読者に対しての冒涜でもあると私は思う。

将棋の駒の動かし方もおぼろげにしか覚えていないような者で、将棋には全く興味は無いが、日本将棋連盟の理事会がした事は、「将棋道」を云々言う前に、「人の道」に反する行為であろうと強く思う。


豊田かずき



雨の日の想い

2006年05月14日 | インポート
雨の日と言っても大雨の時ではない。
大雨の後の曇天の日や、小雨模様の時の事だ。

雨降りの時よりも、晴天の時に気持ちが良いのはほとんどの人と同じだが、自分の趣味の世界の中では、晴天ではない方が良い結果が期待できるので、雨模様の日には心がさわぐ。

趣味の「ヤマメ釣り」で、釣果が上がるのは、雨模様の時か大雨が降った後というのを経験して来ている。

渓流魚のヤマメは非常に警戒心の強い魚で、音や影などの通常の彼らの生活環境に対する微妙な変化をすばやく察知するようだ。

そのような警戒心が、大雨の後の増水した川の中では、流下水の音によって薄れるらしく、そのために採餌活動も活発になり、結果として釣果に結びつくということになる。

増水後の渓流の中では、ヤマメが活発に動き回り、流されて来る川虫、ミミズ、昆虫、カニ、時には小さな蛇やトカゲなどの餌を捕食しようと狙っている。

私のヤマメ釣りの楽しみ方は、二つある。

一つは、ヤマメとの微妙な駆け引きによって、釣りばりにつけた餌を、あたかも自然に流下してきたかの如く見せ掛け、その餌に食らいつく瞬間の当りを、仕掛けに付けた目印で察知して、ヤマメを釣りばりにかけて釣る行為そのものだ。

ヤマメに察知されないように、下流側から上流に向かって静かに移動し、ヤマメが居そうな場所の少し上流に、釣竿のしなりをうまく使って餌を落とし込み、餌が自然に流下するように釣竿を操作しながら、仕掛けの目印の動きを追いかける。

目印に微妙な変化が出た瞬間に、手首で竿を軽く動かして合わせ、魚を釣りばりに掛けて釣り上げる。

上流部へ移動しながら、次の場所では釣れるかもしれないと期待しながら釣り歩く。

運動不足気味の体にとっては、健康のためにも良いと思っている。

もう一つの楽しみは、釣ったヤマメを食べるということだ。
塩焼きや唐揚げにして食べるが、最近のテレビ番組で、ヤマメは煮魚にしてもおいしいと言っていたので、今度試してみようと思っている。
煮魚にして食べるようなサイズは、なかなか釣る事は出来ないのだが。

釣って食べるというのが私の魚釣りの楽しみ方なので、キャッチアンドリリースなどという事はしない。
キャッチアンドリリースをするぐらいなら、最初から魚釣りなどしなければ良いのにというのが私の考え方だ。

魚を釣る行為により、釣られた魚は口に釣りばりが刺さる事になる。
きっと痛いだろうと思う。
魚を保護しようとか、かわいそうだとか思うのであれば、最初から魚釣りなどしないのが一番効果的な方法であろうと私は思っている。

雨の日や大雨の後の渓流の方が、ヤマメはよく釣れるので、ヤマメを釣って食べるためには、そのような日に釣りに出掛けた方が目的を達成できる。

ヤマメ釣りで釣果を上げるには、まず、ヤマメが活発に採餌活動をするような天候(増水後の曇天の日や小雨模様の日)の日に、ヤマメが住んでいそうな場所を探し、そこに居るヤマメに気付かれないようにして近付き、餌を投入して自然に流下させ、当りを見逃さずに合わせて釣り上げるという事に集約できる。

雨の日には、そのような事を想いながら過ごす事にしている。


豊田かずき



愛国心

2006年05月11日 | インポート
安定した国家があってこそ、その国民も安定した生活を送る事が出来る。
その中で、個々の価値観に基づいた幸福感を味わう事が出来るのだと思う。

その様な意味においては、現在の日本国内では戦争も無く、平和で安定している国家の様に映る。

しかし、民間企業における年功序列式で「順送りで安定していた」、要するに長年真面目に勤めていれば給料も役職も上がり、生活が楽になって行くというような職場の形態も、だんだん薄れつつあるような社会になっているのではなかろうか。

一部の支配者層が富を独占している状況は、今も昔も似たようなものであろうが、「年功序列」という古き良き慣習が薄れつつあるというのは、残念で寂しい事だと思う。

年を取るという事は、一般的には体力が衰えてくることにも繋がるが、年長者の人たちが若い時に頑張った分を、次の若い世代が支えてくれて、年長者は自らの経験に基づく熟練技術等を後輩たちに伝えていくというような「順送り」の役割分担構造が、我が国の産業界では定着していた。

今はどうか。

一部の幹部職員を除いて、ある程度年をとり、給料もそれなりに多くなった人達を対象に、リストラと称する、企業経営者にとって都合の良い人員整理を行っているのが日本の多くの民間企業での現状の様に思う。

リストラと称する人員整理で解雇された、40代や50代の人たちが職探しをするにしても、それなりに条件の良い募集物件は、応募における年齢制限が設定してあって、面接すら受ける事が出来ないようだ。

解雇時の給料程度を貰える職業には、ほとんどの人が就く事が出来ないらしい。

会社の都合で解雇された場合には、解雇直後からしばらくの間、失業保険が貰えるそうだが、その失業保険の受給期間が終わると現金収入の道が途絶える事になる。
だからといって、働きたくても働かせてくれる場が見つかりにくいという人たちが多くいるのが現状のようだ。

その企業のために、骨身を削って働き続けてきた人たちが、経営者側の都合次第で、ある日突然に解雇通告を受けるような社会構造の中では、自分たちの生活を維持する事に精一杯で、国を愛する気になどなれないだろう。

「愛国心」という文言を憲法の中に盛り込まなければ、「愛国心」の涵養ができないような国家では情けない。

日本に生まれて日本に住んでいて良かったと思えるような国であるならば、黙っていても「愛国心」は、個々の国民の心の中に自然と涵養され醸成されていくものだろう。

自衛隊によるイラクへの後方支援という戦争行為への参加や、「共謀罪」が論議されたり、「愛国心」などという言葉が声高に語られるような現状からは、反省すべき過去の歴史の繰り返しを連想してしまう。



豊田かずき



五十二分の三十

2006年05月08日 | インポート
昨日告示された長崎県南島原市議会議員選挙には、30名の定員の所に52名の立候補届出者があったとのこと。

深江町、布津町、有家町、西有家町、北有馬町、南有馬町、口之津町、加津佐町の8町が3月に合併して誕生した、人口5万人あまりの南島原市から、52名の人たちが市議会議員候補として名乗りを挙げられたという事は、すばらしい事だと思う。

旧町の町議会議員だった方々が多く立候補されたという事は、旧町の町議会議員として当選させてくれた支持者の方々に対して、筋を通すという事にもなると私は思う。

このような広域合併直後の選挙の時に、よくささやかれる話として、「もう少し旧各町で調整して、立候補者数を絞る事は出来なかったものだろうか」というのがある。

このような考え方を突き詰めていくと、究極として「無投票」によって市議会議員が決まってしまうという事にもなりかねない。

要するに、旧各町の有権者数に応じて、その票数で当選できる人数の立候補者を旧各町から送り出すというような調整をしたとすれば、結果として無投票で議員が決定されるという事につながる事もあり得る。
その様な事は、選挙における「談合」に等しい行為であると私は思う。

誰を議員として送り出すかを決めるのは、そのような一部の調整役のような人たちではなく、一票一票を投じる権利を有している、全ての住民でなければならないはずだ。

たとえどんなにに多くの人が立候補しようとも、その中の誰が市議会議員として適任者であるかは、個々の有権者が決めればよい事だ。

旧各町の町議会議員選挙の様に、一人や二人を落とすための選挙よりも、22人も落ちる選挙の方が、選ぶ側にとっては選択肢が多くなって好ましいと思う。
その多くの候補者の中から、過去の実績や主張している政策並びに人柄などを評価して、より良いと思える人を選べばよいだけの事だ。

52名の方々が、それぞれ30万円の供託金を払い込み、それぞれの思いを抱きながら立候補されたのであろうが、法律の定めの範囲の中での選挙戦を戦って欲しいと思う。

地域での選挙は、一時的ではあっても地域経済を活性化し、人の交流を活発にし、色々な話を聞く事が出来る。

五十二分の三十を目指して、立候補された皆さんに頑張って欲しいと思う。



豊田かずき


見送る人達の涙

2006年05月07日 | インポート
イラクへ派遣される自衛隊の様子をテレビで見た。

出かける自衛官の人たちは、職務命令に従い、使命感を抱きながらの出航であったろう。

見送る家族の様子には、不安と心配と寂しさと悲しみの空気が充満していたようだ。

父親に抱きついて泣きじゃくっている少女の様子を見ると、こちらまで切なくなってくる。

子どもたちは、その別れの場面が、もしかしたら父親との最後の別れになるのかもしれないという事を、敏感に感じ取っていたのだろう。

政府は、イラクからの全面撤退を検討していたようだが、間際になって、今回の第10次派遣を決定したのだという。

イラクの人たちからは、あまり歓迎もされていないというような報道もあるが、物事は一度その端緒を開くと、なし崩し的に拡大解釈されて行くという事を、歴史は良く教えている。

日本は、後方支援という戦争行為に参加しているという認識を払拭してはならない。

泣きじゃくって父親を見送っていた少女が、何ヵ月後かに無事に帰って来た父親を、笑顔で迎える事ができる事をただただ祈りたい。



豊田かずき


ハタ揚げ

2006年05月05日 | インポート
雲仙市愛野町の、島原鉄道愛野駅近くの田善という字名の所一帯で、毎年恒例の「ハタ揚げ大会」が、今日実施されていた。

ハタ揚げ(凧揚げ)には具合の良い風が吹いていて、自宅の二階の窓から眺めたら、たくさんのハタが、悠然と空を泳いでいた。

例年であれば、まさにタコの形をした、県外から参加の大凧が、その場所で泳いでいるはずだが、今年は見えなかった。

少し前に、そのハタ揚げ大会のリーダー的存在の方が入院されているらしいという話を聞いていた。

例年のハタ揚げ大会と、少し趣が違うのは、もしかしたらその事の影響なのかもしれない。

諸般の事情はあろうとも、季節ごとの行事が確実に、ひとつひとつ執り行われて行き、地域の誰にも平等に、初夏の季節が到来する。


豊田かずき


3兆円根拠なし

2006年05月04日 | インポート
米軍再編のための「日本負担3兆円」という発言を、ローレス米国防副次官が4月25日にしていたという事だが、その発言を事実上撤回したそうだ。

本日の毎日新聞の記事によれば、ローレス国防副次官は2日、訪米中の久間章生自民党総務会長ら与党議員団と国防総省で会談し、在日米軍再編の日本側負担総額を260億ドル(3兆円弱)とした自らの発言について、「細かく積み上げた数字ではない。日本の負担が米国より重いことを示す趣旨で言った」と述べ、積算根拠のない金額である事を認めた、となっている。

日本という国家に対して、数字まで挙げて無責任な発言をした挙句、「細かく積み上げた数字ではない」そうだ。

言いさえすればいくらでも出す国として、ローレス米国防副次官は認識していたのではないのか。

米国の植民地の「ふり」をして国家運営をして行くのは、諸般の事情により仕方の無い事ではあろうが、植民地に「成り下がる」必要はない。

「日本の負担が米国より重い事を示す趣旨で言った」そうだが、その事自体が納得できない。
せめて、半々ぐらいが妥当な所ではなかろうか。

外国の駐留軍隊のためにそのようなお金を使うよりも、小泉政権樹立以降に4割も削減されて来ている公共工事費や、日本の自衛隊の充実のために使った方がまだましなように思う。


豊田かずき


一般質問に異議あり

2006年05月03日 | インポート
雲仙市議会だより第3号に掲載された、一般質問の内容のひとつに異議ありだ。

異議ありと言っても、内容に対して違うという意味ではない。
その事を取り上げた事自体に対して、ちょっといい加減にしてよと言いたいのだ。

要するに、私が旧愛野町議会議員の時に取り上げたのと同じ内容の一般質問をしている、愛野町に住んでいる雲仙市議会議員がいたからだ。

雲仙市議会議員、柴田安宣議員の一般質問の一部にそれがあった。

既に1年前の、旧愛野町議会平成17年3月議会定例会での一般質問にて、私が問題提起し、その答弁として、今回の雲仙市議会3月議会定例会における答弁と同様の内容のものをいただいていたのだ。

答弁者は同じ人である。(旧愛野町役場土木課長で、現雲仙市役所土木部長)

きっと、答弁した人は複雑な思いだったのではなかろうか。
1年前の旧愛野町議会で、同じ内容の一般質問がなされ、その質問をした旧愛野町議会議員だった私に対して、今回と同じような具体的な答弁をしていたのだから。

今回、どのような答弁をされたのかは、答弁内容も要約されているので、詳細は議事録を読んでみないと分からない。

しかし、「議会だより」に記載されている「愛野吾妻間の歩道の設置等については、国に対し平成19年度新規採択の要望を申請予定であると聞いております。」というのは、私の一般質問に対する答弁と全く同じである。

国道に関する事柄なので、県を経由して国に要望を出してもらう事になる。
旧愛野町であろうが雲仙市であろうが、1年前に結論は出ているのだ。

それをあたかも、自分が考えた一般質問の様に装うような行為は如何なものだろうか。

知らない人が雲仙市議会だより第3号を読んだら、いかにも柴田議員が問題提起をした事柄の様に思ってしまう人が多いだろう。

念のために、私の旧愛野町議会議員時の一般質問内容にて確認して頂ければ、私の今の思いが理解してもらえるのではなかろうか。

この文章の最下段の水色文字の「豊田かずき」をクリックすると、私のホームページのトップページが開くので、そのトップページの左側下方の「一般質問の詳細」>「平成17年3月議会一般質問」を開き、下の方へ読み進んで行くと、通告番号2番の「国道251号線の千鳥橋通行時における歩行者の安全確保のための方策について」という議事録が出てくる。

それを読み進んでみれば、既に結論が出ている事柄だという事を納得してもらえるはずだ。

他人のふんどしで相撲を取るような、人間性を疑いたくなるような議員もいる。

笑止。


豊田かずき


雲仙市議会議員の政治倫理に関する決議

2006年05月02日 | インポート
雲仙市議会だより第3号に、「雲仙市議会議員の政治倫理に関する決議」が載っていた。

その中の一項目に、「われわれは、政治倫理に反する事実があるとの疑惑をもたれた場合には、自ら誠実な態度をもって疑惑の解明にあたるとともに、その責任を明らかにしなければならない。」と表現されている。

これに基づいて、是非とも、例の雲仙市議会議員研修先での懇親会における疑惑の解明に、誠意を持って当って頂きたい。

責任は、議会議員全員の責任という事で明らかにされてはいるが、例の珍事の事実関係の疑惑は解明されてはいない。

誰が、どのような経緯で、その懇親会時のスーパーコンパニオンを手配したのかということと、野球拳をやった議員は誰なのかの疑惑には答えていない。

雲仙市議会が、自分たちで決議した事だから、自分たちできちんとすべきである。


豊田かずき


飯を炊きおかずを作る

2006年05月01日 | インポート
久し振りに、本当に何年振りかで、自分で飯を炊きおかずを作って食べた。
そこそこに、うまくできたと思った。

中学生や高校生の頃に、姉たちが都会へ出て行った後は、夕食の炊事係だった。
当時は、お金を出して買うおかずの材料といえば、1枚10円の揚げかまぼこや、1枚5円のこんにゃくと、値段は忘れたが鯨肉ぐらいだった。

1枚の揚げかまぼこやこんにゃくを細切りにしたものが、家族4人分のジャガ煮しめの中に分散して入っていた。

しかし、実は1枚の揚げかまぼこの4分の1ぐらいは、ジャガ煮しめになる前に、炊事係である自分の胃袋に「お味見」という大義名分で、こっそりと入ってしまっていた。

ジャガ煮しめに入れる揚げかまぼこを切っていると、ついつい誘惑に負けて、3ミリぐらいの厚さの物を口の中に入れてしまう。

もう少しぐらいはいいだろうと、少しずつ切っては口に入ってしまう。

かくして、味の誘惑に負けて、1枚の揚げかまぼこの4分の1ぐらいまでが胃袋に入ってしまった頃に、自分の中の良心がささやく。
「そこら辺でやめとけば」と。

貧しかったけれども、1枚の揚げかまぼこを、家族4人で分け合って食べて、幸せだった時代もあった。



豊田かずき