日々雑感「点ノ記」

備忘録(心の軌跡)

深江町の事情

2005年10月31日 | インポート
深江町の町議会議員をしている知人が訪ねてきてくれました。

深江町では、この5ヶ月間余りの期間に政治的な色々な事があり、そのために町議会議員としての様々な判断や決断をしなければならない状況に遭遇されたそうです。

一番最近の事例が、前横田町長の辞職に伴う町長選挙だったということです。

深江町の前助役と、町議会議員だった人が立候補されて、選挙結果は町議会議員だった人が大差を付けて当選されたそうです。

選挙前の告示直後の新聞記事によれば、前助役氏は横田町長の後継者で、前議会議員氏は、疑惑に対する調査はきちんとするべきであると主張されているという事でした。

その記事を読む限りにおいては、疑惑を持たれたままで辞職された横田町長の後継者としての前助役氏と、疑惑はきちんと解明すべきであると主張されている前町議会議員氏とででは、第三者的に見れば、当然の事ながら前町議会議員氏の方に賛同が集まるであろうと思っておりました。

結果は私が思っていたとおりで、前町議会議員氏が1000票以上の大差を付けて当選されておりました。

ところが、その知人から詳しい内情を聞いて、新聞報道による影響力の大きさと怖さというものを痛感いたしました。

当選された前町議会議員氏は、合併の枠組みに関して、深江町議会の中では、住民投票などする必要は無い、住民の声を聞く必要は無いという持論を展開されていたそうです。
また、前町長の疑惑追及のための調査委員会の委員を、体調不良を理由に辞退されていたそうです。

その方が、選挙戦においては「前町長の疑惑はきちんと追及するべきである」「住民の声を良く聞き、ガラス張りの町政をしていく」という主張をされていたとの事です。

選挙の結果は、投票をした深江町民の6割の人達がその人を支持したわけですから、選挙戦の時に主張されていた方針を厳守されるものと思います。

8町の合併により、南島原市の誕生までに残り5ヶ月となりましたが、新深江町長がどのような町政運営をされていくのか注視しておきたいと思います。


豊田かずき


コンクリート壁への看板の取り付け

2005年10月30日 | インポート
厚さが20cm程度のコンクリートの壁に、後援会の看板を取り付けました。

金曜日に雲仙市選挙管理委員会に政治団体の後援会看板設置の届出をして、その看板に貼り付けなければならない証票(銀色のシール)をもらってきていたので、そのシールを貼った看板を立ててきました。

コンクリート壁に電動ドリルで穴を穿ち、その穴にコンクリート用の木ネジで垂木を固定して、その垂木に看板の骨組みを固定する作業でした。

今までにも色々な場所に政治団体等の看板を立てていますが、コンクリート壁への取り付けが一番簡単でした。

馬力の強い電動ドリルさえあれば、5分もかからないで作業は終了します。

もし、今後に後援会などの看板を立てる予定があるならば、コンクリート壁やブロック壁のある所がお勧めです。


豊田かずき


3回目は顔見知り

2005年10月29日 | インポート
雲仙市役所本庁(旧吾妻町役場)の総務課に、雲仙市選挙管理委員会の事務局がありますので、昨日も選挙関連の用事があってその窓口に行って来ました。

昨日がその窓口に行くのは3回目でしたが、窓口の男性職員氏は私の顔と名前を覚えてくれていて、にこやかに対応してくださいました。

そのことから、なんとなく、人間誰しも3回程度会って会話をすると記憶に残るものなのかなと思いました。

私の方も、その窓口の男性職員氏の事を、以前から知っているような心持で接する事が出来ました。

私の生活訓の中で、「3回目は顔見知り」というのを加えようと思います。

きょうは、島原市内の看板屋さんに注文していた選挙用のポスターを受領に行きました。こちらの社長と会うのは4回目でしたが、ずーっと昔からの知り合いのような感覚でした。

雲仙市内では、選挙に立候補しようとする人の後援会などの看板が数多く見受けられますが、これも各立候補予定者の氏名を不特定多数の人々の脳裏に記憶させてしまうという効果に期待してのものかもしれません。

本来ならば、選ぶ側としては、立候補予定者の実績や政策方針などをきちんと把握して、可能であれば直接話を聞いて判断するべきであろうかと思います。

既に、雲仙市長選挙並びに雲仙市議会議員選挙への立候補予定者の届け出書類等の事前審査は、25日から始まっております。


豊田かずき



久し振りの雨

2005年10月28日 | インポート
夕方より少し前から、久し振りに雨が降りました。

田んぼでは稲刈りも殆んど終わり、米の作柄は平年より少なかったと言う人もいれば予想以上の収穫量だったと言う人もおります。

いろいろな自然条件や水管理、肥料のやり方によって収量に差がついたものであろうと思われます。

何十年も農業をやっている人でも、全く同じ条件が揃うという事はないでしょうから、毎年の米作りが楽しみでもあり不安でもあることだろうと思います。

その結果として、米の品質と収穫量が労働の成果となるわけですから、稲刈りの時にコンバインに貯まっていく籾の量がどれぐらいかを知る時の心境は、おそらく学校での試験の答案用紙の点数を知る時の心境に相通ずるところがあるのではないでしょうか。

しかし、試験の場合には赤点を取っても追試験を受けるという救済処置がありますが、農作物の収穫の場合にはやり直しは効きません。
農家にとっては農作物の収穫量の多い少ないは死活問題でもありましょう。

私の父は20年前に59歳で他界しましたが、生きていた時の40年以上を、米作りを主とする農業などをして私たちを育ててくれました。

私が子どもの頃は、今と違って田植えも稲刈りも手作業で処理していましたので、その農作業のきつさは今の何倍ものきつさだったはずです。

その父が、他界する2年前に、稲刈りと脱穀が同時に出来るコンバインを購入して、1シーズンだけコンバインを使った米の収穫をしました。

それ以前のいろいろな便利な農機具は、近所の人よりも早目に導入していたのですが、コンバインに関しては近所の人よりも少し遅れての導入でした。
理由は、経済的な理由から私が購入を反対していたからでした。

死去したのが9月12日でしたから、コンバインを購入してから2シーズン目の米の収穫を前にしての急逝でした。

米作りには自信を持っていた父でしたが、自分が育てた最後の米の収穫量を知らないままでの旅立ちでした。

当時、私たち夫婦と子どもは大阪で暮らしておりましたので、その年の米の収穫は親類の農家の人にお願いいたしましたが、結果は平年作以上の収穫量でした。

米の収穫が終わった後の雨降りの日には、コタツに入り肘枕をして、タバコを吸いながらのんびりとしてテレビを見ていた父の姿を思い出します。


豊田かずき


スイカ再収穫の実験結果

2005年10月27日 | インポート
息子が、夏に食べたスイカの種から、今年中にもう一度スイカを収穫できるのかという趣旨で実験栽培をしていましたが、その結果が出ました。

本当は、3本の苗の内の2本についての結果が出たのですが、残りの1本についてはまだ実験の継続中です。

結果が出た2本の内の1本は、直径が12cmほどの実が生り、包丁で割ると中は赤く色付いていて、食べてみると甘みも十分あり、スイカとして認めても良いようなものでした。

もう1本の方は、生ったままひびが入っていましたが、実を割ってみるとほのかな桃色に色づいておりました。

こちらの方は浅漬けにして食べました。

以上の2本は、露地でそのまま栽培しておりましたが、気候が温暖だったためか、実を収穫する事が出来ました。

実験途上のもう1本が、スイカ再収穫実験の本当の主役なのですが、こちらはビニールで覆いを作り、朝晩にそのビニールの覆いを息子が開け閉めして温度調節を行っており、直径3cm程度の実が数個生っておりますが、根元に近い所の葉っぱが枯れかかっているような状況です。

結果が出るまでには、もうしばらくかかりそうですが、10月の下旬でも気候が穏やかであれば、露地植えのスイカは再収穫できるものだという事が分かりました。

来年は、夏に食べた後のスイカの種を、丁寧に育てて再収穫してみようと思っております。


豊田かずき


郵便局職員氏の丁寧な対応

2005年10月26日 | インポート
市会議員選挙の告示後に、正式な手続きをすれば、郵便局から2000枚の選挙用の通常郵便葉書が無償でいただける事になっております。

その通常郵便葉書を、インクジェット紙でもらうようにできないものかという事を、昨日、愛野郵便局の職員氏にお尋ねしました。

雲仙市議会議員選挙においては、そのような選挙用の通常郵便葉書の取り扱いは、吾妻郵便局ですることになっておりますので、その職員氏は吾妻郵便局の方へ電話で問い合わせてくださいました。

吾妻郵便局からの回答は、一般的に選挙に立候補する人は、あらかじめ私製葉書などに印刷しておいたものを手続き完了後に持ち込まれて、選挙の表示の刻印を打ってもらっているという事だったそうです。

私が尋ねた事とだいぶズレた回答だったので、愛野郵便局の職員氏に再度丁寧に尋ねたい事の内容を説明したら、納得されたようで、後ほど確認してから連絡させて頂きますという事で、私の連絡先電話番号とファックス番号を控えられました。

本日の朝に、その回答がファックスで入っている事に気付きました。

本社に確認していただいたようで、それによれば、選挙用の葉書はインクジェット紙でも渡す事が出来るという事でした。
ただし、吾妻郵便局にはインクジェット紙の葉書の在庫が少ないので、あらかじめその旨を連絡しておくようにという事でした。

普通紙の通常郵便葉書もインクジェット対応の通常郵便葉書も、金額は50円と同じなので、当然の事ながら渡して頂けるものと思っておりましたが、そのとおりでした。

私の場合には、なるべくお金がかからないように、自分のパソコンとプリンターで、選挙用の葉書2000枚は印刷する予定ですので、インクジェット紙の葉書をいただけると処理が早くてとても助かるのです。

丁寧な対応で、ファックスを入れて頂いていた愛野郵便局のTさんに感謝したいと思います。


豊田かずき


丁寧な対応・社会保険事務所

2005年10月25日 | インポート
社会保険関係の変更の届出が必要になったので、諫早社会保険事務所に行きました。
窓口におられた女性職員の方に用件を言うと、必要な用紙を揃えてくれて、記入の仕方まで懇切丁寧に教えて頂きました。

妻がパートタイムで勤めていた保育園からの保育士の仕事が殆んど来なくなったので(私の雲仙市議会議員選挙への出馬予定との関連があるようですが)、そこをやめて新たな就職先が見つかるまで私の扶養に入れて、国民年金の第三号被保険者とするための手続きでした。

その保育園では、社会保険に加入していたので、その事業所名で発行されていた健康保険証は本日返還して来たということでした。

昨年の10月頃にも、一時的に他所で働いていた息子を私の扶養に入れる手続きをしましたが、その時には新しい健康保険証は、その場で発行してもらう事が出来ました。

いつ病院にかかる事になるのか分からないので、健康保険証の所持が途切れる事の無いように処置する事が当然の事だと思います。

しかし、今回は、4月から仕組みが変わったという理由で、妻の健康保険証の発行は1週間から10日後ぐらいになるということでした。

もしその間に、妻が病院にかかる事があったならば、とりあえず全額負担で払っておき、保険証を受給した後に過払いの分の返還申請をするようにと言われました。

なぜ保険証の発行までに1週間も10日もかかるのかというと、その処理発行事務は長崎市内の別の組織でやっているからだそうです。

諫早社会保険事務所管内の処理は、その内部でやれば効率的で間違いも無いのにと思いますが、わざわざ事務処理を複雑化して、関係者の働き口を増やすようなことをやっているのではないかと思ってしまいます。

もっと分かりやすい表現を使うとすれば、自分たちの仲間内の「天下り先」のような組織を作っているのではないのかと思いたくもなります。

窓口の職員の対応はとても親切で好感が持てたのですが、組織の仕組み自体が利活用者の視点から外れていると言えると思います。

小泉首相には、郵政よりも社会保険庁の改革に力を注いで頂きたいものですね。


豊田かずき


供託金と没収点と法定得票数

2005年10月24日 | インポート
公職選挙法によれば、指定都市以外の市の議会の議員の選挙に出る場合には、供託金として法務局に30万円を供託しなければならないことになっております。
町議会議員に立候補する場合にはそのような供託金は不要でしたが、市議会議員に立候補するには供託金という物が必要になります。

要するに、一時的に30万円を法務局に納めなければ選挙に立候補することができないということです。

そして、その選挙による投票結果により、没収点の得票数を得票できなかった者の供託金は没収されるということになっております。

その没収点とは、 
有効投票数÷議員定数÷10 
で計算される数だそうです。

仮に、その選挙における有権者数が46,000人で、議員定数が30名で、有効投票率が85パーセントであったとすれば、供託金の没収点は

46000人×0.85÷30÷10=130.3人

となり、130.3人未満の得票数の者の供託金は没収されるという事になります。

選挙における当選人の決定は、得票数の多い候補者から順番にその選挙における定数に達するまでの者を当選人としますが、この場合、一定数以上の得票(法定得票数)があることが必要とされています。

地方公共団体の議会議員の場合には 
有効投票総数÷当該選挙区内議員定数÷4 
で算出される数字が法定得票数となります。

これは、例え有効投票の当選圏内の順位を得た候補者であっても、投票全体の有効投票数からみて、あまりにも得票が少ないときは、これを当選人とすることは妥当ではないと考えられるからだそうです。

有効投票数とは、全投票数の中から何も書かれていない白票などいずれの候補者の得票にもならない票(無効票)を除いた投票数をいいます。

法定得票数というのは、仮にその候補者の得票順位が当選圏内に入っていたとしても、その法定得票数以上の得票が無ければ当選とはならないという事だそうです。

仮に、その選挙における有権者数が46,000人で、議員定数が30名で、有効投票率が85パーセントであったとすれば、法定得票数は

46,000人×0.85÷30÷4=325.8人

となり、325.8人未満の得票数だった者は、仮に30位以内であっても当選とはならないということになります。

平成17年11月13日に告示され、11月20日に投開票される雲仙市の市長選挙ならびに市議会議員選挙ではどのような結果が出るのでしょうか。


豊田かずき


新聞記者からの電話

2005年10月23日 | インポート
庭木の剪定を済ませて家の中に入ったら電話が鳴りました。
読売新聞の記者の人から私への電話でした。

内容は、以前に提出していた雲仙市議会議員選挙立候補予定者の経歴に関する確認の電話でした。

職業と経験した役職などに関する、告示後における新聞の記載内容に関する確認でしたが、読売新聞の場合には21文字以内の表示スペースになるとのことでした。

私の場合には、「測量業」「元愛野町議」「元愛野町防災会議委員」で18文字になるが、それで間違いないかという確認でした。

新聞記者の方からの電話だったので、ついでに雲仙市議会議員立候補予定者説明会への出席陣営の内訳について尋ねてみました。

元町議が38陣営、その他が5陣営ということでしたが、その旧町ごとの内訳は、国見町9陣営(元町議7、その他2)、瑞穂町5陣営(元町議5)、吾妻町8陣営(元町議7、その他1)、愛野町5陣営(元町議5)、千々石町5陣営(元町議4、その他1)、小浜町6陣営(元町議5、その他1)、南串山町5陣営(元町議5)という事だったそうです。

合計で43陣営が、雲仙市議会議員立候補予定者説明会に出席していたという事でした。

各陣営ともそれぞれに政治活動を展開しておられるようですが、雲仙市選挙管理委員会の指導によれば、後援会などの政治団体の表示看板の設置位置は、畑などの事務所としての建物が存在していない所への設置はしてはいけないという事でした。
にもかかわらず、明らかに畑しかない所への設置看板も散見されます。

また、看板の大きさの制限も、幅が40cm以内、高さが足の長さまで含んで150cm以内でなければならないという事になっておりますが、看板制作の時点で、看板と一体となっている足の長さが明らかに看板の高さ制限の150cmプラス100cmぐらいで制作されているものの設置も見受けられます。

本来、決まりを遵守して、行政の監視をしていくべき立場の議会議員に立候補を予定されているであろう人の後援会などの看板が、その設置基準を無視して立てられている事からしておかしいことであって、その様なことを平気でおこなっている陣営の人間性がにじみ出ているようにも思えます。

その様な事柄も、判断基準のひとつとして見られても良いのかもしれません。


豊田かずき


神棚の榊

2005年10月22日 | インポート
後援会事務所の神棚の榊を交換しました。

10月1日に、「豊田かずき後援会」の事務所開きの神事の際に買い求めて、毎朝その花柴立の水を交換しておりますが、その榊の一部に疲れが見えましたので、新しいものに替えました。

毎朝、神棚にお供えしている水と花柴立ての水を交換してからお参りをすると、心が落ち着きます。

家の宗教は祖先から浄土真宗なので仏壇があり、その同じ家の中に神棚もあるような特殊な地域性の中で育ちましたので、仏様と神様を同時に祀る事に対して何の違和感もありません。

仏様には、朝晩の食事の前には必ずお参りすることが子どもの頃からの習慣になっております。

とりたてて宗教に対して深く考えた事も無く、そうする事が当たり前のこととして認識しております。

ですから、小泉首相の靖国神社参拝も、以前は理解していたつもりでしたが、今回の様に選挙に対する影響をにらみながらの参拝であれば、そこに祀られている人達も嬉しくは無いのではないでしょうか。

A級戦犯といわれている人達も、私たちの祖先である事に変わりはなく、敗戦国になったがゆえにそのような呼ばれ方をして処刑された方々であり、もし戦勝国であったならばどのような立場になっておられたのでしょうか。

死者の霊に対して、手を合わせる事もしないような人間の集団になる社会を私は望みませんが、政治的な宣伝効果をもくろんでお参りするような事であるならば、論外です。

一党独裁の体制が、戦前の日本国の再現につながらないように注視しておかなければ、この平穏な日常が壊れていく事にもつながりかねないと私は思っております。


豊田かずき


混戦模様

2005年10月21日 | インポート
今朝の毎日新聞の長崎版で、11月20日に投開票される雲仙市議会議員の立候補予定者説明会に、43陣営が来ていたという記事が載っていました。

その内訳は、元町議陣営が38、その他の陣営が5という事だったそうですが、旧千々石町長だった町田氏の陣営もおられたようです。

定数30名のところに、もし立候補予定者の説明会に出席していた陣営から全て立候補されるとすれば、かなりの激戦となる事でしょう。

選ぶ側にとっては、多くの選択肢がある事になります。

元町長や元役場の幹部職員経験者の方なども出馬される予定のようですので、30名の定員の中にその方たちが含まれたならば、雲仙市議会の質の向上につながる事は間違いないと思います。

元町議会議員から立候補する人達を判断する基準としては、何をしようとしているのかという考え方を知る事も大事でしょうが、今までに議員報酬をいただいて活動していた訳ですから、何をしてきたのかという実績に対する評価も忘れてはいけない事だと思います。

むしろ、その事に重きを置いて判断すべきではなかろうかと私は思います。

住民の方々から納めていただいた税金の中から議員報酬をいただいていたのですから、なんらかの形で住民の方々にとって有益な仕事をしていて当然なのですが、その様な事柄についての把握をきちんとしてから選ぶべきであろうと私は思います。

30人の定数枠に対して、最終的に何人の立候補となるのかは、今の所確定はしておりませんが、相当な激戦になる事が予想されます。

雲仙市の方向性を左右するような選挙としての意味合いから、選ばれる方も選ぶ方も心してかからなければならないと思います。


豊田かずき



柿の実

2005年10月20日 | インポート
庭に2本の柿の木があります。

1本は、20年前に大阪から引っ越してくる時に、ベランダのプランターに埋めていた種から発芽して30cm程度に育っていたものを持って来て、庭の隅に植えていたものが大きくなった木です。

もう1本は、それより以前に、食べた後の種から発芽して大きくなった木だそうです。

大阪から持ってきた木は、小ぶりの実をつける渋柿ですが、以前からある木は、渋柿だったものが、だんだんと甘柿の部分が増えて来ているような変わった柿の木です。

小ぶりの実をつける渋柿の方は、まさに鈴生りの状態です。
もう1本の方は、台風の時期に、まだ青い実がたくさん落ちたので、柿の実はまばらにしか生っておりません。

私が小さい頃には、自分の家には柿の木が無かったので、今頃の季節になると、柿の木がある近所の家がうらやましかったものです。

今年はこの地域は、一度だけ台風の直撃コースになりましたが、幸いにも大きな被害も無く、柿の実が熟す季節を迎える事が出来ました。

平凡で、平穏に季節の移ろいを感じる事が出来る平和な世の中が、永遠に続いて欲しいものだと思います。


豊田かずき


いい話

2005年10月19日 | インポート
きょう、複数の人から聞いた話です。

旧千々石町長の町田氏が、雲仙市議会議員選挙に出馬されるようです。
真偽のほどは確認しておりませんが、事実とすればいい話だと思います。

10月11日の雲仙市の誕生により、旧7町の町長はじめ助役、収入役、教育長並びに町議会議員は全て失職いたしました。

7人おられた町長の中で、旧小浜町長の松藤氏と旧国見町長の渡辺氏は、雲仙市長選挙に出馬される予定で、旧愛野町長の松浦氏は雲仙市の職務執行者(新市長が選挙で決まるまで、市長の職務を執行する役目)になっておられます。

残りの旧瑞穂町長、旧吾妻町長、旧千々石町長、旧南串山町長が、今後雲仙市とどのような形で関わって行かれるつもりなのか、他人事ながらとても気になっておりました。

高齢を理由に引退される方もおられるでしょうが、旧千々石町長の町田氏はまだお若いし、旧愛野町長の松浦氏が雲仙市長選挙への出馬を断念されてから以降は、雲仙市長選に立候補されたらいいのになと勝手に思っておりました。

役場職員、助役、町長という長年の行政経験に基づく知識を武器に、雲仙市議会議員として活動されたならば、雲仙市議会の質の向上につながることは間違いないと思います。

残念ながら、旧千々石町長の町田氏が雲仙市議選挙に出馬されるとしても、私は個人的な特殊事情で町田氏を応援をする事は出来ませんが、出馬をされるとすれば、拍手を送る事は出来ます。

たくさんの選択肢の中から、より良いと思う人を選択できるような状況は、選ぶ側にとっては好ましい事だと思います。

明日の午前10時から、雲仙市長選挙の立候補予定者への説明会が、午後1時30分から雲仙市議会議員選挙の立候補予定者への説明会が、雲仙市役所本庁の旧吾妻町役場隣のふるさと会館で行われます。

何名程度の立候補予定者なのかが、おおむね分かると思います。


豊田かずき


風のこと

2005年10月18日 | インポート
台風の影響によるものだとは思いますが、きょうは風が強い一日でした。

風にも色々ありますが、強すぎる風は日常生活の上ではあまり好まれません。
台風などがその典型的な例でしょう。

凧揚げをする時には、ある程度の風が吹いていないと困りますが、強すぎるともっと困ります。

雲仙市長選挙に立候補を表明されている人の愛野後援会事務所の前に、「七つの風を集めて」という看板が掲げられております。

合併によって誕生した雲仙市が、旧7町のバランスの取れた融合により発展していく事をめざすという意味合いであると私は解釈しています。

さわやかなそよ風のような心地よい風になれば良いのですが、台風のような強烈な風になる事を私は好みません。

また、合併に乗じて、特定の業種の一部の人達が勢力を拡大するような方向に向かうような事だけは避けなければならないと思います。

現在の所、3名の雲仙市長選立候補予定者がおられますが、その内の2名の方の政策方針の書かれたパンフレットは拝見しましたが、1名の方の政策方針に関してはまだ知りません。

過去に経験された行政手腕で選ぶのか、若さに期待して選ぶのか、教育者的な感覚を重視して選ぶのか、選択の基準は様々でしょうが、私たちが生活していく地域の最初のリーダーになる人を選ぶのですから、私たち住民は重要な選択権を与えられている事になります。

御本人の考え方を直接聞いて判断しようと思っております。


豊田かずき


コンクリート

2005年10月17日 | インポート
久し振りにセメントを扱いました。

車庫代わりに使うために、小屋の軒先から木材を伸ばした骨組みの柱の根元を、コンクリートで巻くための作業をしました。

セメントと砂と砕石と水を適当な分量ずつ配合して、混ぜ合わたものがコンクリートいい、それから砕石を除外したものがモルタルで、さらにそれから砂を除外したものがセメントペーストと呼ばれるということを、三十数年前に諫早農高の農業土木科で教わりました。

材料の分量の配合次第で、固まった時の強度が違ってきますが、今回は全て目分量での配合比率でコンクリートを練りました。

水の量が少し多かったかなという程度のコンクリートになってしまいましたが、型枠の中に打ち込む時には、隅々まで広がりやすいのかななどと思いながらの作業でした。

コンシステンシー(まだ固まらないコンクリートの性質で、主として水量の多少による柔らかさの程度で示される)、ワーカビリチー(コンシステンシーによるコンクリートの打ち込みやすさの程度と材料の分離に抵抗する程度を示すまだ固まらないコンクリートの性質)、ブリージング(打ち終わった直後のまだ固まらないコンクリートの水が上昇するのは、コンクリート材料が沈下することによるもので、これをブリージング現象という)などという言葉を、三十数年前に土木施工の授業で教わった事などを思い出しながらの楽しい時間でした。

私たちの雲仙市においても、コンシステンシーやワーカビリチーやブリージングに置き換えられるような基礎的な事柄が、数多くあるのではないでしょうか。


豊田かずき