日々雑感「点ノ記」

備忘録(心の軌跡)

説明会

2007年11月11日 | インポート
11月9日に、愛野町付近を通過する自動車専用道路計画に関する2回目の説明会が、愛野町の中央公民館で開かれた。

かなり熟慮したと思われる詳細設計案の提示がなされていた。

地元にとっては、どうしても必要な、地元が切望して造られる道路ではないという事を基本に考えて欲しい。

提示された計画案に対して、基本的に反対はしないが、計画機関には次のような事柄を、再度熟慮するように要望したい。

従来から、その地域に住んでいる住民が、日常生活に使っていた道路を、その計画道路の設置により分断する場合には、迂回道路を新設するようにすべきだ。

特に、市道宮添南線は、従来から、児童・生徒の通学道路として利用されていた道路であり、その道路が途中で分断されたならば、従来から地元民が享受していた利便性が損なわれる。

このような事は、明らかにおかしなことで、自動車専用道路の設置のために、地元民の従来からの利便性を犠牲にする事は筋違いである。

要するに、計画されている自動車専用道路は、無ければ無いで地元には何の支障も無いものだからだ。

次に、国道から自動車専用道路に進入する新設道路脇の水田耕作者にとっては、提示された計画案では今後の農作業に支障があると思われる。
従来は、市道宮添中線を利用していた耕作者の方々の水田だ。

進入道路は、国道からの擦り付けであるから、その標高も国道とほぼ同じような高さから、徐々に標高を高くしなければ、国道と鉄道の上部を通るような構造には出来ないはずだ。

その進入道路の交通量はかなりの量になる事が予測される。

提示された進入道路周辺の水田の耕作者が、その進入道路からそれぞれの水田に降りての農作業は、構造上無理である。

しかし、提示された計画図には、それらの水田耕作者のための道路の計画はされていなかった。

それを指摘すると、計画はしてあると答えた。

実際は計画していないのに、してあるとうそをいう。

役所の人達の、その場さえ何とか取り繕えば良いというような対応には辟易するが、後で困るのは、計画の実態を把握できていない、声なき関係耕作者の人たちである。

国道からの進入道路の脇に、従来からの市道宮添中線に相当するような道路を造るべきである。

市道宮添中線が、国道からの進入道路によってつぶれてしまうので、その代替道路を市道として新設すべきである。

計画図では、盛土方式による設計であり、高架方式にできないかとの問いかけに対して、費用がかかりすぎるからそれはできないという。

しかし、盛土方式にすれば、道路の横断面の裾野はかなり広がり、その分買収用地は広くなる。

結果として、用地買収費用もかさむし、法面の管理用道路の確保もしなければならなくなり、更に必要用地も広くなる。

また、未来永劫、法面と管理用道路の維持管理のための費用が必要となる。

高架方式にすれば、当面の費用はかさむだろうが、後々の維持管理費が安く抑えられるのではなかろうか。

一番重要な事は、該当区域は従来からの干拓によって造られてきた低平地であるから、急激な大雨の場合には排水不良となる地域であり、人工の堤防となるような盛土方式による大規模な構造物の築造は好ましくない。

要するに、従来は、自動車専用道路としてつぶれる区域に湛水していた水の行き場がなくなるために、その分の水は周辺の農地に分散して湛水することになり、大雨時における周辺農地への湛水水位が深くなる事につながる。

また、該当地区の水田の地盤は軟弱であり、盛土方式による大型構造物の築造による周辺水田への悪影響が懸念される。

日照の問題、地盤の変位の問題、大雨で湛水した場合の排水不良の可能性に関することなど、問題点が多く考えられる。

さらに、大規模な道路法面により、南北方向の視通が遮断され、地域の景観を大きく変えてしまう。

一方で、高架方式にした場合には、道路用地としての買収面積も最小限に抑える事が出来、南北方向の視通の遮断も少なく、土地利用の面からの優位性も確保できる。

先に、盛土方式にした場合での問題として掲げた日照の問題、地盤変位の問題は、最小限に抑えられ、大雨で湛水した場合の排水不良の可能性に関する問題も生じない。

高架下の国有地の有効利用の可能性も出てくる。

資材置き場や梱包した牧草置き場等として、有償で民間に貸し出すようにすれば、公的な収入を生み出すことにもなり、土地利用の面からも有益である。

特に、現在の国道より東側の計画区域に関しては、周辺に民家が存在しているので、総合的な見地からして、絶対に高架方式にすべきである。

高架方式の建設であれば、地元の建設業者の参入が難しいという考えもあるだろうが、大手建設業者からの技術移転の絶好の機会だと捉えて、その下請けとして地元業者が参入できるように計画機関で配慮すればよいのではなかろうか。

実務をこなさなければ、いつまでたっても地元業者の技術向上は望めない。

地元業者の育成も、行政機関の使命のひとつであろう。



重ねて言うが、地元が切望して造られる道路ではない。

地元が切望していたのは、一本松農道の国道までの接続だった。

それが、自動車専用道路の計画により、一本松農道の国道への接続は出来なくなった。

であるから、自動車専用道路建設により想定される地元民への弊害を払拭するような計画で無ければならない。

そうでなければ、計画自体に反対せざるを得ない。

同じ自動車専用道路の接続部である諫早市の小野地区周辺においては、あれほど民家が密集していた区域の用地交渉をまとめ上げており、莫大な公金が投入されているであろう事は想像に難くない。

その分を、愛野・森山地区で安く抑えようと計画されているのではないかとも思われるルート計画の様に私には思える。

国費の投入により建設される道路であるから、どこの地域に関しても同様の公金配分を配慮すべきである。

説明会において取り上げられていなかった重要な事がある。

環境影響調査に関する事が一切説明されなかった。

自動車専用道路の建設前と建設後における詳細な環境調査をする事は絶対に必要である。

排気ガス調査、騒音調査、建設後の日照に対する影響予測、排水に関する影響予測等、絶対に必要不可欠であり、それらの調査結果の公開と対策の提示は必ずしてもらわなくてはならない。

計画道路周辺の住民にとっては、建設後の毎日の生活の場であるから、その建設によって悪影響をこうむる可能性がある場合には、現在地からの移転などにも計画機関は配慮すべきである。

特に、インターチェンジぎりぎりに隣接する事になる民家に対する最大限の配慮が望まれる。


以上、色々述べたが、関係地権者のほとんどが自動車専用道路の建設計画には反対しないであろう事が想像できる。

現在の水田農業における国の施策は米作農家に対する配慮に欠けており、米価は下落しているために、農業後継者の数も激減している。

自分の代で農業を終わりにしようと考えておられる高齢農業者が多くなっている現状においては、公的な道路計画により、先祖から受け継いだ農地を手放す事には、大きな違和感は無いのではなかろうかと想像できる。

しかし、先祖から受け継いだ大切な財産を手放さなければならない人たちに対して、行政側は最大限の誠意を示すべきである。

ここでいう誠意とは、自動車専用道路が出来なくても、近い将来、宅地化されたであろうと考えられる水田所有者に対する用地買い取り価格を、宅地並みに設定する事を意味する。

諫早市の小野地区では、そのような配慮がなされたと聞いている。

自動車専用道路の建設計画は、冷え切っている地元の建設業者にとっては朗報であろうが、中央の大手企業がその仕事をやってしまうようでは何の意味も無い。

計画機関には、地元の建設業者が工事に参入できるような最大限の配慮を望みたい。

誤解の無いように述べておくが、自動車専用道路の計画区域内にも、その直近にも、私や私の親戚関係の土地は一切存在していないし、地元建設業の親戚や関係者もいない。


くれぐれも、地元民にとって、不具合が生じないように、再度計画の細部にわたり熟慮すべきだと思う。


豊田かずき



ちょうりゃく(諜略)

2007年11月06日 | インポート
NHKのドラマ「風林火山」で、「ちょうりゃく」という言葉が出てくる。

敵方の一部を翻意させて、自軍に有利となるような働きかけを、秘密裏に遂行する事を意味している。

要するに、裏切らせるための働きかけだ。

漢字で書くとどのような字なのかを辞書で調べたが、所有している漢和辞典にも国語辞典にも載っていなかった。

おそらく諜報活動の「諜」と、計略の「略」で「諜略」だろうと思うが、正しいかどうかは分からない。


民主党の小沢一郎代表が、当初は拒絶していた「党首会談」に2回も出向いた。

自民党との大連立構想を打診され、党に持ち帰って相談したら党から拒絶されて、代表辞任の意向を示した。

先の参議院議員選挙で国民が示した民意は、自民党に対する拒否の意思表示だったはずで、自民党と民主党の大連立を望む声ではなかったと思う。

小沢代表が当初示していたように、密室での話し合いである党首会談を拒否する姿勢を貫いておれば、今のような事態にはなっていない。

それぞれの主張は、国民が見ている国会で行なうべきで、二人だけの密室で話し合う事は、談合と捉えられても仕方が無い。

代表辞任に関する一連のニュースが流れた時に、「ちょうりゃく」という言葉を思った。

密室での党首会談に小沢代表が出向くように仕向けた事は、自民党の「ちょうりゃく」の一環であろうが、それに乗ってしまった民主党の脇の甘さが露呈した。

結果として、自民党の「ちょうりゃく」は成功したことになろう。

自民党のしたたかさを思い知らされた出来事だ。

密室での「ちょうりゃく」で国民のための政治を右往左往させるようでは、話にならない。

公開の場で、きちんと議論すべきだ。


豊田かずき



「堤防道路」が年内開通へ

2007年11月03日 | インポート
以下は、毎日新聞10月23日の記事より、記録のために残す。

諫早湾干拓事業(諌干)で、潮受け堤防の上を走る農道「堤防道路」が年内にも開通の見通しとなった。

諫早市高来町と雲仙市吾妻町を南北に結ぶ約8.2キロ。

佐賀と島原を結ぶ観光浮揚効果も期待されている。

堤防道路は、県が総事業費33億円をかけて整備を進めており、高来町の207号と吾妻町の251号を潮受け堤防で結ぶ。

高来町から吾妻町まで現在の40分から、約10分に短縮される。

1日の走行台数は4200台を見込む。

この農道と吾妻地区を、渋滞対策で国道の上を高架でまたぐ取り付け道路を着工予定だが、用地買収を進めている段階。

そのため、完成の見通しが遅れているため、県は暫定的に国道に接する工事用道路を使って開通することにした。

以上、毎日新聞の記事より。



諫早湾干拓事業が完工するということで、それに合わせての「堤防道路」の開通予定だろう。

以前より、工事用道路を使っての「堤防道路」の早期開通を望む声が地元から出ていたが、「鉄道と国道の間の距離が短かすぎるので、それは出来ない」という主張を県はしていたと記憶している。

暫定的とはいえ、工事用道路を使っての堤防道路が供用開始となる事は喜ばしい事だ。

莫大な公金を使って、高架式の取り付け道路を無理して造らなくとも、工事用道路を使っての堤防道路の供用開始ができるのであれば、いっそ永久に暫定的のままでも良いのではなかろうか。

島原鉄道の客車は、朝夕の通勤・通学時間帯を除けば、1時間に1本ぐらいしか通らないので、工事用道路の踏み切りの遮断機が下りている時間はわずかしかない。
だから、踏み切り付近の交通渋滞は少ないと予測できる。

莫大な公金を投入して造られた諫早湾干拓とその潮受け堤防上の道路だから、近いうちに有効利用される事になった事は、当然の事ではあるが喜ばしい。

春先になれば、高来町まで通う事が多くなる。
趣味の「ヤマメ釣り」のために、「轟の滝」がある境川まで出かける。

今までは、釣りをする現場まで50分近くかかっていたが、来年の春からは半分ぐらいの時間で到着できることになる。

春が楽しみだ。


豊田かずき



支援

2007年11月01日 | インポート
アフガニスタンで、民間人として支援活動をしている中村哲さんが、テレビで言っておられた。

アフガニスタンでは、地球温暖化や諸般の状況により、砂漠化が進行している。

そこに住んでいる人たちにとっては、その事が一番の脅威であると。

タリバンやアルカイダは国粋主義者の集団であり、彼らが統治していた時は、ケシの栽培を撲滅していたとのこと。

彼らは、ボランティアで支援活動をしている自分たち(中村さんたち)を攻撃したことはないが、アメリカ軍のヘリコプターからは自分たち(中村さんたち)は、機銃掃射を受けた事があると。


医師である中村哲さんは、アフガニスタンに診療所や学校を造り、さらに独学で土木工学を修得して、砂漠化した土地に水路を引き、農作物が生産できるようにする活動をしているそうだ。

その資金は、寄付により賄っているという。

用水路の建設は、極力、手作業で行なえる作業形態を選択し、石を手で扱う事に熟練している地元の人たちを作業員として雇い入れて、日当を払うようにしているということだった。

朝、大型トラックの荷台に地元の人たちを乗せて作業現場まで運び、夕方に作業が終わると日当の240円を渡してから、大型トラックの荷台に乗せて帰路についていた。


私は、中村哲さんが行なっているこのような活動こそが、アフガニスタンに対する本当の支援活動だと思う。

アフガニスタンの人たちが、その地で生活するには、主たる産業である農業が営めるような農地を再生する必要がある。

砂漠化が進む元の農地に、大河から用水路を引き、農作物を育てて収穫できるようにすれば、人々はその地で生活する事が出来るようになる。

難民になって、近隣の国に逃れなくてもよくなる。

用水路を造る事は、地元の人達の雇用を創出し、日々の生活を支える貴重な現金収入源となる。

日本でのタバコ1箱分のお金があれば、彼らの日々の生活の大きな支えになる。

そのような現地を熟知し、現地に根ざした支援を、一人の民間の日本人が実行している。

その人の行動は、現地の人々から絶大な信頼を得て感謝をされている。


一方で、自衛隊の海上給油活動はどうだろうか。

国際貢献として、関係諸国から感謝されているという。

外国の艦船に、ただで燃料の油等を補給するのだから、感謝しない国があろうはずもない。

海上自衛隊の艦船派遣に関する費用はどのくらいかかっているのだろうか。

派遣艦船に乗り組んでいる自衛隊員の、危険手当や出張手当のようなものも安い金額ではあるまい。

全て、税金からの支出になる。

そして、給油を受けた艦船から飛び立った艦載機が、アフガニスタンの国内で爆撃を行なえば、アフガニスタンの国土を破壊していることになる。

日本の自衛隊艦船からの給油が、間接的にアフガニスタンの国土の破壊活動につながっているのではなかろうか。

現地の事情に詳しい中村哲さんは、タリバンやアルカイダは国粋主義者の集団であり、ボランティアで活動をしている自分たちに危害を加える事は無かったと言っている。

アメリカを中心とする情報によれば、タリバンやアルカイダはテロリストの集団であると決め付けている。
そして、私たちもそれを信じ込まされているように思う。

私は、現地で実際に活動している中村哲さんの主張を信用する。

アメリカにとっては、タリバンやアルカイダはテロリストの集団であるとしておく事が、自国の戦争行為を正当化できるのだろう。


自衛隊艦船のインド洋での補給活動を、最も安全で安上がりな国際貢献と主張する人もいるが、果たして、肝心のアフガニスタンの庶民にとっての貢献はしているのだろうか。

破壊の元凶となっているのではなかろうか。

アフガニスタンの国民が本当に望んでいる事は、自衛隊が行なっているような破壊につながる可能性のある支援ではなく、中村哲さんが行なっているような創造のための支援ではなかろうか。

今、アメリカ主導で行なわれていることは、アフガニスタンにアメリカの傀儡政権を造ろうとしているだけの様に思える。

国際貢献という美名の下に、どれだけの油がどの企業からいくらで納入されているのか、自衛隊の機密保持という名目で、情報が公開されない。

とんでもない事務次官が、防衛省がらみの利権構造の一翼を担っていた可能性も出てきた。

日本国の一大事であり、赤福餅や御福餅の日付偽装問題どころではないはずだ。

「記憶にございません」というフレーズは、ずいぶん以前の、日本国の重大事件の時にも聞いた事がある。

都合の悪い事は「記憶にございません」で済まそうとしている。

狡猾すぎる。


海上補給活動のために、職務命令で行動している自衛隊員を批判するつもりは全く無いが、それを動かしている一部の政治組織と官僚には疑念を抱いている。

自衛隊という大きなお金が必要な、本来は国防のための組織を使わずとも、そのようなお金の一部を、中村哲さんがやっておられるような、地に足の着いた本物の支援活動に使う事を模索すべき時期ではなかろうか。

破壊のための支援より、創造のための支援を選択すべきだ。


豊田かずき