11月9日に、愛野町付近を通過する自動車専用道路計画に関する2回目の説明会が、愛野町の中央公民館で開かれた。
かなり熟慮したと思われる詳細設計案の提示がなされていた。
地元にとっては、どうしても必要な、地元が切望して造られる道路ではないという事を基本に考えて欲しい。
提示された計画案に対して、基本的に反対はしないが、計画機関には次のような事柄を、再度熟慮するように要望したい。
従来から、その地域に住んでいる住民が、日常生活に使っていた道路を、その計画道路の設置により分断する場合には、迂回道路を新設するようにすべきだ。
特に、市道宮添南線は、従来から、児童・生徒の通学道路として利用されていた道路であり、その道路が途中で分断されたならば、従来から地元民が享受していた利便性が損なわれる。
このような事は、明らかにおかしなことで、自動車専用道路の設置のために、地元民の従来からの利便性を犠牲にする事は筋違いである。
要するに、計画されている自動車専用道路は、無ければ無いで地元には何の支障も無いものだからだ。
次に、国道から自動車専用道路に進入する新設道路脇の水田耕作者にとっては、提示された計画案では今後の農作業に支障があると思われる。
従来は、市道宮添中線を利用していた耕作者の方々の水田だ。
進入道路は、国道からの擦り付けであるから、その標高も国道とほぼ同じような高さから、徐々に標高を高くしなければ、国道と鉄道の上部を通るような構造には出来ないはずだ。
その進入道路の交通量はかなりの量になる事が予測される。
提示された進入道路周辺の水田の耕作者が、その進入道路からそれぞれの水田に降りての農作業は、構造上無理である。
しかし、提示された計画図には、それらの水田耕作者のための道路の計画はされていなかった。
それを指摘すると、計画はしてあると答えた。
実際は計画していないのに、してあるとうそをいう。
役所の人達の、その場さえ何とか取り繕えば良いというような対応には辟易するが、後で困るのは、計画の実態を把握できていない、声なき関係耕作者の人たちである。
国道からの進入道路の脇に、従来からの市道宮添中線に相当するような道路を造るべきである。
市道宮添中線が、国道からの進入道路によってつぶれてしまうので、その代替道路を市道として新設すべきである。
計画図では、盛土方式による設計であり、高架方式にできないかとの問いかけに対して、費用がかかりすぎるからそれはできないという。
しかし、盛土方式にすれば、道路の横断面の裾野はかなり広がり、その分買収用地は広くなる。
結果として、用地買収費用もかさむし、法面の管理用道路の確保もしなければならなくなり、更に必要用地も広くなる。
また、未来永劫、法面と管理用道路の維持管理のための費用が必要となる。
高架方式にすれば、当面の費用はかさむだろうが、後々の維持管理費が安く抑えられるのではなかろうか。
一番重要な事は、該当区域は従来からの干拓によって造られてきた低平地であるから、急激な大雨の場合には排水不良となる地域であり、人工の堤防となるような盛土方式による大規模な構造物の築造は好ましくない。
要するに、従来は、自動車専用道路としてつぶれる区域に湛水していた水の行き場がなくなるために、その分の水は周辺の農地に分散して湛水することになり、大雨時における周辺農地への湛水水位が深くなる事につながる。
また、該当地区の水田の地盤は軟弱であり、盛土方式による大型構造物の築造による周辺水田への悪影響が懸念される。
日照の問題、地盤の変位の問題、大雨で湛水した場合の排水不良の可能性に関することなど、問題点が多く考えられる。
さらに、大規模な道路法面により、南北方向の視通が遮断され、地域の景観を大きく変えてしまう。
一方で、高架方式にした場合には、道路用地としての買収面積も最小限に抑える事が出来、南北方向の視通の遮断も少なく、土地利用の面からの優位性も確保できる。
先に、盛土方式にした場合での問題として掲げた日照の問題、地盤変位の問題は、最小限に抑えられ、大雨で湛水した場合の排水不良の可能性に関する問題も生じない。
高架下の国有地の有効利用の可能性も出てくる。
資材置き場や梱包した牧草置き場等として、有償で民間に貸し出すようにすれば、公的な収入を生み出すことにもなり、土地利用の面からも有益である。
特に、現在の国道より東側の計画区域に関しては、周辺に民家が存在しているので、総合的な見地からして、絶対に高架方式にすべきである。
高架方式の建設であれば、地元の建設業者の参入が難しいという考えもあるだろうが、大手建設業者からの技術移転の絶好の機会だと捉えて、その下請けとして地元業者が参入できるように計画機関で配慮すればよいのではなかろうか。
実務をこなさなければ、いつまでたっても地元業者の技術向上は望めない。
地元業者の育成も、行政機関の使命のひとつであろう。
重ねて言うが、地元が切望して造られる道路ではない。
地元が切望していたのは、一本松農道の国道までの接続だった。
それが、自動車専用道路の計画により、一本松農道の国道への接続は出来なくなった。
であるから、自動車専用道路建設により想定される地元民への弊害を払拭するような計画で無ければならない。
そうでなければ、計画自体に反対せざるを得ない。
同じ自動車専用道路の接続部である諫早市の小野地区周辺においては、あれほど民家が密集していた区域の用地交渉をまとめ上げており、莫大な公金が投入されているであろう事は想像に難くない。
その分を、愛野・森山地区で安く抑えようと計画されているのではないかとも思われるルート計画の様に私には思える。
国費の投入により建設される道路であるから、どこの地域に関しても同様の公金配分を配慮すべきである。
説明会において取り上げられていなかった重要な事がある。
環境影響調査に関する事が一切説明されなかった。
自動車専用道路の建設前と建設後における詳細な環境調査をする事は絶対に必要である。
排気ガス調査、騒音調査、建設後の日照に対する影響予測、排水に関する影響予測等、絶対に必要不可欠であり、それらの調査結果の公開と対策の提示は必ずしてもらわなくてはならない。
計画道路周辺の住民にとっては、建設後の毎日の生活の場であるから、その建設によって悪影響をこうむる可能性がある場合には、現在地からの移転などにも計画機関は配慮すべきである。
特に、インターチェンジぎりぎりに隣接する事になる民家に対する最大限の配慮が望まれる。
以上、色々述べたが、関係地権者のほとんどが自動車専用道路の建設計画には反対しないであろう事が想像できる。
現在の水田農業における国の施策は米作農家に対する配慮に欠けており、米価は下落しているために、農業後継者の数も激減している。
自分の代で農業を終わりにしようと考えておられる高齢農業者が多くなっている現状においては、公的な道路計画により、先祖から受け継いだ農地を手放す事には、大きな違和感は無いのではなかろうかと想像できる。
しかし、先祖から受け継いだ大切な財産を手放さなければならない人たちに対して、行政側は最大限の誠意を示すべきである。
ここでいう誠意とは、自動車専用道路が出来なくても、近い将来、宅地化されたであろうと考えられる水田所有者に対する用地買い取り価格を、宅地並みに設定する事を意味する。
諫早市の小野地区では、そのような配慮がなされたと聞いている。
自動車専用道路の建設計画は、冷え切っている地元の建設業者にとっては朗報であろうが、中央の大手企業がその仕事をやってしまうようでは何の意味も無い。
計画機関には、地元の建設業者が工事に参入できるような最大限の配慮を望みたい。
誤解の無いように述べておくが、自動車専用道路の計画区域内にも、その直近にも、私や私の親戚関係の土地は一切存在していないし、地元建設業の親戚や関係者もいない。
くれぐれも、地元民にとって、不具合が生じないように、再度計画の細部にわたり熟慮すべきだと思う。
豊田かずき
かなり熟慮したと思われる詳細設計案の提示がなされていた。
地元にとっては、どうしても必要な、地元が切望して造られる道路ではないという事を基本に考えて欲しい。
提示された計画案に対して、基本的に反対はしないが、計画機関には次のような事柄を、再度熟慮するように要望したい。
従来から、その地域に住んでいる住民が、日常生活に使っていた道路を、その計画道路の設置により分断する場合には、迂回道路を新設するようにすべきだ。
特に、市道宮添南線は、従来から、児童・生徒の通学道路として利用されていた道路であり、その道路が途中で分断されたならば、従来から地元民が享受していた利便性が損なわれる。
このような事は、明らかにおかしなことで、自動車専用道路の設置のために、地元民の従来からの利便性を犠牲にする事は筋違いである。
要するに、計画されている自動車専用道路は、無ければ無いで地元には何の支障も無いものだからだ。
次に、国道から自動車専用道路に進入する新設道路脇の水田耕作者にとっては、提示された計画案では今後の農作業に支障があると思われる。
従来は、市道宮添中線を利用していた耕作者の方々の水田だ。
進入道路は、国道からの擦り付けであるから、その標高も国道とほぼ同じような高さから、徐々に標高を高くしなければ、国道と鉄道の上部を通るような構造には出来ないはずだ。
その進入道路の交通量はかなりの量になる事が予測される。
提示された進入道路周辺の水田の耕作者が、その進入道路からそれぞれの水田に降りての農作業は、構造上無理である。
しかし、提示された計画図には、それらの水田耕作者のための道路の計画はされていなかった。
それを指摘すると、計画はしてあると答えた。
実際は計画していないのに、してあるとうそをいう。
役所の人達の、その場さえ何とか取り繕えば良いというような対応には辟易するが、後で困るのは、計画の実態を把握できていない、声なき関係耕作者の人たちである。
国道からの進入道路の脇に、従来からの市道宮添中線に相当するような道路を造るべきである。
市道宮添中線が、国道からの進入道路によってつぶれてしまうので、その代替道路を市道として新設すべきである。
計画図では、盛土方式による設計であり、高架方式にできないかとの問いかけに対して、費用がかかりすぎるからそれはできないという。
しかし、盛土方式にすれば、道路の横断面の裾野はかなり広がり、その分買収用地は広くなる。
結果として、用地買収費用もかさむし、法面の管理用道路の確保もしなければならなくなり、更に必要用地も広くなる。
また、未来永劫、法面と管理用道路の維持管理のための費用が必要となる。
高架方式にすれば、当面の費用はかさむだろうが、後々の維持管理費が安く抑えられるのではなかろうか。
一番重要な事は、該当区域は従来からの干拓によって造られてきた低平地であるから、急激な大雨の場合には排水不良となる地域であり、人工の堤防となるような盛土方式による大規模な構造物の築造は好ましくない。
要するに、従来は、自動車専用道路としてつぶれる区域に湛水していた水の行き場がなくなるために、その分の水は周辺の農地に分散して湛水することになり、大雨時における周辺農地への湛水水位が深くなる事につながる。
また、該当地区の水田の地盤は軟弱であり、盛土方式による大型構造物の築造による周辺水田への悪影響が懸念される。
日照の問題、地盤の変位の問題、大雨で湛水した場合の排水不良の可能性に関することなど、問題点が多く考えられる。
さらに、大規模な道路法面により、南北方向の視通が遮断され、地域の景観を大きく変えてしまう。
一方で、高架方式にした場合には、道路用地としての買収面積も最小限に抑える事が出来、南北方向の視通の遮断も少なく、土地利用の面からの優位性も確保できる。
先に、盛土方式にした場合での問題として掲げた日照の問題、地盤変位の問題は、最小限に抑えられ、大雨で湛水した場合の排水不良の可能性に関する問題も生じない。
高架下の国有地の有効利用の可能性も出てくる。
資材置き場や梱包した牧草置き場等として、有償で民間に貸し出すようにすれば、公的な収入を生み出すことにもなり、土地利用の面からも有益である。
特に、現在の国道より東側の計画区域に関しては、周辺に民家が存在しているので、総合的な見地からして、絶対に高架方式にすべきである。
高架方式の建設であれば、地元の建設業者の参入が難しいという考えもあるだろうが、大手建設業者からの技術移転の絶好の機会だと捉えて、その下請けとして地元業者が参入できるように計画機関で配慮すればよいのではなかろうか。
実務をこなさなければ、いつまでたっても地元業者の技術向上は望めない。
地元業者の育成も、行政機関の使命のひとつであろう。
重ねて言うが、地元が切望して造られる道路ではない。
地元が切望していたのは、一本松農道の国道までの接続だった。
それが、自動車専用道路の計画により、一本松農道の国道への接続は出来なくなった。
であるから、自動車専用道路建設により想定される地元民への弊害を払拭するような計画で無ければならない。
そうでなければ、計画自体に反対せざるを得ない。
同じ自動車専用道路の接続部である諫早市の小野地区周辺においては、あれほど民家が密集していた区域の用地交渉をまとめ上げており、莫大な公金が投入されているであろう事は想像に難くない。
その分を、愛野・森山地区で安く抑えようと計画されているのではないかとも思われるルート計画の様に私には思える。
国費の投入により建設される道路であるから、どこの地域に関しても同様の公金配分を配慮すべきである。
説明会において取り上げられていなかった重要な事がある。
環境影響調査に関する事が一切説明されなかった。
自動車専用道路の建設前と建設後における詳細な環境調査をする事は絶対に必要である。
排気ガス調査、騒音調査、建設後の日照に対する影響予測、排水に関する影響予測等、絶対に必要不可欠であり、それらの調査結果の公開と対策の提示は必ずしてもらわなくてはならない。
計画道路周辺の住民にとっては、建設後の毎日の生活の場であるから、その建設によって悪影響をこうむる可能性がある場合には、現在地からの移転などにも計画機関は配慮すべきである。
特に、インターチェンジぎりぎりに隣接する事になる民家に対する最大限の配慮が望まれる。
以上、色々述べたが、関係地権者のほとんどが自動車専用道路の建設計画には反対しないであろう事が想像できる。
現在の水田農業における国の施策は米作農家に対する配慮に欠けており、米価は下落しているために、農業後継者の数も激減している。
自分の代で農業を終わりにしようと考えておられる高齢農業者が多くなっている現状においては、公的な道路計画により、先祖から受け継いだ農地を手放す事には、大きな違和感は無いのではなかろうかと想像できる。
しかし、先祖から受け継いだ大切な財産を手放さなければならない人たちに対して、行政側は最大限の誠意を示すべきである。
ここでいう誠意とは、自動車専用道路が出来なくても、近い将来、宅地化されたであろうと考えられる水田所有者に対する用地買い取り価格を、宅地並みに設定する事を意味する。
諫早市の小野地区では、そのような配慮がなされたと聞いている。
自動車専用道路の建設計画は、冷え切っている地元の建設業者にとっては朗報であろうが、中央の大手企業がその仕事をやってしまうようでは何の意味も無い。
計画機関には、地元の建設業者が工事に参入できるような最大限の配慮を望みたい。
誤解の無いように述べておくが、自動車専用道路の計画区域内にも、その直近にも、私や私の親戚関係の土地は一切存在していないし、地元建設業の親戚や関係者もいない。
くれぐれも、地元民にとって、不具合が生じないように、再度計画の細部にわたり熟慮すべきだと思う。
豊田かずき