日々雑感「点ノ記」

備忘録(心の軌跡)

国旗と国歌に関する裁判に思う

2006年09月22日 | インポート
「国旗・国歌強制は違憲」という判断を、東京地裁がした。

小泉首相は、「法律以前の問題だ」という言い方で、その結果を批判した。

私は小泉政権が強行した郵政民営化は、とんでもない改悪だと思うので小泉首相を好きではないが、このコメントには同調できる。

国旗や国歌というと、すぐに軍国主義と結び付けたがる人たちが居るが、それは短絡的過ぎると思う。

国旗掲揚時の起立と国歌の斉唱は強制されるべきものではないという考え方では、今回の裁判で勝訴した人たちと同じであるが、その考え方の根本が違う。

式典における国旗掲揚時の起立と国歌の斉唱は、強制されるべきものではなく、国家の一員としての作法として、自然に身についていて然るべきものであるというのが私の認識だ。

強制されていると思う認識そのものが間違っていると私は思う。

子どもたちに社会人としてのあり方を教える立場にある公教育の場の教職員が、そのような作法も守れず、その無作法に対する処分に対して裁判を起こし、「勝った。」と言って喜んでいる姿を見ると、哀れにすら思えてしまう。

公教育の場の教員という職業を選択した時点で、その服務規程等を遵守すべき事は承知していて当然のことである。

国家やそれに類する組織から給料を貰っている人たちが、その国家の象徴的なものである国旗や国歌に対して敬意を表す事は、義務ですらあると私は思う。

そのような事ができないような人たちは、最初からそのような組織の職員になるべきではない。

上告して、そのおかしな判決が覆される事を切望している。

豊田かずき



命日

2006年09月12日 | インポート
父が死んでから21年が過ぎた。
今日が、その21回目の命日になる。

私の息子が生まれて1ヵ月ぐらい経った時に、当時大阪で暮らしていた私たちのもとに母から電話があった。

父が入院して、あまりよくない病気のようだとの内容だったので、生まれて間もない息子も飛行機に乗せて、家族5人で急いで愛野に帰った。

まだ生まれたばかりの息子の顔を、父母には見せていなかったので、見せておかねばとも思ったし、父の病状次第では自分の生き方も軌道修正をしなければならないかもしれないという思いを抱きながらの帰郷だった。

父は、2週間の闘病生活で、あっけなくその59年間の人生を閉じてしまった。

解剖の結果、肺がんから肝臓などに転移したものだったそうだ。

葬式を済ませ、それから半年後には、ふるさと愛野町に引っ越してきて、少し生き方を軌道修正した生活を始めていた。

サラリーマンを辞めて自営業を始め、子育ても自然が豊かなふるさとですることができた。

21年前に、父の他界という事実が無ければ、今もどこか他の場所で暮らしていたかもしれない。

貧乏とは常にお友達のような生活ではあるが、ふるさとに帰ってきて生活ができている事を父に感謝している。

今年も、父が好きだった真っ赤な芙蓉の花が一輪、庭先で開いている。


豊田かずき


ひとり生むと305万円

2006年09月08日 | インポート
皇位継承者順位第3位の男子の誕生を、昨日の新聞やテレビは大きく取り上げていた。

その新聞記事の片隅に、以下のような記事があった。

「皇室経済法に基づき、お子様の生計費(皇族費)として、国から秋篠宮さまの10分の1に当る年間305万円が支給される。」

以上、毎日新聞の記事より抜粋。

この記事から読み取れる事は、秋篠宮さまは国から毎年3,050万円の皇族費を支給されていて、今回誕生された男子には、今後毎年305万円の皇族費が国から支給されるという事になる。

一年間働いても、年収が305万円にも満たない私から見れば本当に羨ましい。

私のような庶民の感覚からすれば、親の年収が3,050万円もあれば超高給取りで、その収入だけでも充分に子どもの養育費は賄えるように思う。

養育費が大変だから子どもの数を制限するという事なども考えなくて良いような年収額だと思う。

一般国民に対しても、ひとり生むと305万円の養育費が国から支給されるのであれば(その金額だけでも我が家は生活できる)、少子高齢化社会など訪れるはずも無いと思うが、その前に国家が破綻してしまう。

国民から集めた税金が、庶民感覚とは程遠い感覚で使われている別世界が現存している。


豊田かずき