日々雑感「点ノ記」

備忘録(心の軌跡)

自分の家で平凡に暮らす事が出来る幸せ

2011年04月05日 | インポート
朝、目が覚めると外は明るくなっていて、カーテンを開ける。

トイレや歯磨き、洗顔と、普通に水道の水を使い、妻がプロパンガスや水道の水を使って、冷蔵庫などに保存していた食材で作った朝食をいただく。

テレビのリモコンのスイッチを押すと東日本大震災のニュースを報じている。

大津波で家族を失った人、家や財産をを失った人、避難所で暮らしている人などの映像を見ると、今自分が自分の家で平凡に暮らす事が出来ている事を幸せに思う。

ただ、このような幸せも長続きはしないのではないかと思う。

今世紀の中頃までには、確実に東日本大地震と同等レベルの大地震が、私たちが住んでいる西日本地域にも起こるということが、過去の統計データにより予測されている。

大地震や大津波によって、既存の原子力発電所が被害を受ければ、私たちは死の灰の恐怖に怯える事になり、数年後あるいは数十年後には特殊な病気による死の恐怖と対峙しなければならなくなる。

今、福島県の原子力発電所で進行している現実は、日本中のどこの地域でも起こりうる。

放射能で汚染された水を、海に放出しているという。

海は広いから、放射能は拡散して希釈され海洋生物への影響は少なく、それを食しても人間の体には悪影響を及ぼさないのだそうだ。

笑ってしまう。

いよいよ来る所まで来て、苦し紛れの言い訳を重ねてきた人たちの保身的な言葉には、ただただ呆れ返るしかない。

計画停電などと称して、原子力発電所が無ければ国民生活が成り立ちませんよという洗脳を既に始めていることにどれだけの国民が気付いているのだろうか。

良識ある知識人が言っている。

明治時代に38メートルの高さの大津波の記録があり、今回の大津波を想定外の未曾有の事態とするマスコミや電力会社、政治家等の表現は間違っていると。

私も思う。充分に想定すべき事象であったと。

制御が出来ない原子力発電所の、現実に進行している状況も恐怖ではあるが、使用済み核燃料を大量に保管していて、その処理も全然出来ていない青森県の六ヶ所村に関しても、良識ある知識人は指摘している。

そこが大地震に遭遇したならば、日本どころか地球規模の被害が生じるのだと。

放射能汚染水を海洋に放出せざるを得ない状況になるほど事態は逼迫している。

日本の政治の決断が、近隣の諸外国から容認されるはずがない。

ボタンを押すことで何でも制御できると勘違いしている、自称エリート集団の人たちでは、水漏れ1つ止める事は出来ない。

というよりも稼動状況を監視する事が任務の人たちが、任務を放棄していち早く福島県庁に避難していたそうな。

このことからしても、福島県の第一原子力発電所が末期的状態であることは疑いようがない。

逃げる事が出来る人は、なるべく早く事故現場から遠くへ逃げた方が良い。

戦中の大本営発表と似たような情報操作には騙されないようにした方が、自らの身の安全に繋がるように思う。

自分の家で平凡に暮らすことができる幸せを、政治の無策によって壊されたくはない。


豊田かずき