日々雑感「点ノ記」

備忘録(心の軌跡)

涸飢(こき)

2008年04月30日 | インポート
本日の毎日新聞4コマ漫画「アサッテ君」より。


1コマ目
 60歳→還暦
 70歳→古希
 77歳→喜寿
 88歳→米寿


2コマ目
 おじいさんが「古希と喜寿の間にもう一つ加えろ!」


3コマ目
 おばあさんが「何ていうのを?」


4コマ目
 おじいさんが「75歳→涸飢(こき)」





以上が、本日の東海林さだおさんの4コマ漫画の内容。


日本人は、75歳になれば後期高齢者医療保険制度の下で、「涸れて飢えなければならない」運命なのかという、作者の痛烈な批判のメッセージが読み取れる。

ほんの一部の既得権益者の組織等のために税金を無駄に使うことはやめようともせずに、高齢者や私たち庶民を大切にできないような政治家や官僚は、日本には要らない。

豊田かずき



勝てば民意、負ければ民意では無い?

2008年04月29日 | インポート
山口県の国会議員補欠選挙で、民主党の平岡氏が当選した。

開票が始まった直後の午後8時を数分も過ぎないうちに、平岡氏の当選確実の速報がテレビに表示されていた。

選挙のたびに、当選確実のテレビでの速報の表示が早過ぎるのではないかと思うのだが、その表示が外れる事は無いようだ。

その分析精度の高さには感心してしまう。


当たり前の事ではあるが、選挙とは民意を問うための一番分かりやすい方法であるはずなのに、その選挙に負けた時には「これが国民の民意だとは思わない」と主張する政党が我が国にはあるようだ。

選挙に勝った時には「これが国民の民意だから」と言って、数の力に物言わせて強行採決を連発するようだが、そのような強行採決を可能にするような権限を与える選択をしたのもまた民意である。

その結果、後期高齢者医療保険制度などという形となって自分たちに戻ってくる事になるのだという事を強く認識した結果が今回の選挙結果に現れたものだろうと思う。

にもかかわらず、明日には道路特定財源とするためのガソリンの暫定税率を復活させる事を衆議院で強行採決しようとしている。

報道によれば、国民の70パーセントの人たちが、その暫定税率の復活には反対しているというのに、その事も無視して強行に推し進めようとしている。

正確な「当選確実」の速報を出せるような報道機関が調査した、「70パーセント」という数字であるからその信頼度は高い。

そのような民意を無視して、国民から選ばれたわずか三百数十人の賛意によって、私たち庶民に負担を強いるような事を決めようとしている。

与党が表明している道路特定財源の一般財源化の文言を読むと、本質的な具体策は先送りにし、とりあえずは民意を承ったふりをして、この場をしのごうとしている事がありありと伝わってくる。

本日の毎日新聞の記事によれば、与党の数の力の一翼を担っている公明党の地方組織からは、「いつまで自民党に利用されているつもりだ」との声が上がっているそうだ。


後期高齢者医療保険制度では、今までは扶養家族になっていた75歳以上の人たちも、それから切り離されて、個別にその医療保険制度に加入させられる事になっている。

要するに、特別な場合を除いて、各人が受給している年金から天引きされることになる。

長崎県広域連合管轄下における後期高齢者医療保険制度では、今まで被扶養者だった75歳以上の人たちに対しては、以下のような巧妙(姑息)な手順を踏んで、徐々に慣らしていこうという魂胆のようだ。

・ とりあえず今月から今年の9月までの6ヶ月間は、保険料の負担額は無し。

・ 平成20年10月から平成21年3月までの6ヶ月間は、保険料の負担額2,120円。
(平成22年4月以降の均等割年額42,400円の10パーセントの半年分)

・ 平成21年4月から平成22年3月までの6ヶ月間は、保険料の負担額21,200円。
(平成22年4月以降の均等割年額42,400円の50パーセントの半年分)

・ 平成22年4月以降は、均等割年額42,400円と、所得割額のある人はその額も保険料に加算される。
所得割額=(総所得-33万円)×7.8%


以上が徐々に慣らしていこうという手順の内容のようだが、2年後には保険料の見直しで、更に高額を天引きされることになるだろう。


老後も、恵まれた年金制度の下で、潤沢な生活資金がある人たちに医療保険の負担をして頂く事には異議を唱えるつもりは無い。

しかし、わずかばかりの年金しか貰っていない人たちにまで負担を強いるのはおかしい。

今までの日本では、いろいろな事柄において「順送り」の精神で、年をとったら若い世代が面倒を見るということを醸成して来たが、今回の後期高齢者医療保険制度はそれに逆行するような悪しき制度だと私は思う。


今年80歳になる母は、今までは私の扶養家族だったが、医療保険制度の上では今後そうではなくなる。


4月の国民年金の振込み日に、通帳からお金をおろして帰ってきた母は「私の後期高齢者医療保険料は引かれてなかった」と言っていた。

それもそのはずで、半年間は特別措置として、上記のような緩和措置を講じているために数字として出てこない仕組みになっている。

その仕組みを説明して、おかしいと思うならば選挙の時の一票でその思いを表すしかないと私が言ったら「そうね」とうなずいた。

田舎で農業をしていた人だから、おそらく今までは自民党の絶対的な支持者であったはずの母だが、次からは違うだろう。


豊田かずき



秀逸な見識

2008年04月15日 | インポート
以下は、毎日新聞の長崎地域版のページの「島じま」という記事より。


 気が早いが、3期目の折り返しに来た金子原二郎知事が4選をどうするかの憶測を呼んでいる。

県政界で浮上しているのは、
・4選出馬
・今期限りで引退
・次期参院選への転向
の3パターンだ。

 中でも、参院選転向説がにわかに注目を集めている。

13日の自民党県連大会。知事は自民支持の旗幟(きし)を鮮明にし、「県選出の(自民党)参院議員がいないのはさびしい」とも発言。

石木ダムや県庁移転問題の今期中の解決に意欲を示しており、「転向前に県政の懸案を片付けるつもりでは」との見方もある。

 知事選、参院選はどちらも2年後で同じ全県区選挙。
両にらみの準備が可能だ。
ただ政治は一寸先が闇。

知事は自民にラブコールを送っているようにも見えるが、参院選まで現政党の枠組みが残っているかは分からない。

以上、毎日新聞の記事より。


最後の1行は、秀逸な見識だと思い、ここに紹介した。


豊田かずき



妥当な判断

2008年04月09日 | インポート
民主党の役員会では、福田首相が指名している日銀の副総裁人事案に対して、拒否する事に決したという。

妥当な判断だと私は思う。

国家公務員の天下りという、既得権益的に構築されてしまった仕組みを、根本から変えるには、今回の日銀副総裁人事案は、拒否してしかるべきだ。

無くても良いような、税金を食い物にしているような無駄な組織を数多く作り、公務員の天下り先として存在させ、膨大な国費を食いつぶしているような構造を無くせば、私たち庶民に消費税の増額を強要しなくとも、財源は確保できるはずだ。

そのための断固とした方針を明示するという意味においても、財務省の上級役人経験者の椅子のようになっていた日銀総裁・副総裁を、それ以外の人から選ぶということを、まず実行すべきだ。

民主党の中には、党の役員会で決した今回の日銀副総裁人事案の拒否に対して、肯定しない考えの人たちもいるようだが、本当に国家の将来を思い、その悪しき構造を改善しようと思うならば、本会議でも党一丸となって拒否すべきだと私は思う。

福田首相と小沢代表の党首討論を見たが、物静かに、とつとつと話している小沢代表の考え方の方が正論に感じた。

閣議決定もしていないような、道路特定財源の来年度からの一般財源化など、信用する事はできない。

来年からできる事ならば、今年度の途中からでも実行しようと思えばできるはずだ。

民主党の主張は、全国民から集めた税金の分配権のほとんどを、中央が握ってしまっている仕組み自体の不合理さを変えるべきだと、小沢代表の党首討論の話から理解した。

本来の税率に戻って安くなったガソリン代を、衆議院の2/3以上の数の力で、与党が元の暫定税率に戻すとすれば、国民はどのような選択をするのか、一度試してみればよい。

きっと、妥当な判断をするはずだ。


豊田かずき


光西寺住職継職法要

2008年04月06日 | インポート
愛野町の光西寺住職継職法要が、4月4日と5日の2日間にわたり執り行われた。

1年交代で、光西寺門徒の町内会での役員の順番がめぐり来て、今年の3月いっぱいまでそうだったが、住職継職法要時の手伝いを依頼されていたので、駐車場係として参加した。

実際の代替わりは、昨年の4月ごろにされていたが、今回の法要は門徒など関係者に周知させるためのお披露目式的なものだった。

若いお坊さんたちによる雅楽隊を招待してあり、本物の雅楽器の音色を間近で聞く事ができた。

元の住職さんも、その父上が70歳になられた時に住職を引き継がれたということで、今回もそれにならって息子さんに住職を譲るということだそうだ。

次の光西寺住職継職法要が執り行われるのは、30年後ぐらいだろうから、その時まで生きているかどうか分からない。

自分の葬式は、新住職さんにやってもらう事になるのだろう。

お寺の住職さんは、世襲により連綿と繋がっている職業だが、跡継ぎになる人には、他の職業を選ぶ事ができないのだろうなと思うと、自由に生きてこられた自分は幸せなのかなとも思える。

お寺にとっては、大きな節目の行事がひとつ終わった。

南無阿弥陀仏。


豊田かずき


たまたま?

2008年04月02日 | インポート
「たまたま、その法人が企業活動の一環として、その中に含まれていたのだと受け取っている」と、長崎県の幹部職員が答える場面がテレビのニュースで流れていた。

諫早湾干拓地で営農を許可された法人の中に、金子長崎県知事の娘さんと谷川国会議員の息子さんが役員をしている企業が含まれていたそうだ。

その2名は、3月20日付で、その法人の役員を退いているという事だが、誰が考えても「たまたまそうだった」という話には疑念を持たざるを得ない。

諫早湾干拓地での営農希望者数は、60数件だったというが、実際に営農が許可されたのは42件だったと思う。

総数60数件の営農希望者のうちの2件は、健康上の理由と従業員の確保ができないという理由で、営農開始の直前に営農を辞退されたそうだ。

ということは、営農希望を出したけれども、営農が許可されなかった件数も20件近くあった事になる。

そのような状況で、知事の身内が役員をしていた法人に対して、営農許可を与えているとなれば、その営農許可の審査過程をきちんと情報公開すべきは当然であろう。

「たまたまそうだった」などと不誠実な対応で済まされるような事柄ではないはずだ。

一般常識で考えても、長崎県が推進し、莫大な公金を支出して完成した干拓地に、推進の先頭に立っていた長崎県知事の身内が関わっている法人が、営農の許可申請をする事そのものがおかしいと私は思う。

確かに法律には違反していないかもしれないが、それならばなぜその法人の役員を辞める必要があるのだろうか。

これも諸般の事情により「たまたまそうなった」と言うのだろうが、おかしい。

干拓堤防の造成により、私の住んでいる地域では、洪水被害に遭う危険性が相当軽減された。

また、干拓堤防道路の開通により、便利になった。

しかし、諫早湾干拓事業が残した「負」の面もいろいろある。

有明海の子宮とも呼ばれ、泉水海という別名でも呼ばれていた、有明海の重要な干潟のある海域をつぶしてしまった。

その結果、周辺魚場に好ましくない影響が出ていることも周知の事実だ。

それだけがその原因ではないという人達の主張も少しは理解できるが、主たる原因であろうという事は否めない。

さらに、干拓堤防で締め切られた内部の調整池の水質は一向に改善しない。

そうなる事は最初から分かっているのに、そうではないと言い張る。

以前にも書いたが、生きている干潟は、干潟の地下1メートル程度までで、潮汐運動による海水の流入と、干潮時に干潟面が空気にさらされる事によって存在している。

そしてそのような干潟には、水質の浄化作用もある。

干潟の地下1メートルよりも深い層は、硫化水素が発生しているような、生物にとってはあまり好ましくない環境だという。

そのような潮水の満ち引きにより生きていた干潟を、その潮水の満ち引きを遮断して、常時、真水の下に沈めておれば、生きていた干潟の上層部が死滅し、水質が悪化する事は小学生レベルの思考能力で考えても理解できる事だ。

今後、調整池の水質が改善される事は永久に無いであろうということは、容易に推測できる。

もし、農水省が言うように水質が改善されるのであるならば、とっくの昔に改善しているはずだ。

調整池の水を汲み上げて、畑作物の灌漑用水に当てるという事だそうだが、水質の良くない水を利用して生産される農作物に対する消費者の反応はいかがなものになるのだろうか。

国家の食糧自給率が39パーセントだということからすれば、その自給率の向上のために広大な農地を創出する事には意義があるとは思うが、農業後継者不足による耕作放棄農地も年々増加しているのが現状だ。

多くの兼業農家の存在により維持されてきた日本の農業政策を、国家は転換させようとしている。

大規模な営農形態でしか営農できなくするような仕組みを構築しようとしている。

自由主義の中に、社会主義的な要素を導入するような農業形態を農家に押し付けようとしている。

農業に対する保護政策は放棄され、今度は小規模な農業形態は否定されようとしている。

なぜ日本の農家の方々は黙っているのだろうか。

そのうちに、農地改革と反対の事が国家によって成されるかもしれないのに。


以前の諫早干拓がそうであったように、いずれ諫早湾干拓の農地も、将来的には耕作者に格安の価格で払い下げられる事になるのかもしれない。

今回の「たまたま」が、その時に備えての画策であるとすれば、とんでもない事だ。


権力を持った人は、疑念を持たれるような事は慎むべきだ。



豊田かずき


どうして?

2008年04月01日 | インポート
島原鉄道の南線が、昨日で廃線になった。

まだ充分な土木用の機械も無かったような頃に、地域発展のための交通機関として、先人方が造り上げた、文化遺産とも言えるような鉄道を、廃線にする事を選択した、島原鉄道株式会社とそれを容認した島原市議会議員ならびに南島原市議会議員の方々に、「どうして?」と尋ねたい。

廃線にしなくとも、地域住民の方々から提出されていた「法定協議会設置の請願」を肯定しておれば、休止ということにして、何等かの方策が模索できたはずなのに。

地域住民の代表としての議員が、地域の衰退を助長するような意思表示をするのは、私は理解できない。

島原鉄道株式会社が、経営上の理由で廃線を決定したとしても、その地域住民の代表としての議会議員は、その会社に頭を下げてお願いしてでも、その鉄道路線の存続のための努力をするのが筋だと私は思う。

島原市議会が、住民の方々からの「請願」を採択しなかったことは、ある程度理解できないでもない。

要するに自分たちの市にはほとんど影響が無いからだ。

島原市内の島原鉄道は、ほとんどそのまま残ることになる。

よそが困ろうと、自分たちには関係ないという事なのかもしれない。

しかし、南島原市議会において、地域住民の方々から出されていた「請願」を不採択とした事は、どのように考えても理解できない。

島原半島の奥の方に位置している地理的条件であるから、交通機関は色々と選択できる方が良いはずだ。

自動車を運転できる若い人たちにとっては、鉄道路線はあまり必要ではないかもしれないが、高校生やお年寄り、あるいは外部からの観光客にとっては、鉄道の存在意義は大きいと思う。

私は賛成ではないが、仮に長崎新幹線が諫早まで来たとしても、諫早から南島原市までの鉄道での移動はできない。

時代の流れと言ってしまえばそれまでだが、鉄道路線をなくした地域の将来像には、あまり明るい物は望めないような気がする。

30数年前に、島原鉄道を利用して、愛野から本諫早まで通学していた者としては、その鉄道の一部が廃線になった事は、残念でならない。

一番腑に落ちないのは、4万数千人分の地域住民の方々の署名が、住民の代表である議会議員から否定された事だ。

何のための住民の代表だろうか。


豊田かずき