日々雑感「点ノ記」

備忘録(心の軌跡)

散策

2013年04月29日 | インポート
家の前にある畑の片付けや、おえ被っていた松の木の剪定(伐採)も終わったので、夕方に散策に出かけると妻に告げる。

すると、「ついでにゴミも出してきて」と妻。

千鳥川下流の左岸の道路脇にゴミステーションがある。

満杯に詰め込まれた2つのゴミ袋を提げて、およそ250mを歩く。

ゴミステーションの金属製のゴミ箱の蓋を開けて、提げてきた2つのゴミ袋を入れてから蓋を閉める。

そのゴミステーションのまん前の千鳥川の一部が、少し前にきれいに整備された。

堆積していた土砂を運び出し、堤防とその堤防で仕切られている堤外地(河川敷)を公園の様に整備して、散策ができるようにしてある。

そのすぐ下流の国道251号線上に架かっている「千鳥橋」は、以前は歩道部がなく、左岸側の川端町内会から、右岸側にある「川端」のバス停まで行くのに、歩道部が無い、狭い千鳥橋を渡って行かなければならなかった。

対向して来る大型車輌とすれ違う時には、少し恐怖を感じるような場所だった。

その千鳥橋も昨年、歩道部の増設を含む拡幅工事が行なわれ、安心して渡れるようになった。

河川公園の様に整備された千鳥川には、河川を歩いて横断できるように「飛び石」が配置されているが、残念な事に、右岸側、左岸側それぞれに、1個ずつ「飛び石」の配置が不足している。

ゆえに、飛び石を伝っての横断は、走り幅跳びに自信がある人でなければできない現況になっている。

一般人が、その飛び石を伝って川を渡る事は無理な構造になっている。

要するに、恰好だけの、目で見るだけの飛び石がそこには置かれている。

ということだから、左岸側から右岸側へ行くには、千鳥橋の歩道部を渡って行くしかない。

歩く距離は長くなるが、散策に来たのだから良しとする。

千鳥橋の上から下の流水部を眺めると、黒鯉と雷魚となまずを見つける事ができた。

近くで見てみたかったので、ぐるっと回って右岸側の降り口まで歩いて、右岸の川べりに行く。

水深20cmぐらいの川の中を、体長50cmぐらいの黒鯉がゆったりと泳ぎまわり、別の所ではこれも体長50cmぐらいのなまずがのんびりと泳ぎまわっていた。

体長40cmぐらいの雷魚は、頭だけ大きくて、首から下は細目の体形で、じっとしていて動かない。

近くに石を投げ入れると動きはするがその時だけで、またじっとしている。

空腹なのだろうかと思った。

公園化してある千鳥川の川べりは、散策をするには丁度良い。

千鳥の鳴き声が、耳に心地良かった。




豊田一喜








潤沢な時間

2013年04月28日 | インポート
3日間続けて休めるとなると、何をするにも、あまりあせがらなくても(急がなくても)良いような気分になる。

時間に追われながらの日常が、時間を自由に使える状況に切り替わる。

他の人との待ち合わせなど、時刻が決められている場合を除いて、自分だけで行動する場合には、潤沢な時間がそこにはある。

気の向いた時刻に出かけて、好きなように行動し、適当な所で切り上げて帰る。

そのような流れのヤマメ釣りに、久し振りに出かけてみた。

2週間前に、ヤマメの成魚と稚魚の放流をしたばかりだったので、放流した場所の近辺にはヤマメが居る事を知っている。

でも、2週間の間で、放流成魚の中のかなりの数は、釣り上げられているはずであろうと思う。

「かじか橋」というつり橋を渡り、上流側へ至る遊歩道から川へ降りると、良いポイントが続いている。

第1投目には、放流成魚ではない、18cm程度のきれいなヤマメが釣れてくれた。

放流成魚とそうでない魚の区別は、一目見ればすぐに分かる。

放流成魚の体表面の色はくすんでいて磨かれていないし、尾びれの下の方が少しすり減っている。

放流成魚の大きさは20cm以上あるので、それがかかった時の引きはそこそこに強い。

第2投目には、そのような引きの強い放流成魚が釣れてくれた。

引きは強くて楽しめはするが、あがってきたヤマメのくすんだ色の魚体を見ると、少しだけ興ざめする。

釣堀の魚を釣ったような気分になるが、なるべく早く放流成魚を一掃したいので、持ち帰って食糧にする。

その後はハヤやアブラハヤが混じって釣れ、ヤマメは放流成魚が2匹、そうではないきれいなヤマメが3匹の釣果だった。

轟の滝の50メートル下流の所までで本日のヤマメ釣りは終了。

帰りに、橋の脇にある水汲み場の水を飲んでから帰った。

ほんのりと甘い感じの味。

朝の9時ごろから、午後1時ごろまで、のんびりと潤沢な時間を過ごさせてもらった。


豊田一喜














庭の歳時記(平成25年4月27日)

2013年04月27日 | インポート
一週間経つと、庭の花々の表情も少しだけ変化している。

名前を知らない花が多いが、ひっそりと咲いてくれている花の中にお気に入りの花がある。

薄紫色の釣鐘のような花が良い。

熟すのを楽しみにしていたさくらんぼの実は、小鳥がついばんでいた。

それを食べた小鳥が、幸せな気分になったのであれば良しとしよう。

ジャスミンの花も、つぼみから一部は開いている。

畑のグリーンピースは、そろそろ食べごろだし、大阪に住んでいる頃に購入した芍薬の花のつぼみも、だいぶ大きくなってきている。

朝起きて、庭の花を眺めて回るなどということは、若い頃にはほとんど無かった。

今、そのような時間をのんびりと過ごすことができるような環境を与えてもらっている。

今日の仕事は、、長い土筆の頭のようにおえ被っている松の新芽を、剪定(伐採)する作業から始めよう。


おえ被った松の木
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薄紫色の釣鐘のような花
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小鳥がついばんださくらんぼの実
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食べごろになった畑のグリーンピース
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咲き始めたジャスミン
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芍薬のつぼみ
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庭の歳時記(平成25年4月21日)

2013年04月21日 | インポート
庭の花々が時の移ろいを教えてくれる。

一週間の間に違う顔になって、目を楽しませてくれる。

毎年、何気なく眺めていた庭の花々も、今年は時間軸を意識しながら眺めるようになった。

咲き誇っている花々は、どれも綺麗で、季節がゆっくりと動いている事をその色彩で認識させてくれる。

色々と綺麗な花は咲いてくれるが、その花の名前をきちんと知っている花は少ない。

薄い黄色の菊のような花びらの花だとか、すずらんのような白い綺麗な花だとかというような覚え方しかしていない。

それでも毎年、庭の同じような場所に咲いてくれる。

季節季節に咲く花は変わって行き、それと共に白髪としわは増えていく。

できることならば、あと20回程度は、そのような季節の変化を見届けさせてもらいたいと願望しているが。


少し散り始めた白藤の花
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満開のこでまりの花
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かえでの新芽
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薄黄色の花弁の菊のような花
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白い清楚な綺麗な花
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白いすずらんのような綺麗な花
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以上の花の正式な名称をご存知の方、どなたか私に教えてください。

豊田一喜








高校生の顔

2013年04月20日 | インポート
通勤に使っているバス路線の途中にS工業高校があり、毎朝、登校している高校生の集団を、バスの窓から見せてもらっている。

40年以上前の自分にも、そのような頃があったのだなという想いで眺めながら、彼らの顔から一日の活力をいただいているような日々を過ごしている。

それぞれの個性が顔立ちに表れているように思えるが、彼らの頭の中にはきっと、将来の日本の産業の一翼を担うための知識が集積されつつあるのだろうなと思うと頼もしくさえ感じる。

停留所でバスを待っている大人の顔の表情と比べてみると、明らかに高校生の顔の表情の方が豊かで明るい。

大人の顔の方は、総じて無表情に近いように感じる。

これから何かの職業に就くための準備期間中の、将来に対する漠然とした期待と目標を持っているであろう若者の顔と、既に何等かの職業に就いている人たちの顔の表情の差なのかなと思いつつ眺めている。

自分の高校生の頃を思い出すと、楽しい毎日を過ごさせてもらっていたように思う。

自宅から島原鉄道の愛野駅まで、およそ5分の道のりを自転車で行き、そこからは島原鉄道のディーゼルカーに20分間乗って本諫早駅で下車。

それから徒歩15分か20分ぐらいで諫早農業高校に到着。

測量や応用力学や農業土木設計などの興味深い職業科目を楽しく学んでいた。

新しい事を知る事が嬉しかった。

国語や数学や物理などの一般科目の各教科の先生方も、進学校ではなかったので、大学受験のための授業というような雰囲気は全くなく、私たちが興味を示すように仕向けるような、結構面白い授業の進め方だった。

授業が終わればクラブ活動で汗を流し、年に数回だけ下校途中に、「よろや」の100円の学生ラーメンを、汁を一滴も残さないように食べて帰るという楽しみがあった。

今考えると、親の保護下にあって、親のおかげで学校に行く事ができたのだなと、農業や土方をやりながら自分たちを育ててくれた両親にただただ感謝するしかない。

自分が高校生だった頃から40年以上も経って、今、毎朝の高校生の顔の表情から、活力をいただいている日々を過ごしている。


豊田一喜







千鳥川の草払い

2013年04月14日 | インポート
生まれ育った家の脇を、二級河川千鳥川が流れている。

子どもの頃には、その川に入って遊ぶのが日課だった。

川の両側が自然石の石積で、水中の石積の穴には、ツガネやウナギやナマズが隠れていた。

そのような穴に手を突っ込んで、素手で魚やカニを捕まえるというのが遊びの中心だった。

ある時祖母が、川に降りる石段の最下部の先に、洗濯用に設置していた平たい石の上流部分から、集めていたタバコの吸殻を揉みほぐして流し始めた。

次の瞬間、大きなウナギが白い腹を見せて、その石の下から姿をあらわした。

要するに、タバコのニコチンか何かの作用を利用した、極所的な毒流しを祖母はやって見せてくれたのだった。

それを見学していた小学生の自分は、あわてて川の中に入り、そのウナギを捕まえた。

そのウナギは、我が家の夕餉の食卓に、ぶつ切りの味噌炊きとなって出されて、家族の胃袋に収まった。

まだ我が家には、扇風機も冷蔵庫も、ましてや自家用車などは無かった頃の思い出。

その千鳥川は、昭和32年の諫早大水害の時に、私たちの住む集落にも、大きな被害をもたらした。

昭和32年7月25日、私が3歳の時だったが記憶に残っている。

その翌年から、川の神様に対する畏敬の念を込めて、私たちの「川端町内会」は、千鳥川の清掃奉仕活動を毎年行なうようになった。

従来は、その記念日である7月25日に、千鳥川の清掃奉仕活動を行なうようにしていたが、数年前から、7月まで川の中の雑草に手を加えないでいると、その繁茂により除草作業が大変だということから、春先に実施するようになった。

その、今年の千鳥川の清掃奉仕活動が今日だった。

朝の8時から、刈り払い機を持っている人は刈り払い機を使って、川の中に繁茂している雑草を切り倒した。

およそ1時間で完了。

そのあとは10時半から、町内会の公民館で、市役所の担当者の方からの、特定健診に関する啓蒙のための説明があった。

11時半頃からは、打ち上げの飲み会だったが、運転をしなければならないので、お茶でお付き合いをさせていただいた。

休みの2日間は、またたく間に過ぎてしまった。



草払いが終わった千鳥川の堤外地
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飛び石などが配置されて整備された千鳥川の下流部
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豊田一喜







一週間という時間

2013年04月13日 | インポート
庭の草花の振る舞いが、一週間という時間の流れを見せてくれる。

あまり気温が上がらなかった一週間だった。

一人暮らしの地では、セーターを着込まなければ寒さを感じるような日々が続いた。

金曜日の夜に家に帰って、一晩寝たあとの朝の庭の風景は、一週間分の時の流れを紡いでいる。

白藤の花もだいぶ開き、小手毬の花はきれいに開花して目を楽しませてくれる。

さくらんぼの実も少し膨らみ、名前を知らない白と紫の花弁の花は、フリージアの柿色と白色の花と共に、春を見せてくれている。

花が咲いている庭の風景は、心をそっと撫で付けて、少しだけ疲れていた神経を復調させる薬にもなる。

昼からは諫早市高来町の境川でのヤマメの放流事業のお手伝い。

稚魚の放流と成魚の放流を実施したので、ここ1~2週間は、放流成魚がよく釣れるはずです。

釣堀感覚でヤマメを釣りたい人には、明日あたりの境川でのヤマメ釣りはお薦めですよ。

餌はミミズでも栗虫でも、生餌であれば何でも良いのですが、空腹なので簡単に釣れるはずです。

ヤマメの放流事業のお手伝いのあとは、孟宗竹林での竹の子掘り。

抱え上げるのに重たいと感じるぐらいの竹の子を掘る事ができた。

適度な運動にはなった。


だいぶ開いた白藤の花
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今が見ごろの小手毬(こでまり)の花
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膨らみかけたさくらんぼの実
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名前を知らないきれいな花
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柿色と白色のフリージアの花
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豊田一喜



天気予報は当たり

2013年04月07日 | インポート
昨日の夕方までは弱い雨が降っていただけで、天気予報で暴風雨になるというのは外れたと思っていたが、昨晩から今朝にかけて、強い風が吹き続けた。

時間的には少し遅れはしたが、天気予報は当たりだった。

強い風が吹くと落ち着かない。

ずいぶん前の、台風17号と19号の連続被害を経験しているだけに、その時の場景を思い出してしまう。

30メートル程度離れている隣の家から飛散した瓦が、うちの小屋の瓦の上に乗ってしまうような猛烈な暴風雨だった。

愛野展望台付近の高圧送電の鉄塔も、なぎ倒されるような猛烈な風の強さだった。

家の中で、台風が通り過ぎるのを、ただひたすら祈るしかなかった。

気圧計の数値を見ながら、台風の挙動を推測するしかなく、屋根の瓦が飛散して落ちる強烈な音を、心臓がドクドクするような思いで聞いていた。

ここ数年は、私が住んでいる地域では台風の直撃は無い。

現在は、気象予測の技術も進歩しているので、ある程度早目に天気予報を知る事ができる。

天気の変化に対しては、ある程度までは前もって備える事ができる。

そのような認識を持ってすれば、長崎県内における懸案事項に対する解決策も見えてくるように思うが。

結構な確度で当たる天気の予測技術を、システムの中に取り込めば、豪雨災害にも対応できて、環境保持にも有益な施策が見えてくるのではないかと私は思う。


豊田一喜





白藤の花と小手毬(こでまり)の花

2013年04月06日 | インポート
日曜日に家を出た時には、まだつぼみだった白藤の花と小手毬(こでまり)の花が、開き始めている。

一週間の間に、確実に自然の営みは流れている。

快適な、一人暮らしの環境にはすぐに慣れて、新たな人生のスタートラインを踏み出して歩き始めている。

神様の采配で、今があるのだろうとは思う。

そのようになれたら良いなという程度の願望はありはしたが、全く予測もできなかった今の現実。

庭の白藤の花や、小手毬の花が、その花を咲かせて祝福してくれているようにも思えてしまう。

暴風雨になるという予報は、私の実家の近辺では大きく外れて、適度な量の雨が降ってくれた一日だった。

いといこの尽七日法要(四十九日)も、つつがなく終わり、かすかな雨音の中でゆったりと流れる時をのんびりと味わう。

やはり我が家は良い。


庭の白藤の花(画像のクリックで拡大する)
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庭の小手毬の花(画像のクリックで拡大する)
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豊田一喜