日々雑感「点ノ記」

備忘録(心の軌跡)

小魚五目(諌早市有喜漁港)

2014年09月23日 | インポート
「朝ご飯はおはぎでいい?」と妻。

何のことかと思っていたら、本日の朝は、おはぎを作るためにもち米交じりの米を炊いているということ。

仕事がある普通の日は、一日一食の食習慣を私は通しているが、休みの日になると、準備されている物を食べるという生活習慣になっている。

「おはぎと牡丹餅はどう違うと?」と私。

「おはぎも牡丹餅も一緒で、春のお彼岸の頃に作るのが牡丹餅で、秋のお彼岸の頃に作るのがおはぎて言うと。」と妻。

要するに、牡丹の花が咲く春の頃に作るのが牡丹餅、萩の花が咲く秋の彼岸の頃に作るのがおはぎということらしい。

正しいのかどうかは知らないが、それで納得の私。

どちらももち米交じりのおにぎりに、あんこを巻いた、甘い食べものだから、朝飯に出ても晩飯に出ても、私にとっては何の支障も無い。

そのような朝食の「おはぎ」をほおばりながら、今日はどこに釣りに行こうかと思案する。

午後からは雨模様だとの天気予報なので、雨が降る前の午前中に趣味を消化しておきたいと思った。

何となく、あまり遠くへは行きたくないような気分だったので、近場の有喜漁港に行った。

台風接近の影響で、外海の方はかなり波が高かったが、防波堤とは絶妙なネーミングで、防波堤に囲まれた有喜漁港の湾内では、波は無く穏やかで、たくさんの人たちが釣り竿を出しておられた。

私も空いている隅のほうで釣竿を出させてもらった。

隣りで釣っている人たちは、大物狙いの仕掛けで、護岸から10m以上先の方へ仕掛けを投げておられた。

私は渓流仕掛けで、護岸のきわの小魚が、なんでもいいから遊んでくれれば良いと思いながら竿を出している。

退屈しない程度に小魚たちが引いてくれる。

ひらアジの子、ベラの子、カワハギの子、アラカブの子、キジハタの子の五目が釣れてくれた。

飯盛町の結の浜までだと家から車で30分かかるが、有喜漁港だと家から車で15分で行ける。

有喜漁港に良い魚釣りのポイントが見つかった。

今日の小魚は、煮つけでいただくことにした。


本日の釣果(カワハギ、ベラ、アラカブ、ひらアジ、キジハタ)
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豊田一喜




墓参り

2014年09月21日 | インポート
天気のいい時に、お彼岸の墓参りに行っておこうということになって、妻とふたりで墓参りに出掛けた。

水道水を大きなペットボトル6本に詰めて、妻が買っておいた花を持っての墓参り。

最初に行くのは、愛野町の光西寺の室内にある伯母さんや伯父さんの墓。

片方は跡を見る者がいない伯父さんたちの墓、もう片方は、跡を見るものはいるがその人たちは遠方に住んでいる伯母さんたちの墓。

水を替え、花を飾り、線香を立ててお参りをする。

きっと、御浄土で、私たちの事を見守ってくれているのだろうと思いながら手を合わせる。

次は、光西寺から、自分のうちの墓まで車で2分の後、徒歩で3分。

急な坂を上って、よそ様の墓の敷地を通らせてもらってから、急な坂を下って我が家の墓へ。

15日に墓掃除をしていたので、水を替えてから花を飾り、線香を立てて、皆の無病息災を祈る。

一度家に戻ってから、隣町の妻の実家の墓参りと、同じく隣町の伯父さんの墓参りを済ませる。

一連の墓参りを終えると、心が落ち着く。



豊田一喜





墓掃除

2014年09月15日 | インポート
墓掃除をしに行くといって仕度をしていたら、妻が「私も行く」と言ったのでふたりで墓掃除に行った。

お盆の頃に掃除をしていたのだが、雨の日が多かったこともあり、草がかなり伸びていた。

いつもの墓掃除と同じで、通り道として使わせてもらっている、よそ様の墓の除草作業も含めてが我が家の墓掃除の定番となっている。

刈払い機で刈れる所は極力除草して、石垣の根元とか刈払い機で処理できない所を妻が鎌で綺麗にする。

除草作業が終わったら、鉄製の熊手で、刈り倒した草を集めて崖の所に落とし、それから花立の水やコップや湯のみ茶碗の水を替えて、花を飾る。

線香に火をつけて線香立てに立ててお参りをするまでに丁度2時間。

昼の音楽が流れる頃に、彼岸前の墓掃除をつつがなく終える事ができた。



豊田一喜


素揚げ

2014年09月14日 | インポート
諌早市飯盛町の結の浜で、小魚たちに遊んでもらった。

渓流仕掛けで、竿と同じぐらいの深さに沈めていると、明確な魚信があって、引き込んでくれる。

柔らかい竿なので、小魚がかかっても大きな円弧を描いて、いかにも大きな魚がかかったように見える。

そのようなやり取りを、何回も楽しませてもらった。

隣りで釣っていた親子にはコノシロが釣れていたが、私に釣れてくれたのは、クロの子、アラカブの子、カワハギの子、熱帯魚のような縦じまの平べったい魚などだった。

夕餉の食卓には、頭を落とした小魚の素揚げが並んだ。

たんぱく質やカルシュームが豊富で、発泡酒のツマミには丁度良い。

平和な一日を過ごす事ができた。

本日の素揚げ
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豊田一喜








境川のヤマメ

2014年09月06日 | インポート
ヤマメ釣りには、最適な日だった。

ここのところの降雨の影響で、境川の水量が程よく増えて、ヤマメの活性が高い一日だった。

成魚放流のヤマメはほとんど釣りつくされたと思われ、稚魚放流で成長したもの、あるいは天然孵化したのが成長したと思われる、丸々と太った綺麗な魚体のヤマメが遊んでくれる。

リリースサイズのヤマメはひっきりなしに釣れるが、そのたびに「大きくなってから釣れてね」と念じながらリリースする。

そんな中でも、時々持ち帰りサイズ(体長15cm以上)のヤマメが引き込んで、竿に伝わる手感を楽しませてくれる。

本日は300メートルくらいの区間で5匹の持ち帰りサイズのヤマメが釣れてくれた。

その中の一匹だけは、放流成魚の残党だったが、丁度そのヤマメが釣れた場面を、家族連れで境川に遊びに来ていた人が目撃していた。

「えっ、こんな川にそんな大きな魚がいるの。」という表情で見ていたし、作業着姿の、そこら辺にいるおっさん風の私がヤマメを釣り上げたのが信じられないというような表情とも受け取れた。

諌早市高来町の境川には、実はヤマメがうじゃうじゃ居るのですが、ヤマメの生態と釣り方を知らない人たちにとっては、なかなか釣れにくい渓流魚なのかもしれません。

ヤマメの釣り方の基本は、ヤマメの採餌活動が活発な時に、ヤマメに気付かれないように、ヤマメが流下してくる餌を待っていると思われる場所に近付き、自然な流れに見えるように、極力細い仕掛けを使って餌を流すことに尽きる。

境川の石の上に、スパイクつきの磯靴で歩いて滑ったと思われる跡が付いているのを見る事があるが、そのような人の釣果はあまり良くないのではなかろうかと思われる。

ヤマメの居るポイントに近付く際に、既に足音でヤマメに気付かれて、警戒心の強いヤマメを隠れさせてしまっているのではなかろうかと推察できる。

ゆえに釣果も上がらないのではと想像できる。

ヤマメ釣りは、静かな釣りであると極論してもよいのかもしれない。

忍者の様に静かにポイントに近付き、流れの上流側にそっと仕掛けを投入し、自然な餌の流れになるように竿先を移動させ、目印に神経を集中して、その微妙な変化を見落とさずに軽く合わせる。

もう少しで禁漁期間に突入する(境川では10月1日より翌年の2月末日までは禁漁期間になる)が、今頃が魚体も大きくなって、心地良い引きで楽しませてくれる。

本日の釣果(一番上のヤマメが放流成魚)
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特定秘密保護法案や集団的自衛権などという、国民を危険にさらすような準備をしている○○な政治屋さんや官僚たちの思考力が、平凡な私たち庶民の日常を奪おうとしている。

食糧の自給能力も無い、資源も無い、原発を50箇所以上も保有しているような脆弱な国家が、過去の反省も無く、勇ましい事を言って国民を洗脳しようとしている。

特殊な武器を使わずとも、某国の洗脳教育を受けた、国家のために身を挺する若者たちが乗り込んだ、数十機の爆弾を搭載した航空機が、複数の原発目がけて同時に突入すれば、我が国は壊滅的な状況に陥るだろう。

地対空ミサイルでの迎撃など、どの程度の実効があるのか疑わしい所である。

この平常時においても、原発の汚染水すらまともに処理できないで右往左往して言い訳ばかりしているような国家のどこをさして技術立国というのだろうか。

津波による福島の原発の事故はなかったかのように、原発の再稼働ありきで進んでいる国家権力の横暴さはいかがなものであろうか。

原発が停止していても、我が国の電力は賄えているのに。

国家のため、家族を守るためという大義名分を叩き込まれて戦死なされた方々は、結果として国家や家族を守る事ができたのだろうか。

結果を見ればその答えは明らかである。

国家という、一部の人間が支配している実体の無い組織は、国民を消耗品として扱い、結果として国家も国民も守る事はできなかったという史実を変える事はできない。

被害者の立場からの戦争史観が多いようだが、先に無謀な戦争を仕掛けたのは、一握りの思慮分別の無い我が国の支配階層の者たちであった。

そのような歴史の愚を、また繰り返すことになるような選択をしつつある。

私たちはそれに気付くべきであるが、巧妙な言葉を駆使してじわじわと時間軸を逆行させようと企んでいる勢力がある。

某国の大統領などは、敵対勢力を集団で叩こうと呼びかけている。

自作自演かもしれない映像によって、憎悪を増大させ、同調勢力を結集しようと企てている。

自国本土に危害を及ぼさない戦争は、自国の武器商人たちの懐を潤し、自国の経済を好転させる要素にもなりうるだろう。

我が国は、決してそのような呼びかけに同調してはならない。

私たち庶民の、平凡で幸せな日常は消し飛ばされてしまう。

若い世代の人たちよ、勇ましく戦争に出かけて合法的な殺人をしても、決して国家や家族を守る事はできはしない。

そして、国家は国民を守ってくれはしない。

空襲や原爆の投下がそれを証明している。

生きてつつましく、家族と共に生活する事が一番の幸福であることに気づくべきである。


豊田一喜














夏ヤマメ4匹

2014年07月26日 | インポート
朝から空模様がおかしかった。

愛野町の南西の方向には黒雲が広がり、今にも大雨が降り出しそうな様相だったので、早朝に出かける予定だった高来町境川へのヤマメ釣りを見合わせていた。

程なくして強い雨が降り出し、しばらく降り続いてから地面を充分に濡らして降りやんだ。

ヤマメ釣りにとっては絶好の釣り日和になったと思い境川へ向った。

ところが諌早湾干拓の堤防道路(雲仙多良シーライン)の路面には降雨の形跡は無かった。

局部的に愛野町近辺だけに降ったのだろうかと落胆しながらも、湯江小学校前を通り過ぎ、境川の右岸沿いに車を走らせる。

すると、途中から路面が濡れていた。

多良岳の山の方にも、にわか雨が降った形跡があったので、また少しヤマメ釣りに期待が持てた。

ヤマメは雨が降って水嵩が増えると採餌活動が活発になる習性があり、釣れる頻度が高くなる。

車が通行できる行き止まりとなる、最上流の橋の下流側100メートルぐらいの所にトイレの建物があり、その脇に駐車スペースがある。

そこに車を止めて、その少し下流側から釣り始める。

先週の土曜日に釣り終った渕の上流から釣り始めた。

にわか雨によるものと思われるが、水量も適度にあり、ヤマメ釣りの状況としては良好だったが、川原の石が雨で濡れていたので、短足ゆえに普段でも低い体の重心をさらに低くして、滑らないようにして歩いた。

リリースサイズのヤマメの幼魚やアブラハヤは、ひっきりなしにシマミミズの餌に食いついてくれるが、リリースサイズのヤマメはその都度リリースする。

5月に放流した放流成魚は、あらかた釣りつくされていると思われ、綺麗なヤマメが釣れてくれるので楽しいヤマメ釣りができる。

いつも思うのだが、「過ぎたるは及ばざるが如し」で、成魚放流にしても稚魚放流にしても、その数が川の大きさに適合していないと、個々の魚の成育を阻害することにもなる。

放流する稚魚の数が多すぎると、各魚に行き渡る天然の餌の量が少なくなってしまう。

ゆえに、個々の魚体が大きくなれない。

リリースサイズのヤマメは30匹ぐらい針にかかったが、そのたびにリリース。

リリースサイズのヤマメはうじゃうじゃ生息しているというのが境川の現状だと私は見ている。

そのような中でも、強い魚は餌を多く採取し体が大きくなって、心地良い引きを楽しませてくれる。

時々、持ち帰りサイズ(体長15cm以上)のヤマメが釣れてくれる。

本日はそのような心地良いヤマメの引きを4回楽しませてもらった。

釣りをした区間は150mほどの区間で、キャッチアンドリリース区間の始点である橋の下流までで本日のヤマメ釣りは終わりにした。

しばらくの時間だけ、天然のクーラーの中での心地良い時間を堪能できた一日だった。

本日の釣果(夏ヤマメ4匹)
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豊田一喜















除草の奉仕作業

2014年07月06日 | インポート
 1週間ほど前に、7月6日の午前8時から、町内会の花壇の除草作業を実施するという回覧板が回ってきていた。

合併前の愛野町の時代に、千鳥川の堤防法面(のりめん)に整備された花壇に、町から委託された業者が、季節ごとに花を植えていた。

それはそれで綺麗ではあったが、維持管理にはかなりのお金がかかっているのだろうなと思っていた。

合併して雲仙市になってからは、そのような予算は付かなくなり、その花壇の維持管理は地元自治会でして頂きたいということになった。

そのようになってから最初の頃には花の苗を植えていたが、そのうちに維持管理が簡単になるようにと、ツツジの苗をどこかからもらってきて植えることになった。

そのツツジの木の間に繁茂している草を、町内会の奉仕作業で除草しようというのが今回の作業。

小雨模様だったが、中止の連絡もなかったので雨合羽を羽織って8時頃に現地に出掛けたら、既に何人かの人たちが除草作業にいそしんでおられた。

雨で花壇の地面も水を含んで柔らかくなっていたので、雑草を引き抜くのには好都合だった。

幅が2.5メートルぐらいで、延長が100メートルぐらいの花壇の除草作業は、川端町内会の中から40人ほどの参加で、9時半ごろには終了した。

皆さんが、泥で汚れながらも、黙々と雑談も交えながら進めて、ツツジの花壇は綺麗にすっきりとなった。

年に何回かは町内会長さんの号令で集まり、奉仕作業を実施している。

自分たちの住環境の維持管理の中で、自分たちでできる事は自分たちでやれば良いのだが、最近は何でも行政にやらせようというような風潮も見受けられるように思う。

自分たちでやれば、地域のコミュニケーションの場にもなるし、適度な運動にもなり良い汗もかけて、気持ちもすっきりするのに。

汗をかいたあとに風呂に入り、床屋で散髪をして、さらにすっきりとした日だった。




豊田一喜






梅雨の合間のヤマメ釣り

2014年06月07日 | インポート
 久し振りに境川のヤマメ釣りに行ってみた。

川の水量が少しは増えているかもしれないと期待して出掛けたが、高来小学校を過ぎて少し上流の右手側にある堰(せき)を越流している川の水はほとんど無かった。

境川でヤマメ釣りをする時には、その堰での越流状況で、それより上流部での水量を予測することにしている。

本日は、ヤマメ釣りにとっての水量としては最悪の状況であろう事が予測できた。

轟の瀧に近付くと、道路面が濡れていた。

局部的ににわか雨が降ったものと思われ、少しだけ期待して大駐車場の手前にある「渓流橋」の手前の駐車場に車を止めてから、遊歩道に沿って下流へ向って歩く。

キャンプ場下の吊橋のすこし下流側から釣り始める。

案の定、流下水量は少なく、釣れるのはアブラハヤやリリースサイズの放流したヤマメの稚魚ばかり。

ただし、水量が少ない事が幸いして、キャンプ場より上流にある大きな滝の滝壺では、滝の流下部に近いところまで竿が出せる状況になっていた。

実はこの滝では、水難事故が発生していたので、ここ数年ほどは、その滝壺では竿を出さずに「南無阿弥陀仏」と心の中で唱えながら、通り過ぎることにしていた。

本日は、滝壺の水量が少なかったこともあり、水難事故があった事を示す表示板も、杭だけが残っていて吹き飛ばされていたようだったので、その滝壺で釣る事を自分の心の中で解禁することにした。

一投目、明確なあたりがあり合わせると、体長18cmぐらいの綺麗な体色のヤマメが釣れてくれた。

放流稚魚の成長した物か、天然孵化から成長した個体であろうと推測できた。

少し場所を移動して、中央部に近い流れの付近に仕掛けを流すと、またしても明確なあたり。

今度はあわせのタイミングがまずかったようで、魚体の重さは感じたが、釣り上げる事はできなかった。

餌のシマミミズを付け替えて、再度同じ付近に仕掛けを投入したら、またしても明確なあたりがあった。

合わせたら今度は針掛かりして、ゴトゴトと魚の抵抗する力が竿先から手に心地良く伝わる。

水中から、礫のあるところに抜き上げた途端に魚体は仕掛けから外れて地面に落ちた。

水際まで60cmぐらいの所に落ちてから、体をバタつかせて必死で逃げようとしている。

こちらもせっかく釣り上げたヤマメを逃したくは無く、竿をほったらかしてしゃがみこみヤマメを捕まえようとする。

ヤマメも必死で、一度この手に掴んだものの、ぬめりのある体をバタつかせて、左手の手の平からするりと滑り落ちた。

そこは水際から30cmぐらいの所。

逃げられてはなるものかとあわてて右足で蹴り上げて、水際から50cmの所まで戻し、体をしゃがめて今度は右手でしっかりと捕まえた。

それでもヤマメは必死で最後の抵抗を試みる。

急いで肩に掛けている氷を入れている小さなクーラーボックスのフタを開けてヤマメをその中へと押し込んだ。

クーラーボックスに押し込められたヤマメは、しばらくの間クーラーボックスの中でゴトゴトと暴れているが、そのうちに音がしなくなる。

かくして、私に釣られたヤマメの生涯は幕を閉じることになる。

生き物の命をいただく趣味なので、釣った魚は必ず食して、成仏して頂くことにしている。

その後も滝つぼの左岸側まで、水面から露出している石を伝って移動し、滝つぼの左岸側付近を探ると強いあたりあり。

しっかりと針掛かりしているようで、強い抵抗感がある。

慎重に、魚を遊ばせながら岸近くまで引き寄せ、一気に抜き上げた。

一目見てすぐに分かった。

5月に放流した放流成魚だという事が。

尾びれの下側がすれており、魚体の輝きが自然の川の中で育ったヤマメの体色と微妙に違い、うろこが荒れている。

体長23cm程度あったが、0.4号のハリスで充分に釣り上げる事はできる。

その他にも少し位置を変えたところでもう1匹放流成魚が釣れてくれた。

本日は、合わせて4匹のヤマメが釣れてくれた。

久し振りに、山の木々と水の流れの音の中に身を置かせてもらい、心地良い時間を過ごさせてもらった、梅雨の合間のヤマメ釣りだった。

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豊田一喜






無作法(ぶさほう)

2014年05月09日 | インポート
昨晩は、急遽職場の飲み会に参加したために、車は職場の駐車場に止めたままで島原鉄道に乗って帰宅した。

なので、必然的に本日の朝の通勤は島原鉄道利用となった。

愛野駅で、諫早駅までの520円の乗車切符を購入して、7時27分発の2両編成のディーゼルカーに乗り込む。

座席を見渡して、「ん」と思った。

対面式の4人かけの座席のほとんどに、はす向かいで2人づつしか座っていない。

そのほとんどが高校生だった。

座席の片側にカバンなどの荷物を置いているので、他の人が座ることはできない。

そしてその子どもたちは、ほとんど例外なくスマホだか何だかの画面を凝視して、指を間断なく動かしている。

私の目には異様な光景に映る。

自分が座っている座席の隣の座席に、自分の荷物を置くということは、彼らの中の常識ではそれが当たり前のことなのだろうが、世間一般では通用しない常識である。

要するにそのような行為は「無作法」でしかない。

自分も田舎育ちの田舎者だからあまり言いたくは無いが、そのような場景を見るとつくづく「田舎だなー」と思ってしまう。

昨年度の1年間は佐世保市に住んでいて、佐世保市営バスでの通勤だったが、車内アナウンスで「座席に荷物を置かないようにしてください」というのが必ずあっていた。

当然の事ながら、自分の荷物は自分の膝の上に置くなどして皆が乗車していた。

島原鉄道ではそのようなアナウンスは無い。

無作法を無作法と認識できないその子たちは哀れに思えた。



豊田一喜







竹の子切り

2014年04月27日 | インポート
今年の竹の子は豊作だった。

近隣の地域の竹山では、イノシシが食い荒らしてほとんど竹の子が収穫できなかったという話を多く聞いていた。

竹の子は、その収穫が間に合わないとどんどんと成長して、竹になってしまう。

竹になりきる前の、成長しすぎた竹の子を切り倒す作業をしておかないと、翌年は竹が密生することになってしまう。

そこで、竹の子掘りならぬ「竹の子切り」ということになる。

鉈鎌で、成長しすぎた竹の子を切り倒すのだが、直径が20cm近くあるのを切り倒すには一発で切断する事はできない。

切断する位置より上の方の長さが2m程度になると、その切り倒した部分の倒れる方向を見極めてから作業をしないと危険でもある。

体を逃がす場所を確保してから鉈鎌を打ち込む。

鉈鎌を数回打ち込むと、他の倒伏している枯れ竹に当たりながら音を立てて地面に落ちる。

長崎市内に住んでいる高校の時の同級生が、若い竹の子を掘っている間に「竹の子切り」の作業を行なった。

今の季節には、竹林の中に蚊が居ないので作業もやりやすい。

適度な運動にもなり、心地良い汗をかく事ができた。

来年の竹の子掘りの準備も出来たところで、今から芽吹きだしている若い竹の子を8本ほど掘って家に帰り、妻のお友達の「ジュンちゃん」のところに届けた。

孟宗竹の竹の子掘りは、3月下旬から5月上旬頃まではできる。

今年も毎週の様に竹の子掘りができて、旬の味を飽きるほどいただく事ができた。

自分の一生の中で、何十回訪れることになるのかは分からないが、桜と竹の子の季節が終わろうとしている。



豊田一喜




島原鉄道

2014年04月19日 | インポート
昨日は、自動車で諌早市内の職場まで出勤して、帰りは島原鉄道を利用した。

夕方に職場の飲み会があったので、島原鉄道での帰宅となった。

なので、今朝早くに島原鉄道の上り始発のディーゼルカーに乗って、諌早市内の駐車場まで車を取りに行った。

愛野駅を6時43分発で諫早駅に7時10分に着く、乗車時間が27分間で運賃が520円。

30分足らずの乗車時間で520円の運賃はかなり高く感じる。

土曜日の朝だというのに、島原鉄道にしては珍しく、高校生などで座席は満席になり、通路に立っている人も多く居た。

車窓に広がる諌早平野の田んぼには、一面に緑が広がっている。

麦の穂がそよ風に揺れていて美しい。

45年前から3年間、諌早農業高等学校の農業土木科に通学するために島原鉄道を利用したことがある。

当時はバスに酔う体質だったので、島原鉄道による通学しか選択肢が無かった。

その頃には、諌早東高校前駅も干拓の里駅も幸駅も無かった。

本諫早駅から諌早農業高校まで、徒歩で20分近くかかっていたように思う。

高校生の頃は、新しい事を学ぶ事が楽しかった。

あれからもう45年の時が流れ、60歳になり、昔で言えば「老人」の仲間入りをする歳になってしまった。

体重が一時期90kg近くまで増えたこともあったが、大きな病気もせずに今まで生かしてもらっている。

最近では島原鉄道に乗る事は稀ではあるが、島原鉄道に乗ると手提げカバンを持って通学していた高校生の頃を思い出す。

将来のことなど何も分からなかった自分が、右往左往しながら生きてきた足跡をたどる事はできる。

いろいろな仕事を体験する事を余儀なくされた、結構楽しい人生ではある。



豊田一喜












通勤

2014年03月30日 | インポート
4月1日より、自宅から通勤できる職場で働かせていただけることになりました。

60歳を過ぎて、働かせていただける職場があるというだけでもとてもありがたいことだと感じております。

昨年の4月から始まった単身赴任の生活も1年間で終わりとなりました。

毎週、金曜日の夜に佐世保市矢峰町から自宅に帰り、月曜日の早朝に佐世保市矢峰町の寮に戻るという生活でしたが、明日(3月31日)の1往復で終わりになります。

諌早市内の職場では、駐車場も割り当てて頂き、その場所の下見に本日行って来ました。

駐車場から職場までは、徒歩で3~4分程度の距離でした。

昨日の風雨で、諌早市森山町の桜街道の桜の花びらもだいぶ散ってはいましたが、桜並木のトンネルの景観はすばらしいものでした。

人生の中で、まさか今度の職場に通勤することになろうことなど夢想だにした事は無かったことでしたが、先の事が分からないのが人生の妙なのだと、つくづく感じております。

脳みその中身が、私の場合には粗悪品のようなので、新しい職場では分からないこと、知らないことの方が多いものとは思っておりますが、この年になって、新しい事を知る事ができる期待感が意識の中の多くを占めているように感じております。

自宅からの通勤の一年間を、大切に過ごさせて頂こうと思っております。



豊田一喜


墓参りと竹の子掘り

2014年03月23日 | インポート
昨日ひとりで掃除をして来た墓に、今日は妻とふたりで墓参りに行ってきた。

庭の花を何本か用意し、大き目のペットボトル6本に水道水をいれて、車で3分ぐらい走り、そこから徒歩で坂道を3分程度歩くと我が家の墓に着く。

花立の水を替え、水入れの湯のみ茶碗を洗って綺麗な水を供えてから、線香に火をつけてからのお参り。

手を合わせて、ご先祖様たちに、家族や一族郎党の無病息災をお願いして、ゆっくりと休んでくださいと念じる。

「南無阿弥陀仏」という言葉を心の中で唱えている。

子どもの頃から、朝晩に仏壇の前で手を合わせてお参りする事は、我が家での当たり前の習慣として定着していた。

別に宗教心に篤い家でもなかったが、仏様の前で手を合わせると自分の心が落ち着く。

墓参りに行くと、自分もいつかはここに入るのだと思い、自分が死んだあとには子どもたちもこのように墓掃除や墓参りをしてくれるのだろうかと思ってしまう。

とりあえずはお彼岸の墓参りを終えて、心が落ち着いたところで、昨日の午後に初竹の子堀をして、竹の子が出だしたということを確認していたので、妻と竹山に向った。

足の裏で竹の葉が積もっている地面を探り、微妙に突出している竹の子の先端部を見つけ出す。

専用のクワで丁寧にその周りを掘り、ある程度掘ったら竹の子の湾曲している側(弓で言えば弦の側)に向ってクワをう打ち込み、竹の子を切断する。

妻とふたりで一時間程度探したら、隣り近所におすそ分けできるぐらいの量の竹の子を収穫する事ができた。

家に帰ってから、竹の子を隣り近所におすそ分けしたあとは、恒例の親戚の墓参りツアーとなった。

隣町の妻の実家の墓と、同じく隣町の伯父の墓と、同じく隣町の祖母や伯父が眠っている墓にお参りした。

一年に何回かは、今はこの世にいない親類縁者の人達の事を思い出す日がある。

墓参りに行ける環境に居られる事をありがたく感じる。



豊田一喜




庭の春

2014年03月22日 | インポート
庭には春があふれている。

色々な花が、その色を競い合うかのように咲き誇っている。

職場の近くの公園の陽光桜は、一週間ほど前に満開で、濃い桃色で春の訪れを感じさせてくれた。

我が家の庭でも、春を体いっぱいに感じる事ができる。

ラッパ水仙、ゆすら梅の花、菜の花、そら豆の花、レンギョ、スオウなどの他にも、名前を知らないたくさんの花たちが満開で、それらの花たちに囲まれていると、心も体も明るく軽やかになったように感じてしまう。

墓掃除のあとの今年初めての竹の子掘りでも、地面の中から足の裏に感じる芽吹きを探し出して、初竹の子を収穫することもできた。

3月9日には娘の結婚式のために、久し振りに東京に行って来た。

東京都小金井市の、自分たちが結婚生活をスタートした頃に住んでいたアパートを探索してみたら、その建物はそのままの状態で残っていた。

自分たちが住んでいた頃には「たちばな荘」という名称だったが、今は看板だけが「コーポ たちばな」に変わっていた。

中央線武蔵小金井駅の周辺はかなり変貌していたが、そのアパートの路地付近はあまり変わってはいなかった。

33年前の夫婦の生活の場であり、そのアパートから徒歩で10分のところに職場はあった。

航空写真測量の精密立体図化機のフリーのオペレータとして、色々な自治体や政府開発援助の一環としての開発途上国の基本図(地形図)の図化などの仕事をしていた頃の、思い出多き場所。

入籍は1年5ヶ月前にしていたが、身近な親戚だけには披露をしておきたいということで、今回結婚式を挙げた娘は、その頃に授かった。

娘の結婚式で一番嬉しかった事は、私たち両親に対して、娘が感謝の言葉をくれた時だった。

「とうちゃん、かあちゃん、いままで見守っていてくれてありがとう。」

我が家では、自分たち親の事を「とうちゃん、かあちゃん」と呼ぶようにして育てた。

おとうさん、おかあさんではなく、私たちは「とうちゃん、かあちゃん」としてこれからも子どもたちの中では存在する。

そのようなおめでたいこともあって、今年の春は一段と春を感じているように思う。

なにやらおかしげな世の中の動きだが、家族が共に暮らしていけるような平和だけは維持してほしい。

出征などという言葉を二度と使う事の無い、私たちの国「日本」であってほしいと切に願う。

「庭の春」が、そのような思いを強く想起させる。


満開の庭の花々たち(画像をクリックすると拡大する)
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ヤマメ釣り解禁(諌早市高来町境川)

2014年03月01日 | インポート
昨年の10月1日から昨日(平成26年2月28日)までの禁漁期間が終わり、本日から、諌早市高来町の境川(轟の滝がある川)ではヤマメ釣りが解禁となった。

5ヶ月間の、渓流釣りを抑制されていた我慢の期間が終わり、春の日差しの中で、待ちに待ったヤマメ釣りに出かけた。

雲仙市吾妻町から諌早市高来町までは、諌早湾干拓の堤防道路(正式名称は、「雲仙多良シーライン」というハイカラな名前が付いている)を利用すれば、7分間程度で到達する。

雲仙市愛野町の自宅から諌早市高来町のヤマメが釣れる場所までは、車で30分もあれば到達できる。

解禁日なので、たくさんのヤマメ釣り愛好者が境川に集結しているのかと思っていたが、午前9時ごろの境川沿いの道路には佐世保ナンバーの軽自動車が1台止まっていただけだった。

山道で車を止める時には、帰りの事を考慮して、車の頭は下りの方向を向けて止めておくということが肝要だが、その佐世保ナンバーの軽自動車はそのようにして止めてあった。

山釣りに精通している人の車であろう事は想像できた。

その軽自動車が止めてあるところから数百メートル上流のところから川に降りて釣り始めた。

これもまた山釣りの不文律みたいなもので、なるべく多くの人で渓流釣りの楽しみを分かち合えるように、先行の釣り人がいたならば、そこからある程度の間隔を開けて釣り始めるということになっている。

というのも、ヤマメなどの渓流魚は、誰かが竿を出した後のしばらくの時間は、警戒して、同じ場所で釣れにくい状況となるので、他の人が釣っている近くの場所は、その人の楽しみのために場を荒らさずに残しておくという配慮をするということで、そのようなルールを守るようにしている。

はやる心を抑えながら、ハリス0.4号の釣り針にシマミミズを付けて第1投目を振り込む。

小さな渕の流れの末端付近で、明確なあたりがあり、軽く合わせると、力強く引き込んで抵抗する。

その感触を楽しみながら魚体を抜き上げる。

体長20cm程度の、綺麗な体色のヤマメに、今シーズン初めて会う事ができた。

禁漁期間の5ヶ月間に、確実に成長しているヤマメが生息している事が確認できて、嬉しかった。

その後も、ヤマメが居そうだと見当をつけた所では、8割がたヤマメのあたりがあり、綺麗な魚体のヤマメが遊んでくれた。

本日は、およそ200メートルの区間で、初ヤマメ釣りを楽しませてもらったが、天然孵化もしくは稚魚放流の野生化した個体と思われる、成長した綺麗な魚体のヤマメが釣れてくれた。

自分の中の趣味の世界には、春が訪れた。



豊田一喜


本日の釣果
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