日々雑感「点ノ記」

備忘録(心の軌跡)

締まらない話

2006年06月27日 | インポート
諫早湾干拓の潮受け堤防の排水門が、落雷により制御不能になり、1時間40分も、調整池の中に海水を流入させたそうだ。

だから、正確には「閉まらない話」ということになる。

その排水門を閉じて、潮汐の遡上を防ぐことによる防災効果があると信じていたが、それを操作する人間の心がけが万全では無かったようだ。

新聞記事によれば、排水門は手動でも操作できるような仕組みになっているそうだが、担当職員がその操作方法を知らなかったらしい。

平常時に、訓練する時間は有り余るほどあったはずなのに、それがなされていなかったという事が証明されたようなものだと思う。

報酬を受け取って働いているのだから、仮に関連自治体からの出向職員であったとしても、その部署に配属されたからには職責をまっとう出来る様な仕事をしてもらいたいものだ。

不慮の出来事だったという事で、おそらく誰も責任を取る者はいないのだろう。
また、調整池の中に潮水が流入した事による周辺環境や生態系への影響は無いというコメントを出しているようだが、本当だろうか。

もし本当だとすれば、排水門の開門調査も可能だという事になる。

田植えが終わったばかりの水田にも、潮水が入り込んだ事になるだろう。
干拓事業に賛成してきている地元の農業団体は、今回の不手際には厳重に抗議するべきではなかろうか。

もしかしたら、大量の真水の流下水と、流入した潮水によって、調整池の水質も少しは改善されたのかも知れない。

元々が潟地であるという特殊な人工の閉鎖性水域の中では、そのままでは水質が悪化して行く事は当然の帰結であるが、「淡水湖化」して灌漑用水に使うのだという大義名分を守ろうという事に汲々としているようだ。

干拓事業そのものには賛成だが、本当に有効な防災対策と環境保持や環境回復を配慮した事業であって欲しいと思う。


豊田かずき



もう野球拳しません

2006年06月23日 | インポート
懐かしい響きの言葉だと思った。

本日の毎日新聞の見出しのひとつに、「もう野球拳しません」、「長崎・雲仙市議会」、「政治倫理条例案を可決」とあった。

人の噂も七十五日とはよく言ったもので、その通りだなと思っていた所だった。

次から次へと色々な事件がテレビや新聞で報道され、古い出来事の記憶や、その時に感じたそれらの出来事に対する憤りも、段々と薄れていくようだ。

以下は新聞記事より抜粋。

今年2月、研修旅行先の懇親会で、一部議員が女性コンパニオン相手に「野球拳」をしていた長崎県雲仙市議会は22日、市議の政治倫理条例案を全会一致で可決した。
条例は11項目。
特定の企業や団体への有利な取り扱い禁止などと並び「人格と倫理の向上に努め、品位を損なうような一切の行為を慎む」と定めた。
違反の疑いがあるときは、議長が議員の辞職勧告や警告を出せる。

以上新聞記事より抜粋。


記事を読んでまず思った事は、議長が政治倫理条例に違反した場合には、どのように対処するのだろうかということだ。
議長は、政治倫理条例に違反することは無いという想定において創られた条例なのだろうか。
さらに、「違反の疑いがあるときは、議長が議員の辞職勧告や警告を出せる。」となっているが、疑いの段階で辞職勧告や警告を出すというのはいかがなものだろうか。
違反の疑いに対する審議は、公開の場で行われるのだろうか。

本物の条例の全文を読んでいないので、新聞記事の通りの表現なのかどうかは分からない。

全国区になった、「長崎県雲仙市議会の野球拳事件」に対する疑念の解明には、今回制定された「政治倫理条例」は適用されるのだろうか。

もしも、それが適用できないようであれば、長崎県・雲仙市議会の「政治倫理条例」は絵に描いた餅になりはしないだろうか。

そのような「政治倫理条例」などの諸々の事柄や一般質問の内容などは、その全部を議会の会議録として、雲仙市のホームページの中で、早急に公開するようにするべきだと思う。

隣の島原市では、ずいぶん前から既に実施していることである。


豊田かずき


歳を追い越す

2006年06月19日 | インポート
伯母が面白い事を言っていた。

「今年はオトさん(旦那さんの事)の歳を、もう追い越してしもたばい。」

伯母によれば、亡くなった人は、その亡くなった歳からは歳を取らなくなるので、先に他界した夫の歳を既に追い越してしまったのだと言う。

その伯母は、私の母の姉であり、妻の母でもあるが、彼女が小学生の頃は、小学校入学前の自分の弟や妹の子守を、教室の中でしながら授業を受けていたという。

学校側の受け入れ態勢もおおらかで、そのような事を黙認してくれていたそうだ。
昭和の初期頃の話。

その弟や妹が教室でお漏らしをすると、先生から「始末してきなさい」と言われて、お漏らしした物の処理をしていたのだという。

その伯母と私の母が、子守をされていた方の一人であり、伯母より先に他界した「弟」の十三回忌に招待をされていた。

しかし、どうしても当日にお参りができなくなったので、昨日、法事の日よりは少し早かったが、伯母と母と妻そして私の4人でお参りに行ってきた。

仏壇の上の方には、その弟(私の伯父)が亡くなった歳の頃の遺影が飾られており、それを見て伯母は「タミしゃんは、いっちょん歳をとっとらん」と言って涙を流していた。

子どもの頃の記憶に、母に連れられて、島原鉄道で愛野駅から多比良駅まで行き、それから坂道をうんざりするほど歩いて、やっと着くような場所にあったその家まで、今では車で二十数分走れば行ける。

伯母は、学校で子守をしながら覚えた文字で、毎日欠かさずに日記をつけているという。

昨日の伯母の日記には、きっと、「タミしゃんの所にお参りに行った」事も記録されていることだろう。


豊田かずき


アゲハチョウ

2006年06月16日 | インポート
朝、道向こうの畑を見に行ったら、アゲハチョウが蜘蛛の巣に引っ掛かって、羽をバタバタさせてもがいていた。

近くにあった枯れ枝を使って、蜘蛛の巣から切り離してやると、力なく羽を動かして、すぐ近くの木の枝にとまった。

そしてしばらく休んでから、千鳥川の方へ飛んで行った。

その後、アゲハチョウを逃がしてやった場所から30メートルほど離れた家の庭にいたら、アゲハチョウが私の頭の上で2回ほど旋回してから、遠くの方へ飛び去った。

きっと蜘蛛の巣から逃がしてやったアゲハチョウが、御礼に来たのだと思った。

自分の力ではどうする事もできないような時に、ちょっとだけでも力添えをしてもらえた事は、ずっと心に残っている。


豊田かずき


梅雨

2006年06月15日 | インポート
梅雨の語源としては、この時期は湿度が高く黴(カビ)が生えやすいことから「黴雨(ばいう)」と呼ばれ、これが同じ音の「梅雨」に転じたという説や、この時期は梅の実が熟す頃であることからという説、この時期は“毎”日のように雨が降るから「梅」という字が当てられたという説がある。
以上は、フリー百科事典「ウィキペディア(wikipedia)」による「梅雨」の説明文。

昨日から梅雨らしい空模様になったが、停滞した梅雨前線のために沖縄の方では土砂崩れなどの被害が出ているようだ。

私が住んでいる集落の脇を流れている二級河川千鳥川も、昭和32年の諫早大水害の時に氾濫して、大きな被害をもたらした。

当時3歳だったが、記憶に残っている。

その後も千鳥川は何回か氾濫し、床下浸水の被害をもたらしたが、最近では千鳥川が氾濫する事は無い。

諫早湾干拓事業により築造された「潮受け堤防」が、潮汐運動による遡上水を遮断している。
そのために、千鳥川は、上流部の集水区域内から集まった流下水を流すだけの通水断面を確保しておれば氾濫する事は無い。

潮受け堤防が築造されてから現在までに、私が住んでいる千鳥川周辺の集落においての洪水被害は無かったが、それより標高が低い水田地帯や諫早市の一部においては、大雨による洪水被害があった。

潮受け堤防が、潮汐運動による遡上水を遮断している事による防災効果は確実にあるが、大雨によって流下して集まった水を排出する能力は、特殊な状況下においては無い。

潮受け堤防の外側の海水面の標高が、潮受け堤防内部に溜まった水面標高よりも30cm以上低い時でなければ、潮受け堤防の水門を開いて内部に溜まった水を排水する事はできない構造だという。

このような事から、潮汐の状況次第では、数日間も内部に溜まった水を排水できない状況もあるそうだ。

もしもそのような時に大雨が続き、潮受け堤防の内部に流下水が溜まり続けたらどのような事態になるのかは誰が考えても容易に推測できる。

要するに、上流部からの流下水に対しては、潮受け堤防がダムのような役割を果たし、水が溜まり続けて水位が上昇する事になる。
その結果として、周辺の低平地域は水に浸かってしまう。

このような見地から、潮受け堤防の防災効果は磐石とはいえない。

干拓によって造成されてきた、低平地域の治水においては、堤防で囲まれた提内地からの強制排水を取り入れる必要がある。

諫早湾干拓に賛成してきた地元も、そろそろ地元にとって実質的に有効な防災対策を、国に対して主張すべき時期に入ったのではないかと思う。

子どもの頃の梅雨の季節は、家のすぐ裏を流れている千鳥川の水位と潮汐の状況が心配でたまらなかった。
今は、潮受け堤防により潮汐運動による遡上水が遮断されているので、大雨の時の心配もほとんどなくなったが、洪水被害の危険性が払拭できた訳ではない。

梅雨の季節になると、毎年同じ事を思ってしまう。
(このブログの平成17年5月19日、5月24日、6月13日にも、関連している事を書いた。)


豊田かずき


超解像

2006年06月13日 | インポート
低解像度画像から高精細な画像を推定することを超解像、あるいはsuper resolutionと呼ぶのだそうだ。

撮影に使用したデジタルカメラそのものの能力に起因するスッキリしない画像を、もう少し鮮明な画像として見る事が出来たら良いのにと思う事がよくある。

そのような思いを、ある程度までは満たしてくれるフリーウェアの紹介が、日本測量協会が発行している機関紙「測量」の6月号に出ていた。

以下は、その紹介文からの抜粋。

超解像の手法は多様であり、現在もなお、研究が続けられている。
最近のデジタルカメラでは、超解像の技術を組み込んで、撮影した時点で、高画質化するものも現れている。

低分解能の動画像、あるいは連続した静止画像から、より高分解能な静止画像や、より高品位の静止画像を作成するフリーウェアがQE SuperResolutionである。
本フリーウェアでは、超解像手法はブラックボックスであるが、非常に簡便に、高分解能画像を得ることができる。

例えば、動画像を読み込み、高分解能化あるいは高品位化したいフレームを選択し、後は準備されている解像度から好みのものを選択するだけである。

準備されている解像度としては、電子メール添付に適した分解能、印刷に適した分解能(最も高分解能)、入力画像と同じ分解能(高品位化)、2倍の分解能の4種があり、画素数は自動的に計算される。

対応しているフォーマットは、動画像としてはAVI、静止画像としてはBMP、JPEGとなっている。

超解像は、基本的には、連続するフレーム画像の情報を用い、増加させる画像の情報を補間する操作である。

入力画像と出力画像の関係をいかに構築するかが、研究の焦点となっている。

分解能が向上した事の効果はわかりやすいが、画質の向上の評価に関しては、様々なものがあるため、注意が必要である。

今後、物理的な画素数の増加だけではなく解像度を向上させる可能性が高まり、様々な場面において高精細画像と触れる機会が増えることが期待される。
(東京大学 布施孝志)

以上、「測量」6月号より抜粋。


フリーウェアQE SuperResolution
(http://www.qelabs.com/sr/index.asp)
ここをクリックすれば、フリーウェアQE SuperResolutionのページが開ける。(英語表記)

まだ使ってみてはいないが、是非とも試してみようと思っている。
一昔前までは夢だったような事が、科学技術の急激な進展と電子機器の低価格化等で、個人の部屋の中のパソコンでも実現する事が可能になってきた。

頭の中の容量が少ないので、新しいものの存在を、自身の頭の記憶の引き出しに整理して格納する事すら難しい時代に生きている。


豊田かずき



まちが描いてきた軌跡

2006年06月11日 | インポート
まちが描いてきた軌跡「愛野町が歩んできたみち」

愛野町閉町式において、プロジェクターで映し出された愛野という名称の自治体の中で記録されていた写真画像と、その時に愛野の子どもたちが合唱した歌声が記録されたCDをいただいた。

先月末の事だが、いただいてから何回も開いて見ている。

昨年の9月に行われた「愛野町閉町式」には出席していて、子どもたちの合唱の歌声とともに映し出された記録写真を見て、感慨無量だった。

その様子を記録したものを残して欲しいと思っていたが、旧愛野町役場はきちんと作製していた。

雲仙市役所愛野総合支所の窓口に、申込書を書けば無料でいただける旨の表示があったので、申込書を書いてもらって来た。

自分たちが学んだ木造の愛野小中学校をはじめ、自分が生まれるずっと前の記録写真なども含まれていて、バックで流れる子どもたちの歌声とマッチして、何度開いて見ても感動してしまう。

旧愛野町役場のおかげで、私の宝物がまた一つ増えた。


豊田かずき


梅の実

2006年06月03日 | インポート
我が家には、千鳥川沿いの敷地に一本の梅の木がある。

昨年は十数個の実しかつけなかったが、今年はたくさんの実が生っていた。
この前の日曜日に千切ってみたら、一升マスに4杯と少し、重さにして4.4kgの収穫があった。

「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」と言うのだと妻が言っていたので、昨年は思い切って、梅の木が丸坊主になるぐらいまで枝を切っておいた。

そのせいかどうかは分からないが、今年はたくさんの実をつけてくれた。

例年は、梅干用に妻の実家から梅をもらって漬けていたが、今年は自分の家の梅で梅干を漬ける事が出来る。

梅干を漬けると言っても、その作業は全て妻の仕事だが。

収穫した梅を水洗いして、その後、塩漬けにするという。
我が家では、梅1kgに対して塩150gの割合の、少し塩分控えめで塩漬けにするという。
その後、「三日三晩の土用干し」と言う工程になり、そのあと漬け込むのだそうだ。

また来年もたくさんの実が生るようにと、梅の実の収穫後に梅の木を丸坊主にしたが、果たして来年はどのくらいの実をつけてくれるのやら。

何の手入れもしなくとも、土と水と太陽という自然のおかげで収穫物を得る事が出来る。
ありがたいことだと思う。

大自然に感謝。


豊田かずき