日々雑感「点ノ記」

備忘録(心の軌跡)

引越し

2013年03月31日 | インポート
妻は息子が運転する車に乗り、私の車と2台で、単身暮らし用の荷物を積み込んで、9時少し前に家を出る。

途中で、東彼杵町の「そのぎのしょう」に立ち寄って、トイレ休憩と果物などを買う。

引越し先に着いたのは11時半ごろ。

妻は部屋の中を掃除して、私と息子は荷物降ろし。

私が玄関の所まで荷物を運び、息子が3階まで運び上げてくれた。

それから、展示品の現品ならば5000円ということで売られていた、本棚も付いている機能的な机の組み立てを3人でする。

一通り終わった所で、外に出て昼飯にした。

買い物をするのに、徒歩で動けるような範囲に色々な店があり、生活をするには便利な所。

部屋からは、大き目の川の流れを眺める事ができて、住みやすそうな住環境に思える。

洗濯用のたらいとプラスチック製の洗濯板などを購入し、妻と息子はその足で家に帰った。

部屋に戻ってから、持ち込んだ荷物の整理をする。

たいした荷物量でもないので、一時間ほどで終わる。

針葉樹、広葉樹、竹などが混生している山が川向こうに見える。

良い場所に住まわせてもらえる事になったと思う。



豊田一喜







草払い

2013年03月30日 | インポート
旧諫早干拓にある田んぼの草払いをした。

道路の角にある田んぼなので、二辺が道路に面していて、一辺は水路に面している。

その道路に面している辺に繁茂している雑草と、水路に面している畔に生えている雑草を、刈り払い機で刈り取る。

それらの作業を終わらせるのに、およそ3時間かかった。

刈払い機を使う時は、腰を中心にしてひねる動作が入るので、足、腰、腕など、全身を使い、適度な運動量になる。

午前7時半ごろより、朝一番での竹の子掘りで汗を流し、その後車を洗車してから、引き続き田んぼの草払いと続けた。

そのあと、午前中に掘った竹の子を、親戚や、妻の保育園の保母さん仲間に配った。

夜には、明日告示される諫早市議会議員選挙に出馬予定の同級生の所に顔を出してきた。

明日は、自分の引越しのために、顔を出して激励することはできないので、本日行ってきた。

同級生の彼は元気そうだったが、同じ地区から4人も立候補される予定だという。

しかもその中のひとりは、同級生と同じ町内会の人だそうだ。

同級生は、ゴミ焼却施設問題の百条委員会で、熱心にその問題に対峙している。

一期目の4年間の議員としての実績は申し分ないが、選挙となると、地方では、いまだに地縁、血縁が幅を利かせている。

一週間後の日曜日には投開票が行なわれて結果が分かる。

果たして、実績が評価されるのか、地縁、血縁などが幅を利かせるのか、あるいは告示日以降の選挙運動が効いて来るのか、投票箱を開けて見なければ分からないが、彼には頑張ってもらいたい。。



本日をもって、このブログは、諸般の事情により、しばらく休止いたします。

豊田一喜







米ぬか

2013年03月29日 | インポート
朝一番の仕事として、妻から米搗きを命じられた。

昨晩の夕飯のために炊く米が、米びつに2合しか残っていなかったということで、米搗きが本日の朝一番の仕事になった。

米をつく自動精米機の場所も指定された。

愛野中学校の下の方にある精米機にせよという。

なぜならば、そこの自動精米機では、「米ぬかは自由にお持ち帰りください」という表示がしてあるから、そこで精米をして、米ぬかをもらって来てということだった。

竹の子の季節になり、竹の子のエグミをぬくために竹の子を茹でる時に米ぬかを入れて茹でるので、そのために米ぬかが欲しいということ。

車に玄米30kg入りの米袋を載せて、愛野中学校下の自動精米機のところまで、5分もかからないで着く。

自動精米機脇に設置してある、米ぬかの入っている小さな箱状の建物の扉を開けてみると、米ぬかが溜まっているはずの場所には米ぬかはほとんど残ってはいなかった。

季節的に、皆さんが竹の子のエグミ除去用に米ぬかを持って行かれるのだろう。

だから、米ぬかが多く出るように、玄米を投入してから300円を入れ、無洗米コースを選んでボタンを押した。

およそ6分間程度で、磨かれた白米として米は搗きあがる。

米ぬか貯留用の、小さな箱状の建物の扉を開けると、そこにはかなりの量の米ぬかが溜まっていた。

備え付けのちり取りですくって、持参したレジ袋に入れる。

大き目のレジ袋がいっぱいになるぐらいの米ぬかを持ち帰る事ができた。

今年の竹の子のエグミ取りに使うには充分な量の米ぬかを確保する事ができた。

午後は、諫早まで出て、新しい生活のために必要な物を買い揃えた。

一日が過ぎるのを早く感じる。



豊田一喜












パソコンのディスプレイとしても使えるテレビ

2013年03月28日 | インポート
パソコンのディスプレイとしても使えるテレビがある。

4月からは、6畳一間の部屋で暮らすことになるので、持ち込む荷物をある程度はコンパクトにしなければならない。

パソコンも使いたいし、テレビも見たいけれども、両方を持ち込むと、それらを置く場所を考えなければならない。

古いパソコン本体に、コードを1本つなぐだけで、テレビがパソコンのディスプレイとしても使える機能の物があった。

19インチのテレビだが、値段がお手ごろだったので、清水の舞台から飛び降りるような心もちで購入した。

インターネットで情報を検索したり、テレビを見たりが、1つの画面で可能になる。

古いパソコンではあるが、関わった仕事関係の画像やデータが格納されていて、この10年近くの自分の歴史が刻み込まれている。

共に徹夜もしながら頑張ってくれた、相棒であり、なくてはならない仕事道具でもあった。

今でも順調に動いてくれる。

それ用に使っていたディスプレイは大きすぎて、重すぎて、一緒に連れてはいけないが、パソコン本体とプリンター用の複合機は一緒に連れて行く。

4月からの新しい暮らしで、相棒の寿命がどのくらいもつのかは分からないが。

デルコンピュ-タの骨董品のような代物ではあるが、使い慣れたものが一番使いやすい。

テレビ付のパソコンのような感覚で、これからも付き合って行きたい。



豊田一喜


100均の店での買い物

2013年03月27日 | インポート
100円均一の店で買い物をすると、1000円札1枚あれば、10種類の品物を買うことができる。

50年ほど前の小学校の低学年の頃には、正月のお年玉として、おじさんやおばさんたちから100円札を1枚ずつ貰って喜んでいた。

その頃の100円といえば、かなりの値打ちがあって、10円のアンパンが10個買えたし、千々石町から売りに来ていた5円かまぼこ(ミンチ)は20個買うことができた。

落花生の入っているスズメの卵は1個50銭だったので、100円あれば200個も買うことができていた。

ただ、いっぺんに100円を使うことなどはなく、10円とか20円とか、小出しにして使っていた。

正月やお盆に、おじさんやおばさんたちから貰うことができるお金が、唯一の自由に使える現金で、それを使ってしまうと、後は親から小使い銭などもらうことなどは絶対になかった。

学校から帰ると、近くの山や川で遊びほうけ、晩御飯を食べてからテレビを見ていると眠ってしまっていて、学校の宿題などはほとんどしては行かなかった。

小学校の5年生の頃には、宿題をしていかないと担任の先生から、教室の前の方へ立たされて、尻を木の棒でたたかれておしまいだった。

先生も、きちんと心得ておられて、たたいても大丈夫なところしかたたかなかった。

今の世相であれば、体罰だなんだと大騒ぎする所だろうが、当時は親も子も先生もおおらかで、いけない事をしたらきちんとしかってくれる先生を全面的に信頼していて、むしろ親は、悪い事をしたら子どもをたたいてくださいと先生にお願いしていたような風潮だった。

私はそれが当たり前だと思っていたし、そのような事に対して何の違和感も持ってはいなかった。

宿題をしていかない常連が4~5人いて、私も常にその中のひとりに入っていた。

勉強が嫌いだったわけでもなかったが、算数の計算問題など、やり方が分かっていることを繰り返してやる事が好きではなかったように思う。

今考えれば、反復して繰り返すという行為は、スポーツにおける日々の鍛錬と同じようなもので、繰り返す事によって鍛えられて上達することに繋がるのだということに気付いていなかったように思うが、何よりも遊ぶことで忙しかった子ども時代。

それから、作文の時間が一番嫌いだった。

題を与えられても、何をどのようにして書いたら良いのかわからずに、一時限が過ぎてしまっていた。

今考えれば、文章を書くというのは簡単な事で、思いついた事を箇条書きにして、それらの箇条書きの文の順番を決めて、接続詞でつないで、一部分に肉付け的な要素を盛り込めば、大体は文章としての体裁は整う。

そして今は便利な時代になって、文章を書く際に、消しゴムを使うこともなく、消したり、コピーしたり、移動したりが画面の中で自在にできる。

100円札を正月のお年玉としてもらって喜んでいた頃には、想像すらできなかった事が、現実の身の回りには展開している。

テレビ、冷蔵庫、洗濯機、エアコンのある家に自分たちが住めるとは思ってもいなかったし、それぞれの家庭に自家用車がある状況など、夢のまた夢のような次元でしか思い描くことはできなかった。

庶民の私たちが、ポケットに電話機を入れて持ち歩く事ができて、どこにいても電話を使える時代が来るなどということは想像すらできなかった。

天空を飛び回っている人工衛星の信号を受信して、地球上での位置を正確に知る事ができるGPSの技術など、便利すぎて、日本中を歩いて回り、コンパス測量にて日本地図を完成させた伊能忠敬大先輩に申し訳ないようにも思う。

現在の100円均一の店での1000円札と、子どもの頃にお年玉で貰っていた100円札とでは、どちらが値打ちがあるのかは微妙な所だとは思うが、100円で売られている品物を見るとき、それらの品物を生産している人たちの手元にはいくらぐらいの金額が支払われているのだろうかと思うと、安いからといって喜んでばかりもいられない。

と思いつつも、1000円札1枚で、一人暮らしの準備品として、9種類の日常雑貨を購入して、55円のお釣を貰って帰宅した。



豊田一喜















蕪池での再会

2013年03月26日 | インポート
私が仙人様と呼ばせてもらっている方の東彼杵町蕪池のステンドグラス工房で、共に遺跡発掘のアルバイト作業員として働いていた方々と再会する事ができた。

本日、蕪池に集合して、ステンドグラスの制作体験をするということを聞いていたので、私も午後に寄らせて頂いた。

Tさん親子、Yさんとそのめいごさん、Sさん夫妻、Aさん親子、Aさんのお友達のアメリカ人のAさんにお会いする事ができた。

私は見学だけさせてもらったが、皆さん上手に、楽しそうに、ステンドグラス貼りの手鏡製作の最終工程に近いハンダ付けをされていた。

それぞれの人が製作された、世界で1つだけしかないステンドグラス貼りの手鏡。

アメリカ人のAさんは、クリスマスツリー風のスタンドの傘などの少し大物のステンドグラスの制作に興味を持たれた様子だった。

蕪池のほとりの、雄大な景色を望みながら、ステンドグラスの制作体験ができる素敵な工房。

いつかは自分も制作体験をさせていただきたいと思っている。

帰路は、同じ作業班だった大村市のSさんのお宅に寄り道をして、Sさんのお元気そうなお顔を拝見する事ができた。

午前中は竹の子掘りで汗を流し、午後は旧知の人たちにお会いする事ができた、良い一日だった。



豊田一喜




竹の子ご飯をいただくまで

2013年03月25日 | インポート
あちこちと動き回った一日だった。

雲仙市役所愛野総合支所、諫早地方法務局、諫早社会保険事務所、長崎地方法務局と移動して用事を済ませる。

休みに入った息子の車での移動ではあったが、長崎地方法務局の駐車場は現在工事中のために、その近くの別の駐車場に止めなければならなかった。

長崎市内は坂が多く、路面電車も通っていて人も多い。

平坦で広々とした土地の広がりのある地域でのんびりと暮らしているので、長崎の市内に入るとあわただしさを感じ、それだけで疲れてしまう。

県央地域の周辺に暮らしていると、県庁が平坦な土地の広がりがある諫早市内か大村市内にあってくれたらよいのにと、正直な所思う。

長崎港を中心にして発展した町並みであるという歴史的な経緯は、尊重しなければならないが。

諫早市内に戻ってくるとほっとする。

諫早市内のヤマダ電器とベスト電器に寄って、最近のパソコンなどを息子の解説で見て回る。

最近では、デスクトップ用のディスプレイ一体型のパソコンというのがある事を知った。

シンプルでスッキリしていて、テレビの機能もついているということなので、一人暮らしの部屋に持ち込むには検討の余地有りと思った。

それらの場所を回って帰宅したら、丁度夕飯時の時間になっていた。

竹の子ご飯の準備中だったので、息子とふたりで一杯飲もうかと思って冷蔵庫を見たら、飲む物が無い。

仕方が無いので、息子とふたりで愛野町のドラッグストアーモリまで走る。

一人暮らしをするための準備のために購入しておかなければならない物もあったので、発泡酒と共に購入。

帰宅して、やっと初物の竹の子ご飯をおいしくいただく運びとなった。



豊田一喜





初竹の子

2013年03月24日 | インポート
ヤマメが3匹しか釣れなかったヤマメ釣りを早目に切り上げて、帰りに竹山に寄ってみた。

一昨日も竹の子を探してみたが、見つけることはできなかった。

今日もだめかなと思えるような最初のうちの雰囲気だったが、あきらめかけていた頃に足の裏に当たりがあった。

クワで掘ってみると、間違いなく竹の子の先端で、その40cmぐらい離れた所にももう一本の竹の子が芽を出していた。

2本とも丁寧に掘り取った。

孟宗竹林なのだから、竹の子が出るというのは当たり前の事ではあるが、初物を見つけるというのは嬉しい。

出ているというのが分かると、他にも出ているはずだという確信を持てるようになり、目を皿の様にして探し始める。

結局、土嚢袋に重さを少し感じるぐらい、見つけることができた。

家に帰ると、庭の白藤の花のつぼみがかなり膨らんでいた。

植物の芽吹きは、積算温度との相関があるはずだから、白藤の花のつぼみの大きさを写真に収めておいた。

来年の竹の子掘りには、白藤の花のつぼみの大きさを参考にして出かけることにしようと思っている。

明日は、旬の初物の竹の子ご飯が食べられる。


庭の白藤の花のつぼみ
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初竹の子
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豊田一喜




お薦め渓流釣り動画

2013年03月23日 | インポート
渓流釣りのお薦め動画。

「渓流 羽貫」さんという人の渓流釣りの動画は、いつ見ても良い。

ほのぼのとしていて、何回見せてもらっても飽きない。

オートリリース(釣り落とし)した時の雰囲気がなんともいえない。

淡々とひとりで楽しみながら釣っておられる。

以下のようなシリーズがあります。


・(福島渓流釣り)川のぬし釣り 連瀑の秘渓編 Part 1

・(福島渓流釣り)川のぬし釣り 連瀑の秘渓編 Part 2

・(福島渓流釣り)川のぬし釣り 連瀑の秘渓編 Part 3

・(福島渓流釣り)川のぬし釣り 白銀の渓流編

・(福島渓流釣り)川のぬし釣り 新緑のリベンジ編

・(福島渓流釣り)川のぬし釣り 支流探索編

・(福島渓流釣り)川のぬし釣り 渇水の渓・貧果の夏編

・(福島渓流釣り)天然イワナが釣れまくりんぐ

・(福島渓流釣り)岩魚の骨酒編


などがあります。

手始めに、・(福島渓流釣り)川のぬし釣り 白銀の渓流編は、ここをクリックすれば見る事ができます。

あとは動画の小さなタイトル画面から、上記のタイトルの物を探して視聴してみてください。

動画が終わりきるまで見れば、おまけの映像も見る事ができますので、最後まで視聴することをお薦めします。

楽しいですよ。



豊田一喜



お彼岸の墓参り

2013年03月22日 | インポート
彼岸の中日に、墓参りに行かなかったので、今日行ってきた。

庭に咲いている花々を切ってから、まずは愛野町の光西寺の室内墓のおばさんたちの墓に参る。

老住職様が、お寺の庭の掃き掃除をしておられた。

子どもの頃には、怖いような存在の住職様だったが、若住職様に住職を継承されてからは、おだやかな丸みのある顔立ちに見えるようになった。

朝の6時のお寺の鐘を突くのも、老住職様の日課だと聞いている。

一日も絶えることなく、数百年の間、連綿と地域の住民に時を伝え続けているお寺の鐘。

お寺の鐘突きは、年寄りの仕事だと、いつかの法事の時に若住職様(現住職様)が言っておられた。

現住職様も70歳になられたら、次の世代に住職を継承されることになるのだろう。

そうなれば、現住職様が老住職様になって、朝の6時のお寺の鐘を突かれることになろう。

そのようにして、お寺の日々の営みは、途切れることなく続けられて行くことだろうが、我が家の墓に参ってくれる子孫たちは、果たしていつまで繋がってくれるのだろうか。

子孫が途絶えれば、墓石は草むらの中に埋もれて、無縁墓になってしまう。

できることならば、未来永劫、墓掃除と墓参りをしてくれるように、子孫の血脈が続いて欲しい。

そのようになれるように、今日一日の一族の息災を、ご先祖様にお願いしてお参りした。

南無阿弥陀仏。


豊田一喜








雨の日の過ごし方

2013年03月20日 | インポート
天気予報どおりに、朝から雨が降っていた。

春分の日で彼岸の中日だから、墓参りに行きたかったが、急傾斜の、土の細い坂道を昇り降りしなければ家の墓には行けないので、傘をさしてまでは墓参りに行こうとは思わなかった。

昨日の夕方に、墓掃除はしてきたし、花立の水を入れ替えて、墓の周りに繁茂している「柴」をあげてお参りはしてきていた。

本来ならば、今日、家の庭に咲いている花と線香を持って、きちんとお参りをしたかったのだけれども、雨が降っていてはそれもできない。

雨が降っていたので、外での雑事はできない。

家の中でゴロンとして、テレビを見ているのも、休日の過ごし方としては健康のために良くないしなどと考えていると、雨の日に何をすればよいのかという答えは、必然的に決まってくる。

そう、趣味のために時間を使うのが有意義だということで、雨合羽を着ての「ヤマメ釣り」という所に落ち着く。

諫早湾干拓の堤防道路を使うと、諫早市高来町の境川のヤマメが釣れる付近まで30分で到着する。

道中の轟渓谷には、山桜が咲き始めていて美しく、そのような風景を見る事ができるだけでも心が和む。

そのような風景を眺めながら、いつもそうするように心の中で、自然界の山の神様に対してつぶやく。

「今から入らせてもらいます。よろしくお願いします。」

当然の事ながら、雨合羽を着てまでヤマメ釣りをしている趣味人は一人もいない。

ゆえに、釣りのフィールドは、自分だけの貸しきり状態となり、ヤマメ釣りには最高に好適な状況になる。

雨のために水量はやや増えているし、小雨は降っているしで、ヤマメ釣りにとってはベストコンディションの中で釣りができる。

ひとつだけ難点がある。

それは、雨で川原の石が濡れているので、用心して歩かないと滑りやすいということ。

竿を出すと、予想通りにヤマメは餌を良く追ってくれた。

趣味の時間を充分に堪能することができて、足腰の筋肉も適度に使った一日だった。

釣り終わって納竿する時にも山の神様に対してつぶやく。

「本日もお世話になりました。ありがとうございました。」と。

自然界の中で遊ばせてもらっているという感謝の気持ちを忘れてはいけないと思っている。






豊田一喜










確定申告

2013年03月19日 | インポート
確定申告の期限は、3月15日までとなっている。

しかし、諸般の事情で忘れてしまったり、期限までに税務署に行けなかったりなどした場合にも、税務署に行けば確定申告の処理をしてくれる。

確定申告の相談窓口に、源泉徴収票と、還付金がある場合の振込口座の情報を持ち込めば、係りの人が懇切丁寧に必要事項をパソコンに入力して処理してくれる。

ということで、本日、送ればせながら島原の税務署に行ってきた。

平成24年の1月1日から、平成24年の12月31日までに得た収入は、3つの会社等からあった。

3枚の源泉徴収票と、母の障害者手帳の写しを提示したら、昼休みの時間帯だったが、ものの3分もかからずに処理して頂いた。

障害者の母を扶養しており、収入も少ないので、給料から差し引かれていた所得税は全て還付される。

32,709円が還付されることになった。

10日以内ぐらいのうちに、届け出た口座に振り込まれるという。

失業状態の身にとっては、非常に助かる還付金となる。

申告の期限が過ぎたからとあきらめている人がいたら、まだ大丈夫だから、源泉徴収票を持って、管轄の税務署に出向いて申告手続きをされた方が良いと思う。

本来納める必要の無い所得税を、源泉徴収されている場合が多いので、遺跡の発掘作業のアルバイト程度の給料の場合には、ほとんど還付される可能性がある。

遺跡発掘アルバイトをされた方で、確定申告をし忘れている人は、是非ともされた方が良いと思う。

ちょっと手続きをするだけで、数千円から2万数千円程度のお金が戻ってくる可能性があります。

竹松遺跡のアルバイト作業員経験者の皆様、確定申告をしに税務署へ行きましょう。


豊田一喜









土砂降りが教えてくれる

2013年03月18日 | インポート
最近では珍しく、朝から土砂降りの雨だった。

風も強く、台風のような様相を呈していたが、10時半ごろにはピタッとやんだ。

暴風雨の後の静寂は、その静寂のありがたさを増幅させてくれる。

極当たり前の、普通の平凡な時を、普通に過ごせる事が、いかに幸せなことかということを教えてくれる。

現状の平凡を維持できることで納得して暮らせばよいのに、成長だ繁栄だという掛け声に追いかけられながら、歩んできた近代の世界が、現在のおかしな社会を創出してきたように思う。

資源に乏しいからといって、制御もできない原子力で電気を作り出す技術を多用したり、初めから競争にもなりはしないような農業の国際競争力などという言葉を並べたりと、おかしな世相が渦巻いている。

その挙句に、TPP交渉に参加するのだという。

亡国への序章に足をつっこんだことになるのかもしれない。

能力主義とか実力主義とかで、日本人の働く人たちの根底にあった、順送りの相互扶助システムである年功序列主義を打ち壊して、勝ち組だ負け組みだと、人を選別してしまうような風潮は自分には肯定できない。

しかし、そのような現状の中で、なにびとも何とか生活していかなければならない。

自給自足ができれば一番良いのではあろうが、現在の社会で生きて行くには、必ずいくらかの現金が必要になってくる。

電気代、電話代、水道代、ガス代、各種の税金などは、現金収入ががなければ払えない。

農業に対する我が国の政策は、農地改革前の我が国の状況を、再現しようとしているような意図を感じてしまう。

日本の国土の土地利用状況の現況をきちんと把握しておれば、集約された大規模農家のみを優遇するような施策が、いかに荒唐無稽かということが分かるはずなのに。

会社や役場や農協に勤めながら現金収入を得て、勤めが休みの日に農業をしている、勤勉な兼業小規模農家の方々によって支えられている日本の農業の現状を、偏差値の高い役所の方々はご存じでないらしい。

自国の国民の食い扶持も生産できていないような農業政策の中で、国際競争力云々を論じても無意味だろうに。

農業の国際競争力を謳う前に、まずは自国民の胃袋を満たせるだけの、国内の農業生産力を向上させるための施策が喫緊の課題であるはずなのに。

TPP交渉に参加したことによって、支配を意図する者たちは、その国の農業の展開にとって有利となるような条項を押し付けてくることは目に見えている。

植民地のような我が国には、それに抗う事はできはしない。

土砂降りによって視界がさえぎられ、進む方向の先が見えないような展開が、これから先の我が国に待ち構えているように思える。



豊田一喜







竹の子がだめならタケノコメバル

2013年03月17日 | インポート
普通の日曜日なので、はた目を気にせずに堂々と休むことができた。

毎日が日曜日のような生活をしていても、田舎に住んでいるゆえに、やはりはた目が気にはなる。

昨日の竹の子探しが不発だったので、今日はタケノコメバル釣りに出かけてみた。

多比良港のフェリー乗り場の右側の防波堤の方が、大きい魚が釣れるという話をいとこから聞いていたので、本日はそちらで釣る事にした。

9時ごろから14時ごろまで、1mずつ場所を移動しながら、防波堤のきわを釣り歩く。

結局5時間かけて、小さなタケノコメバルが4匹と、普通のメバルが1匹の合計5匹が釣れてくれただけだった。



平均して1時間に1匹の釣果となるが、魚がいることは分かったのでよしとしよう。

14時ごろから雨が降り出したので納竿した。

家に帰ってから思い出した。

昨日、事務所の中に置いていた布団を、家の裏の物干竿に掛けて干していた事を思い出した。

当然、表面は濡れていた。

竹の子がだめならタケノコメバルということで、張り切って出掛けて、今ひとつ冴えない一日だったが、魚釣りが出来る環境にある幸せに感謝。



豊田一喜








竹の子探し

2013年03月16日 | インポート
朝から山に行った。

孟宗竹林の竹山で、落ちて積もっている笹の葉を長靴を履いている足の裏で掻き分けながら、わずかに地中から萌え出そうとしている竹の新芽を探す。

なかなか見つからない。

それでも探し続ける。

動き回って、汗が少し滲む頃になって、今シーズンはまだ早すぎるのかとか、去年が当たり年だったので今年は裏年で少ないのではないかとか、色々思いながら足の裏で感じようと試みる。

それでも何の当たりも無い。

一時間ぐらい探し続けたが、結局ひとつも見つけることはできなかった。

イノシシが掘り荒らしているような形跡も無いし、まだ少し早すぎたのだろうか。

楽しみは後に残しておけということだろうか。

昨年は、いやというほど様々な竹の子料理を食べさせて貰ったのだが。

竹の子探し不発の日だった。

忘れていたが、一昨日はホワイトデーだったので、チョコレートをいただいた方々にお返しをする日だった。

後日のお会いする日にということで勘弁してください。



豊田一喜