日々雑感「点ノ記」

備忘録(心の軌跡)

矢祭町の賢明な選択

2008年03月31日 | インポート
合併をしない事を宣言し、そのために独自性のあるいろいろな改革を推進している福島県の矢祭町が、また新たな改革策を実行しようとしている。

町議会議員の報酬を日当制にして、10人の町議会議員に年間で3千400万円かかっていた議員歳費を、年間900万円程度にしようという試みだ。

一般的に、町議会議員の報酬は月給制で、仮に、公式な議員活動を1日もしない月に関しても報酬が支払われている事になる。

自分も、以前に2年半ほど、愛野町議会議員をやらせて頂いた事があるので、経験として伝える事ができる。

旧愛野町の場合には、定例議会が年間で4回あり、その会期は通常3日から4日で、その会期の途中に1日の休会日があるので、実質的に1定例議会での議会出席日数は2日から3日だった。

そのほかに臨時議会や議員全員協議会を合わせて、年間で10回程度あり、それらはほとんど1日で終わる内容だった。

そのような臨時議会や議員全員協議会は、1日といっても丸1日かかるのではなく、2時間とか3時間で終わる事がほとんどだった。

ただ、私が愛野町議会議員をやらせて頂いていた時期は、合併を目前にしていた頃だったので、合併特別委員会というのが頻繁に開かれた。

しかし、そのほとんどが夜の時間帯に開催された。

また、町議会への出席や、町議会議員としての公式行事への出席などを含めても、年間で100回程度だった。

それらの議員活動を、時間に換算すれば、フルタイムで1日働いたものと仮定しても、年間で3ヶ月分程度にも満たなかったものと思う。


要するに、特別職の公務員としての肩書きはあるものの、町議会議員は兼職を禁じられていないので、町議会議員としての職業以外の、従来から就いている仕事にも大きな支障も無く続ける事ができた。

会社勤めの人では難しいだろうが、農林水産業や自営業の人であれば、町議会議員レベルであれば、その仕事を続けながら議員活動もできる。

それなのに、愛野町議会議員の場合には、毎月の議員報酬として、諸々の掛け金等を差し引かれて、手取額16万数千円が振り込まれていた。

その他にも、年間で2回のボーナスが振り込まれていた。

以上のような、町議会議員の実態からすれば、その報酬は高すぎると思っていたので、矢祭町の英断には拍手を送りたい。

自治体の財政の中で、大きな固定的な支出を占めているのは、職員や議員の報酬である。

民間であれば、その企業の業績が悪ければボーナスをカットしたり給料を下げたり、いよいよとなれば職員を解雇したりして、その企業が生き残るための企業努力をする。

しかし、役所は決してそのような努力はしない。

その地域の一般社会が、どのように不況であろうとも、役所職員の報酬や議会議員の報酬だけは引き下げられる事は無い。

むしろ人事院勧告とやらで、国家公務員の給与水準に準じて、確実に昇給しているのが実態だろう。

日本中の、自治体の議員や職員の報酬を、それぞれの地域の実情(財政状況等)に合わせて引き下げるようにすれば、消費税など値上げしなくとも、相当額の財源が捻出できるはずだ。

国家公務員の天下りなどは全面禁止にして、恵まれている公務員の年金で、ゆったりと定年退職後の生活をしてくれれば良いのにと思う。

矢祭町(福島県)では、365日、住民票等の書類の発行ができる仕組みを構築しているし、未納になっている公共料金の回収には、残業手当を支給する必要の無い管理職職員があたっているという。

まさに住民本位の、公僕としての職員の有り方を実践している自治体と言えるのではなかろうか。


今回の矢祭町議会議員の報酬支給制度の改革は、本来そのようにあるべき事が、やっと実践される運びになったのだなという感想を持っているが、これが全国の地方自治体に波及したならば、地方公務員の報酬の仕組みも見直す契機にもなるだろう。

要するに、議会がまず範を示さなければ、その自治体職員の報酬制度に対する改革も望めない。


地方自治体の議員も職員も、既得権益的な仕組みの中であぐらをかいていれば、夕張市の様になる可能性を否む事はできない。


全国の自治体が、矢祭町の決断を範とすべきだと私は考える。

ここをクリックすれば、矢祭町議会議員の報酬に関する条例をみることができます。

豊田かずき



墓参り

2008年03月20日 | インポート
仕事に起因する缶詰状態から脱し、開放感に浸りながら墓参りをした。

この年になって、仕事のためとはいえ、睡眠時間4時間程度を2週間ほど続けるのは体にこたえる。

他の人に手伝ってもらって処理できるような性質の仕事ではないので、とにかく自分で終わらせるしかない。

そのような事の繰り返しで、毎日を過しているが、ひとつの仕事が終わった時の開放感はとても心地良ものだ。

そのような開放感のもとでの墓参りだったので、ついでに親類の墓にも参ってきた。

といっても、親類の墓は、愛野町の光西寺というお寺の部屋の中にあるので、その中で、3箇所の親類の墓に参る事になる。

備えてある水を代えて、線香に火をつけてから合掌する。

お参りするといっても、私の場合にはほとんどが、一族郎党の息災をお願いする内容になる。

そのあとに、隣町の妻の実家の墓まで足を伸ばして、お参りをした。


ラッパ水仙の、鮮やかな黄色の花が咲き誇っており、メジロやうぐいすの鳴声があちこちで聞かれるようになった。

水道の水も、あまり冷たく感じなくなり、春が確実に訪れている。

次に休める日には、今シーズン初めてのヤマメ釣りに、干拓堤防道路を通って、高来町の境川まで行ってみよう。

豊田かずき



筋書き通り?

2008年03月20日 | インポート
日本への輸出品である農薬混入の冷凍餃子に始まり、今度はチベットでの暴動騒ぎの鎮圧による死傷者が出た事など、間近になった北京オリンピック参加へのボイコットのための理由付け的な事件が、なんらかの勢力によって起こされているように思えてならない。

現に、EUは、チベットの暴動の武力による鎮圧による人権侵害の可能性を受けて、北京オリンピックへの参加ボイコットを検討しているなどとラジオで言っていた。

北京オリンピックへの参加をボイコットさせたい国家や、ボイコットしたい国家などの謀略が、粛々と進められているのではと思ってしまう。

モスクワオリンピックへの、自由主義国家の参加ボイコットという図式が、今回も繰り返されるのではないかと心配だ。

チベットの暴動事件も、中国側の報道規制により、その詳細は不明である。

天安門事件の報道による、国際社会からの批判を教訓にしてか、今回は報道規制によって事の詳細を外部に洩らさないようにしているようだ。

私たちが住んでいる国家とは違う、ひとつの政党が国家の中枢そのものである国家の無気味なところでもある。


宗教心が篤いであろうチベットの人たちが、自分たちから暴動を起こすという事は理解に苦しむ。

それに至る何等かの伏線があったはずだ。

宗教を肯定しない一政党に支配されている国家が、文化としての宗教心の篤いチベットの住民を実質的に支配しているのだから、双方に摩擦が生じるのは当たり前の事だ。

かの国あたりの工作員たちが、うまく扇動して、暴動を起こさせたという事も、必ずしも穿った見方とは言えないだろう。

農薬混入の輸入冷凍餃子にしても、かの国辺りの謀略である可能性も否定できないのではなかろうか。

4年に1度のオリンピックをめざして、選手たちは極限的な自制と鍛錬を継続しているはずだ。

筋書き通りに進められている事かもしれないが、オリンピックへの参加ボイコットなどという愚を繰り返すことだけはしてはならない。

このような思いが、私の思い過ごしであってくれれば良いのだが。



豊田かずき


高橋さんと藤永さん

2008年03月10日 | インポート
高橋さんと藤永さん。

どちらも有名な女性長距離走者だが、直接の面識は無い。

テレビや新聞でしか知らない。

高橋さんは30歳を過ぎ、藤永さんは多分27歳だろう。

藤永さんが多分27歳だろうという事は、我が長女の同級生だからそうだと思う。

藤永さんは、諫早高校在学中に、超高校級の実力ということでマスコミがよく取り上げていたし実績も残した。

その藤永さんと同じ高校に通っていた長女は、選択科目の書道の時間に、藤永さんの隣の席になり、消しゴムを貸してあげた事があると、テレビに映っている藤永さんを見て嬉しそうに話していた。

超高校級の人と、少しでもかかわりがあるという事が、娘にしてみれば誇らしい事だったのだろうと思う。

数日前の毎日新聞の諫早高校陸上部のシリーズ記事で、藤永さんの事が載っていた。

高校卒業後、筑波大学に進み、その後資生堂に就職して陸上競技活動を続けているという。

藤永さんの高校時代の恩師の方が、競技者としての現役を退いて指導者としての道を選択した方が良いのではないかというアドバイスをされていて、そのように決心したのだろうなと思って会ってみると、4年後のオリンピックにマラソン選手として出場する事をめざすという決意を表明したという。

他人の生き方をあれこれ言える立場ではないが、私は恩師の方が進められている指導者としての生き方を選択する方が現実味があり、これから先の人生設計の上では妥当な判断ではなかろうかと思う。

スポーツの競技者としての現役寿命は、スポーツの種類により色々ではあろうが、いつかはピークを過ぎて、望むような記録が出なくなる時が来る。

自分の可能性を追求して努力する姿は美しいが、生きていくにはご飯を食べなければならない。

要するに何等かの職業に就かなければならない。

企業の広告塔的な存在でいられるのは、実績を残す事が出来る間だけである。

教員としての公務員になる事が出来る立場にあって、ふるさと長崎県の陸上競技の指導者としての安定した生活の可能性があるのであれば、そちらの方が良いのにと私は思う。

27歳という年齢は、そのようなもろもろに対する重要な決断時だと思うが。

過去の栄光の幻影をいつまでも引きずり続けない方が賢明だと思うのだが。


高橋さんは、昨日のマラソン大会で27位と、彼女にしてみれば予想外の結果だったに違いないが、こちらもここらがそろそろ潮時ではなかろうかと思う。

若い人たちだけでチームを組んで、競技者としての活動を続けているようだが、今回の結果で、後援しているスポンサーの多くが離れていくのではなかろうか。

膝の手術を隠して大会に臨んだというが、それならばその事は隠し通して欲しかった。

レース後に打ち明けた事は、悪かった結果に対する言い訳の様に聞こえてしまう。

年齢的なこともあり、勇気を持って撤退するという生き方もあるのではなかろうか。

高橋さんにしても藤永さんにしても、私が100メートルを全力疾走するようなスピードで2時間半近く走り続ける事が出来る、強靭な精神力と体力の持ち主であり、私から見れば超人のような存在だ。

そのようなすばらしい能力の持ち主なのだから、他の職業に就いてもきっと適応できるだろう。

過去の栄光は、思い出としてとっておき、いつまでも引きずらない方が良いと思う。

お二方ともこれから先の人生の方が長いのだから。


豊田かずき



暴言

2008年03月09日 | インポート
自民党の国会議員が、例のイージス艦「あたご」と漁船の衝突事故の事を、以下の様に語ったそうだ。

以下に、本日(平成20年3月9日)の毎日新聞の記事を紹介する。

「漁船に過失。交通事故のようなもの」

自民・大前議員が持論

 海上自衛隊のイージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」の衝突事故について、自民党の大前繁雄衆院議員(65)=兵庫7区=は8
日、神戸市内であった党兵庫県連の会合で「交通事故のようなもの。

他の漁船が(イージス艦を)かわしているのに、あの船だけかわしていない。

重大な過失があの船にあるが、そのことについて一言も触れられていない」などと述べ、清徳丸にも責任があるとの持論を展開した。

 「県連大会に代わる総務会」のあいさつで発言した。「イージス艦も規律が緩んだところがあったろうが、公正な議論が行なわれるべきだ」と主張。

さらに「ライフジャケットを身に着けていれば、命があったかどうかは別にして、大規模な捜索活動はいらなかった。

浮き上がってくるはず」と述べ、「面白かったのは捜索の時、(漁協の)全員がこれみよがしにライフジャケットを着けて捜索していた」とも話した。

大前議員は当選2回。山崎派に所属し、安倍晋三内閣で防衛政務官を努めた。

以上、毎日新聞記事より。


この記事を読んで、「暴言」とはこういう事を指すのだろうなと強く思った。

物事の順番を全く無視した主張だと思う。

本来ならば,国家公務員としての高給取りの自衛隊員が多数乗り組んでいるイージス艦側が、正当な監視活動と衝突漁船に対する適正な警告や、適正な回避航行を迅速にしていたならば、防げた事故である。

お上の船が通るのだから、一般の船は道をあけろと言わんばかりの「おごり」の体質があるのではなかろうか。

漁船の親子の乗り組員の方々が、ライフジャケットを着用していたかどうかは、その身柄がまだ見つかっていないので、明言できないはずだ。

操舵室ごと海底に沈んだのであれば、ライフジャケットを着けていたとしても浮かび上がってはこないだろう。

捜索に当っておられた仲間の漁協員の方々全員が、これみよがしにライフジャケットを着けて捜索していたことがおもしろかったという表現は、あまりにもひどい。

燃料代が高騰する中で、自分たちのお金で燃料代を工面して漁を休んで、仲間の捜索を必死でやっておられた方々に対して、失礼の度が過ぎている。

私たち庶民に対する思いやりの片鱗も持っていないような人たちが、国会議員をしていることが、色々な事柄に対する強行採決に結びついているのかもしれない。

たとえ捜索費用がかさもうとも、国民の生命財産を守るべき国の組織が引き起こした事故であるから、その責任においてきちんと捜索すべきである。

持論を展開するのは自由だが、遭難している人達や関係者に対する最低限度の配慮は、国費でご飯を食べている人としては当然必要だろうと思う。


豊田かずき